小西昭夫著『虚子百句』から。水をくしゃくしゃにして洗うという表現の「斬新さがこの句の魅力」という読みに賛成だ。ただ、小西は大量の大根を洗っていると読んでいるが、1本でもいいのではないか。
昨日の「流れゆく大根の葉の早さかな」だが、虚子自選の『虚子百句』では、年尾が次のように虚子の言葉を伝えている。「自然界の一つの相をゑがいたものである。この大根の葉はどこまで流れてゆくのであらう。この水は海に注ぎ、水蒸気となり、雲となり、雨となり、又この小川を流るゝ水となるのであらう。人は冬になれば畑から大根をぬいてきて又その小川のほとりでそれを洗ふであらう」。水の力、水の普遍性を言う小西は、この作者の見解とどこが違うのか。あるいは違わないのか。
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