5日の土曜日、甲南大学で北村透谷研究会があり、子規と透谷について話した。学生時代、やや夢中になったのが透谷であった。この句、岩波版透谷全集第3巻に出ている。殻から身を乗り出した蝸牛を詠んでいるのだろうが、完全に抜け出すと蛞蝓になってしまう。それはともかく、近年、蝸牛が急速に減っている。わが家の周囲ではほとんど見かけない。
|
「船団」85号の「船団・あの人この人」欄から引いた。公雄は1967年生まれ。この句、フランスの水と青田風の取り合わせが新鮮。青田にフランスの香りが漂う感じ。
雑誌「潮」7月号に桑原武夫学芸賞の選評が出ている。見ていただけるとありがたい。
|
「生真面目なコーヒーが付く」という見方が楽しい。実はこれは川柳である。博子は現在、私たちの「船団」に「今日の川柳」というエッセイを連載している。今日の句は博子も参加している川柳の同人誌「宙」28号から引いた。「送ってくカンナが尽きるところまで」も博子の作だが、こちらにはカンナという季語があり、見方の面白さなどの川柳的ニュアンスを感じさせない。つまり、とても俳句。
|
昨日に続いて亀さんの俳文集『ZIGZAG―オロロロの丘』から引いた。この句は「宴会」という短文の末尾にある。石垣島の琉球料理専門の料理店では、「夜も更け、皆にアルコールが行きわたると各部屋の襖が全部開け放たれ、見知らぬ者同士全員で合唱になった。三線の伴奏付き。」やがて、「酩酊気味で支払いを済ませ、木戸をくぐり、ほの暗い木立を抜けて外庭に出る。遠くにさんご礁からの潮騒。満天の星。」この後に今日の句がある。
写真は橋本多佳子の住んだ小倉・櫓山荘の跡地にある標示。
|
 |
亀さんの俳文集『ZIGZAG―オロロロの丘』(れんが書房新社)が出た。これから読むのだが、「秋からの記」「グレート・リフト・バレー」「丹後半島」などの7章からなる。今日の句は本文中に引かれているもの。ブルドーザーの上で食べているのは愛妻弁当弁であろうか。亀さんは1939年生まれ。句集『未来書房』(2003年)があるが、近年は内田美紗などと俳文に熱心に取り組んでいる。
|
雑誌「現代詩手帖」6月号が「短詩型新時代―詩はどこに向かうのか」という特集をしている。その中に高柳克弘が選んだ「ゼロ年代の俳句百選」がある。その中で私がいいなあ、と思うのは掲出した文香の句、そして「水温む鯨が海を選んだ日」(土肥あき子)などの数句のみ。「現れて一歩一歩や秋の海女」「子馬が街を走つていたよ夜明けのこと」「年玉で銀行建てん國建てん」「来たことも見たこともなき宇都宮」などは何がいいのかさっぱり分からない。この選者、とても変?
|
そろそろ合歓の花が咲くだろうか。五月下旬はあちこちで栴檀の花を楽しんだ。淡い紫のそよぐさまが、なんとなく郷愁というか哀しさを誘う。その栴檀に続いて合歓の花が咲くというのが私の内の花暦。今日の句は飯島ユキ編『らいてうの姿ちひろの想い』(一兎舎)から引いた。
|
今日の句は時々出演している宝塚FMの投稿句。アイスクリームが題であったが、「馴初めはアイスクリーム木の校舎」(もろみ)、「アイスクリーム兄と自転車二人乗り」(みやこ)、「迷子泣くアイスクリーム食べて泣く」(ふうこ)などの句が集まった。掲出句は「なめなめ」のリフレインが異人坂を歩く楽しさを伝える。もちろん、アイスクリームのうまさも。
|
日曜日にあった船団の会初夏の集いの句会に出た作品。「感電地帯」という言葉がおもしろい。万緑って、確かに感電しそうな感じがある。青葉のエネルギーに感電するのだ。
今年の船団初夏の集いは参加を会員に限定した集まりであったが、会員ではない子ども(幼稚園児と小学生)2人が出席した。もちろん、母親が会員である。
|
「枇杷」を反復したので「枇杷の種的フィーリング」がとても楽しいフィーリングになった。昨日に続いて船団の会初夏の集いの句会作品を紹介した。明子は奈良市在住。最近になって船団の会に参加した。
いよいよ枇杷の季節である。つい先日、熊本在の知人から天草の枇杷をもらった。大粒のその天草の枇杷が今年の初物であった。
|
戻る
|