句集『日々』(角川書店)から引いた。「少年のごとく桑の実摘みに寄る」もこの句集にあるが、この作者にとって桑の実は少年期の象徴なのだろうか。
水尾は1937年生まれ。埼玉県で長く俳句雑誌「浮野」を主宰している。句集のあとがきによると、月に26の句会をこなすという。まさに句と遊ぶ日々を過ごしている。
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ここ数日、小西昭夫の句を鑑賞している。昭夫は1954年生まれ。四国・松山から出ている月刊「子規新報」の編集長である。先頃は虚子の句を鑑賞した『虚子百句』(創風社出版)も出した。
『小西昭夫句集』は1994年から2009年に至る700句近くを集めたもの。跋において昭夫は、篠原梵の考えに共感したことを挙げている。つまり、一般の人が読んで分からないような俳句、それが俳人に分かるというのは、俳人が「言葉の病気」にかかっているから、という考え。この考えに対する共感が昭夫の俳句の始まりだという。掲出の句、彼の願いを実現した句であろう。
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苜蓿(うまごやし)はクローバーのこと。その上に2人が座っているのだが、苜蓿の位置から「尻2つ」を見たところがおもしろい。その尻を通していろんな想像ができるから。
『小西昭夫句集』から引いたが、この句集には学園俳句とでも呼びたいものがある。高校教師である作者の目が日常的に若い世代に注がれているからか。「さようなら春一番のような君ら」「破れたる少年のシャツ桃の花」「愛媛県立中山高校夏の雲」など。
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根岸二丁目から読者は何を連想するだろう。私は東京の根岸、すなわち正岡子規がいたあたりを連想する。そのあたり、路地が迷路のようになっていていわゆるラブホテルが多い。子規の時代にはおめかけさんが多く住んだらしい。その根岸の路地には、今の時期、どくだみの真っ白い花が咲いている。この句、『小西昭夫句集』(創風社出版)から引いたが、この句は次の句の後にある。「どくだみの花の根岸に来たりけり」「どくだみの白き総苞ラブ・ホテル」。
写真は兵庫県丹波市柏原の千年欅。
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北九州市立文学館で第7回特別企画展「橋本多佳子―雪はげし抱かれて息のつまりしこと」が始まっている(7月4日まで)。今月21日(金)には私の講演「橋本多佳子のもたらしたもの」があり、翌日10時30分からは船団の会主催の句会ライブを同館で開く。
今日の句は「橋本多佳子」展の図録から引いた。この図録、多佳子の時代と人と作品をコンパクトに示していてとても重宝。
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句集『大頭』(2002年)にある。柿若葉の季節になるときまってこの句を思い出す。柿若葉の下にめそめそ君とくらくら君がいる、というのだろうが、正直なところ、その2人がどのような人か、はっきりとは分からない。分からないが、なんとなく気になる。それで、この句を覚えてしまった。名句はこのようにして人が覚える。
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おかしい句。百足のあの多くの足がみな、約束実現のために動いていると思うと笑わずにはおられない。この句、句集『新鬼』(本阿弥書店)にある。
5月5日の夕、『新鬼』の出版を祝う会が大阪・梅田であった。会に先立って『新鬼』を読む合評会が開かれたが、その席で注目したのが掲出句。つまり、この作者―哲学的思弁を愛す―にこのような愉快な作があることをうれしく思ったのである。
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昨日に続いて松林尚志の評論集『俳句に憑かれた人たち』から引いた。この句、友情のマゾ的な一面を端的に詠んでおり、かねてからのわが愛唱句である。松林は「マゾ的なまでの甘美なカタルシスを覚える」と評している。
松林の評論集は47人の俳人を論じている。今ではあまり話題にならない人も多く、昭和の俳人たちが何を目指したかがよく分かる。値段が3500円と少し高いが、買って読んで損をしない本である。
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吾妹、肝、きんぽうげの3つを「濡れしもの」として一括したところがおもしろい。3つの頭の「き」の音も響き合う。
この句、松林尚志の評論集『俳句に憑かれた人たち』(沖積舎)から引いた。この評論集は林翔、阿部青鞋、田川飛旅子という大正ひとけたの俳人から西川徹郎、攝津幸彦という昭和ふたけたの俳人まで幅広く論じたもの。「あとがき」によると、「一句にできるだけ思いを込めようと骨身を削った人」を取りあげたらしい。ちなみに、幸彦の句は「南国に死して御恩のみなみかぜ」がよく話題になる。本書もこの句を「イロニーが際立つ」として評価している。だが、私には掲出句の方が言葉が生き生きとしているように見える。
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春の空の鳶の意志をくっきりととらえた秀句。長谷川櫂はこの句に「作者自身の若くみずみずしい魂の薫り」を指摘する。それはそうだが、中年の鳶を想像してもいいのでは。獲物を狙う精悍な鳶を、だ。
昨日の『海と竪琴』で、龍太の「一月の川一月の谷の中」について、この句の魅力は「言葉によって語られていない部分にある、と長谷川櫂は言う。つまり、「甲州の天地」がある、と言うのだが、えっ!という感じ。別に信州でも山形でもいいのでは。そうでないと俳句の言葉が生きない。
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