ねんてんの今日の一句 バックナンバー

2010年2月20日
玉蘭と大雅と語る梅の花
夏目漱石

 私の評論集『モーロク俳句ますます盛ん―俳句百年の遊び』(岩波書店)から。この句はその本に収めた「漱石の時代俳句」に出ている。江戸時代の画家、池大雅とその妻、玉蘭を詠んでいるが、私は漱石のこのような句を「時代俳句」と呼び、時代俳句が広く試みられることへの期待を書いている。
 今日は勤務する大学の大学院の入試。

2010年2月19日
魚ごつんごつんごつんと春の闇
南村健治

 句集『大頭』(2002年)から。春の闇の中に魚がごつんごつんとしている。この魚、アジとかサバであろうか。「どの魚と濡れて春べを過ごそうか」もこの句集の作。海辺とか岸辺にあたる言い方として「春べ」を使ったところが面白い。健治は1947年生まれ。魚好きの俳人である。
 今日は雨水。私は終日、机に向かって過ごす予定。

2010年2月18日
女にも生れてみたし花菫
正岡子規

 なんていうこともない句だが、子規が、女に生まれてみたい、と考えたことがおかしい。明治24年、まだ作る俳句が月並みというか、とても下手だった時期の作である。
 今日は午後、松山の子規記念博物館ではがき歌コンテストの審査会。ついでに早春の道後公園などをぶらつく予定。なお、この手紙歌のことは私の『正岡子規の〈楽しむ力〉』(NHK出版)で話題にしている。

2010年2月17日
にんげんを洗って干して春一番
川島由紀子

 「春一番」は立春後に吹く南寄りの強い風。近年、人気の高い季語である。今日の句は新刊句集『スモークツリー』(創風社出版)から引いた。春一番に吹かれる人を「洗って干して」と表現したのだが、そのようにしたいという願望でもあろう。
 今日は午後、寝屋川市の歴史を考える会という集まりで言葉の話をする。ここ数年、この会では年に1度話しており、先年は松山までのバス旅行もした。歴史を考える会は、その名のように歴史好きな人々が集まった自主的勉強会だが、私の話で息抜きをする気配。さて、今日はどんな話をしようか。

2010年2月16日
ごんぎつねの夜は紅梅のほつほつと
山尾玉藻

 句集『鴨鍋のさめて』(1996年)から。昨日、愛読句集のアンソロジーを作りたいという話をしたが、この句集などもそこに入れたい。ごんぎつねは新美南吉の童話に登場するあの狐。いたずらだが人のよい(?)狐だ。そんなごんぎつねが紅梅の咲く夜に来ているという想像は、人の心を紅梅色にほんのりと染める。
 今日の午前はつぼりん歌会、午後はミコアイサ句会である。いずれも京都大丸にあった講座の有志が、講座解散後に自主的に集まっている。こういう自主的活動が好きだ。

2010年2月15日
横向きの君の冬芽をつまみたし
三宅やよい

 この「君」は何の木だろう。庭の桜、それとも道端の欅? もちろん、好きな君がこの冬芽に重なっている。
 この句、句集『駱駝のあくび』(2007年)にあるが、この句集は私の愛読句集の一つ。ここ数年間に出た愛読句集がかなりあるが、実はそれらは今の俳壇なり俳句界で無視されがち。それが釈然としないので、わが愛読句集を一挙に紹介して「今日の俳句」というかたちの選集を作りたいと思っている。
 今日は東京にいる。午後は青山のNHK文化センターで子規の話をし、夜はやよいたちの船団東京句会に出る。
 写真は大阪・万博公園の紅梅。背景は太陽の塔である。

2010年2月14日
母は母娘は娘のバレンタインの日
山田弘子

 松田ひろむ編の『ザ・俳句』(十万人歳時記)から引いた。今日はバレンタインデー。春先のはなやかな日として定着した感じだが、この句の作者にはバレンタインデーがことに似合っていた気がする。かつて兵庫県和田山で講演をした後、彼女の生家に案内され、帰路、ハイウェイをぶっ飛ばす車に乗せてもらった。途中、車窓から虹が見えた。その弘子が先日7日、突然に死去した。75歳。葬儀は11日に神戸の御影であった。
 今日は午前中、伊丹の柿衞文庫で也雲軒塾頭講座。「梅と俳句」がテーマである。その後は伊丹のFMで話し、船団会務委員会へ。もちろん、会の後は飲む。

2010年2月13日
薄氷に嵌っていたる乳首かな
久保純夫

 昨日と同じく句集『フォーシーズン』から引いた。これはホラー俳句だ。薄氷と乳首の取り合わせにぎくっとする。
 俳句的な読みでは「たる」で一度切れており、薄氷に嵌っているのは乳首とは別、という見方も可能である。だが、その読み方は句をとても難解にする。この句は薄氷に乳首が嵌った薄氷殺人事件と読みたい。「雛の夜女の髭が伸びてくる」「目の玉を舌で探れり蛍烏賊」「草餅に少し離れて指が生え」「縛られてまた土筆野に転がされ」「桜餅女の指を入れておく」なども純夫のホラー俳句である。昨日の句の「先がほぐれし紐ばかり」にもホラーの気配があるのかも。

2010年2月12日
如月や先がほぐれし紐ばかり
久保純夫

 句集『フォーシーズン』(ふらんす堂)から。この作者は1949年生まれ。鈴木六林男に師事した。この句集は第7句集である。1語3句、たとえば「如月」で3句を作って1頁に並べている。この作り方が面白い。如月の他の句は「冤罪を塩に訊ねしきさらぎの」「如月は刃物の匂う少年と」。
 1語3句という作り方は面白いが、その作品はかなり難解である。掲出した句にしても、2月でなくなぜ如月なのか。そのあたりが私には分からない。ただ「先がほぐれし紐ばかり」になぜか生々しさを感じる。

2010年2月11日
ノートするは支那興亡史はるの雷
鈴木しづ子

 「支那」という語は中国に対して日本人が用いた呼称であり、江戸時代の中期から第二次世界大戦のころまで用いられた。この句「ノートするは中国歴史」とするとがらりと中身が変わる。現代の経済的大国となった中国が意識されるから。「支那興亡史」というときは、三国志などの古い中国大陸を想像する。
 今日の句の作者は「夏みかん酢つぱしいまさら純潔など」という句で知られたが、掲出した句の方がはるかによい。「とほけれど木蓮の径えらびけり」もしづ子の秀句。ちなみに、去年、『夏みかん酢つぱしいまさら純潔など』というしづ子の句集が河出書房新社から出ている。

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