ねんてんの今日の一句 バックナンバー

2010年4月20日
カナリヤの餌に束ねたるはこべかな
正岡子規

 この春から大学院生たちと雑誌「明星」を読んでいるが、この雑誌の創刊号に島崎藤村の詩「旅情」が出ている。「小諸なる古城のほとり/雲白く遊子悲しむ/緑なす繁縷は萌えず…」という詩だが、繁縷にヨモギとルビがついている。私などはここはハコベと読み慣わしてきた。ヨモギでは土俗的、土着的でありすぎ、旅する遊子に合わないなあ、と学生たちと盛り上がった。

2010年4月19日
長靴になじむ畦道蓬摘む
茨木和生

 昨日に続いて句集『山椒魚』から引いた。和生は1939年生まれ。俳句雑誌「運河」を主宰している。土俗派、山村派ともいうべき作風が特色であり、その作風によって都市的環境になじみがちな時代の傾向に違和を醸しているように見える。今日の句の畔道のとらえかたにもその傾向がうかがえるだろう。
 写真は柿の木のある村(木津川市加茂)。

2010年4月18日
大極殿跡に拡がり青き踏む
茨木和生

 大極殿(ダイゴクデン、またはダイキョクデン)は古代の内裏で天皇が政務を執った御殿。この句の大極殿は奈良の都、すなわち平城京の大極殿だろう。句集『山椒魚』(角川書店)から引いた。この句は「拡がり」が面白い。人がかなり多く大極殿跡に散らばっている。それが「拡がり」だが、その人の散在にとつれて大極殿跡も拡がった感じがする。

2010年4月17日
古池や蛙飛び込む水の音
松尾芭蕉

 矢島渚男の新著『俳句の明日へV―古典と現代のあいだ』(紅書房)に「『古池』の解釈―談話風に―」というエッセーがある。「古池」という芭蕉の時代にはまだ用例の乏しい語に注目し、西行の歌の「古畑」からこの語「古池」を思いついたのではないか、と矢島は類推する。そして、「古池」は春になってまだ冬枯れを残している池であり、この句は「幽玄の句ではなく、むしろ溌剌とした句です」と説く。賛成だ。もっとも、私は「古池」を池としての用途を失って放置された池、と見る(「船団」80号の「古池の句新釈」)。ともあれ、古池の句はわび、さびの幽玄の句として読まれてきたが、「季節の胎動」(矢島)を表現した句として読みなおされてよい。

2010年4月16日
蓮華よりつくしが似合ふ野の佛
無着成恭

 昨日に続いて『忸怩戒』(水書房)から引いた。「つくし誰の子、杉菜の子――ではなくて、やっぱり、仏の子ではないか」と作者はこの句に添えたエッセーを書き起こしている。
 私は佛教大学で日本近代文学を講義している。ここには仏教学部があり、宗教者がたくさんいる。誰かの講義にもぐりこんでひそかに聴講したいと思っている。

2010年4月15日
匂ひたつ雑木林の春の闇
無着成恭

 この作者はあの『山びこ学校』のむちゃく先生。1927年(昭和2)年生まれの作者は、今、大分県国東半島の泉福寺住職である。今日の句はこの和尚の新著『忸怩戒』(水書房)から引いた。自分の句に短いエッセー(法話というべきか)を添えたものだが、この句について、「雪国の、春の闇は、雪国で育った者にしかわからない――と私は思う。冬は、あかるい季節である。春は、くらい季節である。暗いも暗いまっ暗な闇である。そのまっ暗な闇を恋の猫が切り裂く」と書いている。これは季語「春の闇」の原型を示唆しているのかも。

2010年4月14日
アメリカもロシアも一つや春霞
正岡子規

 明治24年、24歳の子規は3月末から4月にかけて房総半島を旅した。「道づれは胡蝶たのむやひとり旅」という気楽な10日あまりの旅だった。「若くなる人の心や春の旅」「一日の路や菜の花浪の花」という句も残しているが、のんびりした時空を子規は歩いている。そののんびり感が「アメリカもロシアもひとつ」と感じさせたのであろうか。

2010年4月13日
桜ちる男の腕にぶら下がろ
小西雅子

 4月10日に京都岩倉の妙満寺で桜吟行があった。境内のしだれ桜が満開で、開け放した広い書院(句会場)に座ると、外の桜がひときわ華やかに見えた。私は「さくらさくら開けっ放して大書院」と作ったが、これはあまりにも当日の実景のままかも。「桜まで行こう桜に聞けばいい」(山岡和子)、「花明りそこはキリンが通ります」(中林明美)、「さくらさくら腹から歩くマタニティ」(林せり)などがこの日の収穫。もちろん掲出句も。

2010年4月12日
くらがりをわつと散りたるさくらかな
火箱游歩

 高浜虚子の『新歳時記』に「『見るも阿呆見ぬも阿呆』といふ位に、実に時代ばなれのした一奇祭である」と書かれているのは京都の「今宮神社内摂社玄武社の祭礼」やすらい祭。その玄武社の裏手に住む游歩は「朧夜を鬼の踊の稽古かな」と詠んでいる。この句も掲出の作も句集『雲林院町』(2005年)にある。
 先日、火箱夫妻の招きで念願のやすらい祭見学を果たした。何が奇祭なのかは分からなかったが、鬼の踊りには時間がゆったり流れている。写真は玄武社境内のその踊り。

2010年4月11日
老人がきれいに並ぶチューリップ
小枝恵美子

 今日の句、「船団」82号の会員作品欄から引いた。老人とチューリップの取り合わせは意外で新鮮。老人が並び、チューリップも並んでいる。その光景、なんとなく笑いを誘う。
 さきごろ、鷲田清一さんの『たかが服、されど服』(集英社)を読んだ。その中に「惚れた女を着たいとおもう」という言葉があった。そう思う、確かに。

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