俳句 e船団 今週のねんてん バックナンバー

ねんてんの今日の一句 バックナンバー

2010年8月20日
愛情その一・西瓜ならまず冷やす
塩見恵介

 今日は信州の佐久平で正岡子規の講座。2回目だが、熱心な人々が集まっていて気持ちよく話ができる。講座の後には黒姫高原などをまわり、つかのまの夏休みを過ごす。
 今日の句の作者は第2回船団賞(本年)受賞者。この句は句集『泉こぽ』(2007年)から引いたが、これが俳句?と思わせるところがこの作者の持ち味。この句も意外な文体だが、冷やす工夫を一生懸命にしている父や母を生き生きと想像させるだろう。

2010年8月19日
楠は水たまりのように晩夏
小枝恵美子

 今日は俳句の日。8月19日の語呂合わせだが、20年くらい前に俳句ラリーという行事をしたとき、仲間といっしょに今日の俳句の日を設定した。私は今日、伊丹市の鬼貫顕彰俳句表彰式である。小・中学生を表彰するのだが、伊丹市内のほとんどの児童・生徒が参加し、その句数3万に近い。
 今日の作者は第1回船団賞受賞者。句集『ベイサイド』(2009年)から引いた。

2010年8月18日
晩夏光拝みたくなる鼻である
児玉硝子

 時々、拝みたくなるような立派な鼻の持ち主に出会う。それにしても、目や耳でなく、鼻だけが拝みたい対象になるのはなぜ?
 今日の句、句集『青葉同心』(2004年)から引いたが、この句集には「おじいちゃんは生成りの匂い盆の月」があった。これはまさに現代版生身魂ではないだろうか。硝子は1953年生まれ。昨日の君代同様に刺激的な友人である。

2010年8月17日
朝顔や自分で立って咲きなさい
藪ノ内君代

 このように言われたら、ハイ、と朝顔は立つだろうか。立ったら面白いが。というような事を楽しみながら、君代の句集『風のなぎさ』(創風社出版)を読み直した。「ざぶざぶと洗う手足やカンナ咲く」「地蔵盆いつもの道のいつもの木」。こうした句を声に出していると、なんだか胸が広くなる。君代は1953年生まれ。私にとってはもっとも刺激的な若い友人の一人。

2010年8月16日
生御魂金槌提げて出て来られ
火箱游歩

 先日、生身(御)魂という季語を活かしたい、と書いた。あちこちで言いふらしているが、賛成する人と反対派とがいる。反対派の理由は、なんとなく老人くさいということ。でも、句集『雲林院町』にあるこの句など、実に生き生きとしている。金槌の仕事などは生身魂が一番うまくこなすのだ。では、わが世代の皆さん、来年また生身魂として会いましょう。
 写真はガーデンミュージアム比叡の睡蓮。

2010年8月15日
銀紙に包む晩夏の音ひとつ
石母田星人

 朝5時過ぎ、かなかなが鳴く。風が少し涼しい。今朝は晩夏か初秋か。かなり微妙な季節だが、この夏の思い出のいくつかを銀紙に包みたい気分が私にもある。この句、句集『膝蓋腱反射』(ふらんす堂)から引いた。作者は1955年生まれ。この句集には「犀がゐて紐の伸びきる暮の秋」という私の愛唱句もある。

2010年8月14日
盆三日仏と同じものを食ふ
下村志津子

 句集『可惜夜(あたらよ)』(角川書店)から。作者は1940年生まれ。中原道夫の俳句雑誌「銀化」に拠っている。盆の間、仏と同じものを食べるというただそれだけの句だが、3日だけの非日常がいいのではないか。「かなかなやほとけのものを煮炊きして」「亡き人としばらく染まる秋夕焼」も同じ作者の句だが、盆3日の非日常性を楽しんでいるようす。

2010年8月13日
昼すこし前の顔して生身魂
飯田晴

 「生身魂」は盆の時期の長老、またはその長老への贈り物を指す。今は季語としてしか生きていない言葉だが、見直しておおいに使ってもよい気がする。この句、句集『たんぽぽ生活』(木の山文庫)から引いた。作者は1954年生まれ、まだ生身魂ではないかも。

2010年8月12日
遠くから見ればハンサム百日紅
岩田由美

 「ハンサム」という喩えがいい。ちょっとした喩えひとつで詩ができる。それが俳句という小さな詩形の特色だが、この句などはまさにその例である。句集『花束』(ふらんす堂)から引いたが、「一つある薄き木影は百日紅」「百日紅撫でつつ好きになりにけり」もこの作者の百日紅の句。百日紅がとても好きで、それで時に百日紅がハンサムに見えるのだろう。実は私も百日紅が好きで、時々、幹を撫でる。くすぐりの木という異称のある百日紅は、撫でてやるとかすかに花が震える。

2010年8月11日
蟻に生まれ大きなものを運びゆく
櫻木美保子

 思わず笑ってしまった句。確かに蟻は大きな物を運んでいる。時には自分より大きい物も。蟻に比べると、私たち人間の運ぶものは小さいかも。しかも、クレーンやフォークリフト、宅急便などができて、大きな荷物を運ぶことが減っている。それで気づいたが、私は蟻に近いかもしれない。外に出るときはカバンが離せないし、カバンには使わないものがあれこれ入っていて重い。家人はときどき、なぜそんなに荷物を持つのか、と言う。私が蟻に見えているのかもしれない。
 今日の句、句集『だんだん』から引いた。作者は1948年生まれ。俳句雑誌「雷魚」に拠っている。

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