2018年3月20日

老人の小走り春の三日月へ

西東三鬼

 句集『変身』にある1953年の作。情景は思い浮かぶが、どのような老人なのかが分からないので、想像はかなり恣意的になる。死んであの世へ小走りする老人を想像する人もありそう。片言性が強すぎると想像がやや恣意的になるが、この句はその例かも。(坪内稔典)


2018年3月19日

人に死し鶴に生まれて冴え返る

夏目漱石

 昨日と同じく「太陽」から。漱石の職業は作家。文具商、酒屋、八百屋、小間物屋、洋品雑貨商、呉服商、洋服屋、鼈甲商、書店、農業、養鶏業、網元、会社員、タイピスト、三越社員、軍人…。これらが俳人の職業の一部だが、「タイピスト」は桂信子である。代表作は「ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき」。(坪内稔典)


2018年3月18日

詩の如くちらりと人の炉辺に泣く

京極杞陽

 雑誌「太陽」1980年4月号には「俳人職業尽し」という記事があり、200名の俳人の職業と代表作が挙げてある。杞陽の職業は「華族」。もう一人、野村一閑郎という華族がいるが、こちらはどういう人か知らない。杞陽は豊岡藩14代当主で宮内省に勤めた。(坪内稔典)


2018年3月17日

春しぐれ一行の詩はどこで絶つか

加藤郁乎

 昨日の「太陽」から。郁乎は真光教の信者として紹介され、手をかざす写真が出ている。彼には「冬の波冬の波止場に来て返す」「昼顔の見えるひるすぎぽるとがる」という絶唱があるが、掲出した句は駄目になった郁乎の作。「春しぐれ十人とゐぬ詩人かな」もそうだが、季語と述懐を取り合わせた句をしきりに作るようになる、あるいはそのような句を自分の代表作と思うようになったとき、俳人は駄目になっている。(坪内稔典)


2018年3月16日

ふらここにただ腰掛けしばかりなる

加倉井秋を

 1980年4月の月刊グラビア誌「太陽」(平凡社)は「俳人とその職業」を特集、阿波野青畝、加倉井秋をから飯田龍太、中川宋淵までの32名を紹介している。ちなみに、青畝は当時81歳、一番若いのが48歳の馬場駿吉(耳鼻科医)。この雑誌が出たころ、俳人の職業(暮らしぶり)が興味をひくほどに俳句はブームになっていた。(坪内稔典)


2018年3月15日

春が来たなんにもせずに昼が来た

中谷三千子

 「春が来た」を「昼が来た」に「なんにもせずに」で転じる、その転じ方が妙。「増やしても足りない春のコンセント」も「船団」114号にある三千子さんの作。昨日、新しい講座を宣伝したが、大阪・梅田のNHK文化センターでは毎月第二金曜日に「一年で漱石を読む―6つの都市」を始める。これはタイトル通り、東京、京都、ロンドンなどをキーワードに漱石を読み直す。事前の勉強は不要、と講座案内にうたっている。(坪内稔典)


2018年3月14日

会議室へ議題は春の迎え方

川端建治

 「船団」114号から。しゃれた会議が始まるのだなあ、と明るい気分になった。4月から1年間、京都のNHK文化センターで「四季の文化―万葉集からお茶・俳句まで」という講座を始める。四季を核にした文化をちゃんと考えておこう、という次第で、いわば講師の自分を督励するような講座だ。興味のある方はどうぞ。(坪内稔典)


2018年3月13日

納豆を百回まぜて卒業す

内野聖子

 袴などの卒業着(卒業式用衣装)を着た若者を見かける。俳句では「卒業子」と呼ぶこともあるが、一般的には「卒業生」だろうか。その卒業生の中には納豆を百回まぜる子がいる、と想像すると楽しくなる。その子って、律儀極まる子なのかも。「船団」114号から引いた。作者は山口県の高校教師。(坪内稔典)


2018年3月12日

水取りや氷の僧の沓の音

松尾芭蕉

 「氷の僧」というイメージが見事。水取りの句は、今もたくさん作られているが、この句のレベル、あるはこの句の先を目指さないと意義がない。今日は東大寺二月堂のお水取り、関西地方はいよいよ春になるだろう。(坪内稔典)


2018年3月11日

ぶらんこのぐんぐん老いてゆく子かな

佐藤郁良

 「WEP俳句通信」102号から。すごいイメージだ。ぐんぐんとぶらんこを漕ぐ子がぐんぐんと老いてゆく。「鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし」(三橋鷹女)に匹敵するぶらんこの句の傑作だろう。この作者とは俳句甲子園で会った。教師として生徒を引率していた。いつのまにか俳人になったが、その作品にはあまり共感しなかった。平凡な印象だった。だが、このぶらんこの句には文句なく感動! これが詩としての俳句だ。(坪内稔典)


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