ねんてんの今日の一句 バックナンバー

2010年3月20日
早春のライフは大き雑誌かな
中西藻城

 ライフはアメリカのグラフ雑誌。太平洋戦争後の日本においてこの雑誌はアメリカそのものだったのではないか。この句、眩しいライフを詠んでいる。
 今日の句の作者は万葉学者の中西進の父。進の新著『亀が鳴く国―日本の風土と詩歌』(角川学芸出版)に中村楽天の門下だったその父が紹介されている。進も楽天に会ったことがあるという。かつて大阪俳句史研究会で楽天を調べようとしたのだが、手がかりがなくて放置している。意外なところに楽天の知り合いがいたので驚いた。

2010年3月19日
カナリヤをつめこむ春のトランクに
杉山久子

 第3回芝不器男俳句新人賞の予備選考会のため、今日は上京する。本審査は6月に愛媛県松山市で行われる。今日の句の作者は第2回芝不器男俳句新人賞受賞者。この賞では賞品として句集が出版されるが、久子の受賞作は句集『春の柩』(2007年)になっている。「春愁や身をさかさまにマヨネーズ」「恋猫の胴の長さがごろんごろん」「桜散る今宵ふつくらふくらはぎ」。ほら、とてもいいでしょ。

2010年3月18日
芽がさいた春が近いしるしだよ
山岸千乃

 作者は京都市の小学校4年生。この句、京都新聞の「ねんてん先生の575」から引いた。この記事、毎週1回、小学生の俳句をとりあげ、私がコメントをつけているもの。今日の句は「芽がさいた」というカタコト(片言)が面白い。
 この俳句などを話題にした後で、小・中学校の先生たちと「卒業式」を題にして句を作った。「倒れたる車輪が回る卒業式」「忘れてもあの卒業式思い出す」「内またでやっぱり歩く卒業式」「丸顔の姿もっこり卒業式」。学校の教師がとかく批判される世相だが、こんな句を作る教師は信頼に足る。そう思った。

2010年3月17日
恋人は花にかくれよ浄瑠璃寺
小川青帆

 句集『転生』から。作者は阿波野青畝ファン。青畝をもじって青帆の俳号を名乗っているらしい。この青帆、毎日新聞に連載している私の「季節のたより」の愛読者で、先日、この手作りの句集を送ってくれた。「春の寺何も考えずにいるところ」もとても気分のよい秀句。
 ところで、2年あまり続いた「季節のたより」は新聞社の事情により3月末で終了する。このところ、この連載が私の日々の核になっていたのでやや残念な気がするが、これもまた浮世の定め、というべきか。

2010年3月16日
古今東西恋や未練や邪恋や芽
池田澄子

 昨日に続いて『ベスト100 池田澄子』から引いた。この本、ふらんす堂が新しく始めた自句自解シリーズの第1冊目である。100句について1句250字くらいの解説(自解)を付けている。この句については「最後の一音の『芽』によって、下世話そのものが具現して俳句になってくれた、と思いたいのだけれど、どうだろうか。それが問題である。」とある。前半で下世話な恋に触れた後のこの自解、見事なものだ。たしかに「芽」の一字で俳句になっている。

2010年3月15日
人類の旬の土偶のおっぱいよ
池田澄子

 出たばかりの『ベスト100 池田澄子』(ふらんす堂)から。これ、自分の句を短い言葉で解説した本。この句については、「嫌なニュースを新聞やテレビで度々知らされたとき、淋しい現代人の対極にあるものとして、あの土偶の、で―んと出っ張ったお尻とおっぱいが思い出され一句になった。」とある。
 今日の写真は横浜の海の見える丘公園で撮った木蓮。

2010年3月14日
黒板をぬぐえばみどり卒業す
三宅やよい

 句集『駱駝のあくび』(2007年)から。この句集、私の愛読句集である。「横ばいの春のいるかが来ておりぬ」「春浅きギョーザの耳を折りたたむ」「芽吹くまで臍のあたりに手をおいて」など、秀句がいっぱいだ。
 今日、私は勤務している佛教大学の卒業式。普段はすっかりノーネクタイだが、今日はネクタイ姿で登校する。

2010年3月13日
百年後もういないけど木の芽和え
児玉硝子

 句集『青葉同心』(2004年)にある私の愛唱句。作者は1953年大阪生まれ。この句集には「春休みお好み焼きは豚ばかり」「余寒なお鞄三つをぶら下げる」「大砲を引き出すように桜咲く」などの秀句が並ぶ。
 さて、昨日の続きだが、子規は雑誌「車百合」について、「車百合の一輪は今はきだめの中に白き大花びらを開き申候」と言っている。つまり、掃き溜めという俗の真ん中で車百合が咲いた、というのだが、この見方は示唆的だ。俳句は俗を滋養、あるいは土壌として花開く。俗は俳句の豊穣な大地なのだ。

2010年3月12日
会の日や晴れて又ふる春の雨
正岡子規

 明治32年の作。昨日、青木月斗が大阪を俗地と呼んでいることを紹介したが、その月斗たちの俳句雑誌「車百合」が出たとき、子規はその創刊を祝して「車百合に就きて」というエッセーを「車百合」2号(明治32年12月)に寄せた。その冒頭で子規は言う。自分が初めて大阪の地を踏んだときの印象は「只俗の一字」だと。しかも、大阪の俗はしみったれ、無趣味、規模の小さい俗であり、「誠に厭はしく感じ」た、と。
 今夜、正確には明朝の午前4時だが、NHK第1放送「ラジオ深夜便」(心の時代)で私は子規の話をする。

2010年3月11日
一雨一暖堤下下萌したりけり
青木月斗

 「イチウイチダンテイカシタモエシタリケリ」と読む。イ、チ、シ、リの音が響き合って、早春の土手の生気を漂わせている。巧みな句だ。この句、角光雄著『俳人青木月斗』(角川学芸出版)から引いた。この本、大阪を拠点に活躍した月斗にかかわるエッセーと月斗の句の鑑賞を1冊にした本だが、月斗にまつわるいろんなエピソードが楽しい。たとえば明治32年の月斗の文章が「俗、凡、利、慾、金、女、の外にものなき大阪の地」と書き起こされているという話。これって、今なお大阪を批判するときの常套的見方ではないか。このような見方、いつごろから始まったのだろう。

戻る