俳句 e船団 今週のねんてん バックナンバー
俳句 e船団 今週のねんてん バックナンバー

ねんてんの今日の一句 バックナンバー

2012年1月31日
陽だまりにきてマフラーを巻きなほす

赤坂恒子

 防寒のためのマフラーを暖かな陽だまりにわざわざ来て直す、その仕草に矛盾を感じておかしい。寒いところで直してこそマフラーらしいのに、と思ってしまうのだ。この句、「船団」89号の会員作品欄から引いた。「寒波急ごつた煮作る傍へまで」にも掲出句と同様のおかしみがある。寒波と暖かいごった煮の取り合わせがおかしい。作者は徳島県鳴門に住む。関西の句会に時折ふらりという感じで現れる。

2012年1月30日
ゆうぐれは不思議かな餅ふくれだし

橋關ホ

 夕暮れには餅がふくれる?いったいどういうことだろう。でも、夕暮れ、あちこちで餅がふくれるとしたらおもしろいなあ。まるでマンガだが。
 この句、昭和60年、關ホ82歳の年に出た句集『虚』にある。「蓮根の穴も二日の午後三時」「ふと思うことありて蟻ひきかえす」「西田幾多郎のごとく冬帽掛かりいたり」「春浅き渡り廊下を渡りけり」なども面白い。蓮根の穴や蟻へのこだわりに私はモーロクを感じる。モーロクとは「私」を越えて、あるいは「私」と関わりなしにうごめく言葉の力である。
 写真は先週の俳書展の風景。

2012年1月29日
数学が好きでこのごろ笹子来る

橋關ホ

 句集『和栲』(昭和58年)から。この句集は昭和59年に蛇笏賞を受けた。当時、關ホは80歳。『和栲』は話題の句集なのだが、読み返してみたらよいと思う句がほとんどない。というより、ほとんどの句が分からない。「階段が無くて海鼠の日暮かな」「仮名書きに生きて美貌のかたつむり」「青嵐口から先に生まれたり」。これらはいったい何だろう。俳句ってむつかしいなあ。
 掲出した句は数学が好きということと笹子が来るということの取り合わせがなんとなく面白い。先に挙げた句は取り合わせにつまずく。たとえば階段がないことと海鼠の日暮れにつまずく。そもそもこれって取り合わせ?

2012年1月28日
まごころを胸にホッカイロは脊中に

中井保江

 京都の朝日カルチャー句会に出た句。まごころとホッカイロの対照がおかしい。この人、近年、めきめきと力をつけてきた。
 先日、歌人の小高賢と対談をした。雑誌「短歌往来」用の対談だったが、話せばはなすほど短歌と俳句の溝が深くなる感じだった。彼には『老いの歌』(岩波新書)があり、歌は「私」が「私」を詠むのだと説いている。「私」を対象にして何が面白いのだろう、というのが私のそもそもの疑問であった。

2012年1月27日
子を叱るここという時きなこ餅

小西雅子

 先日の句会の話題作。きなこ餅をどうするのかが話題になった。叱った後で子の好きなきなこ餅を与えるのだろうという意見、あるいは叱る勢いをきなこ餅を食べてつけているのだろうという意見もあった。私は前者だが、もちろん後者の読みもいいだろう。それにしてもきなこ餅がこんなにも活躍する親子関係って珍しい。この作者、時々このような不思議な句を作る。
 京都・四条センターの俳書展が明日で終る。いろんな人に見ていただいてうれしい。佐藤喜孝の表装の洒落たセンスが好評である。

2012年1月26日
寒星やサクマドロップスのみどり

能城檀

 空の星と地上のドロップス。いい対照だ。なんだかなつかしい。この句、「船団」89号の会員作品欄から引いた。
 なつかしいと言えば、つい先日、兵庫県丹波市の柏原高校で高一の生徒を相手に講演をした。読書にかかわる講演だったが、生徒と対話するのが楽しく、予定の半分も話さないうちに時間切れになった。私のコレクション第1巻『カバヤ文庫の時代』に「ジュンスイケイケン」というエッセーや高三の時の詩集を収めているが、高校時代は特別だった。特別になつかしい時代である。

2012年1月25日
触れないで蕪のしっぽとまごころに

山本直一

 「まごころ」という兼題で作られた作品。先日の京都句会に出たのだが、まごころを蕪のしっぽと同格に扱ったところがおもしろい。ついつい重大視されるまごころだが、それだけに時々、それを相対化することが必要だろう。直一の句、見事なまごころの相対化だ。

2012年1月24日
まごころを固めて白い雪だるま

寺田良治

 先日の京都句会に出た作品。その日の兼題は私が出した「まごころ」だった。昨日の話題にした貞徳は「雪仏」で句を作っている。「ご門跡西からはどちへゆき仏」という具合。「ゆき仏」のゆきに「雪」と「行き」がかけてある。亡くなったご門跡を追悼した句だが、西(あの世)へ行ったご門跡は、これからどこへ行かれるのか、とあの世での行き先を想像した。雪仏が後に雪達磨になったらしい。

2012年1月23日
跡つくる人を踏まばや今朝の雪

松永貞徳

 先日、京都洛北の妙満寺で「雪の会」があった。この寺で本邦初の句会を開いた貞徳にちなむ行事。肝心の雪はなかったが、約30名が集まって貞徳をしのび、句会ライブを楽しんだ。寺の若い修行僧を巻き込んだここの句会ライブは一種の名物になりつつある。次は桜のころに「花の会」がある。今日の句、雪についた足跡を追っているようす。足跡を踏んで、その足跡をつけた人を踏んだ気分になっている。雪道の楽しさだろう。
 今日から四条センターの俳書展が始まる。佐藤喜孝の表装によって私の書(?)が実にすてき(!)に見える。
 写真は雪の朝。私の部屋の網戸越しに。

2012年1月22日
青空の冬木のように子規の文字

火箱ひろ

 青空の冬木はまだ堅い芽をびっしりとつけているはず。正岡子規の文字はその冬木のように見えるというのだが、この見方、子規好きとしてはとてもうれしい。大賛成だ。たとえば「仰臥漫録」の筆で書いた字はそんな感じがする。今日の句、句集『えんまさん』(編集工房ノア)から引いた。句集にはこの句の隣に「冬草にさくさくとした女の子」が出ている。ねばねばでなく「さくさくした女の子」っていいなあ。こんな子も子規の字に似ているかも。

2012年1月21日
セーターは手洗い男は丸洗い

小西雅子

 男を丸洗いするような女っていいなあ。そういえば、私はそんなタイプの女性にいつも魅かれている気がする。この句、句集『雀食堂』(2009)から引いた。
 今日は京都洛北の妙満寺で雪の会である。雪の句によって句会ライブをする。ゲスト選者は小西雅子と火箱ひろ。この2人、今日の京都を代表する女性俳人である。

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