2018年6月20日

ふたまわり下の男と枇杷の種

池田澄子

 澄子さんのこの句、『読本・俳句歳時記』から引いたが、この句と並んでいるのは「びわは水人間も水びわ食べる」という私の句。つい先日、淡路島から枇杷が届き、指をたっぷりぬらして初物の枇杷を食べた。枇杷が大好きだ。「びわ食べて君とつるりんしたいなあ」も私の句だが、澄子さんの句にもつるりんを感じてしまう。というように書いたら、澄子さん、嫌がるかなあ。(坪内稔典)


2018年6月19日

ぶり返す夏風邪フランスパン乾く

長谷川喜代子

 このところ、『角川大歳時記・夏』によって「夏風邪」の句を話題にしてきた。この句も同書に拠った。夏風邪とフランスパンの取り合わせ、ぶり返すと乾くの動詞の照応などによって、夏風邪の厄介さや危機感をよく表現している。もっとも、夏風邪との親和感を欠く気がする。季語である以上は夏風邪に対する親和感がなくてはいけない。もしかしたらユーモアなどが親和感をもたらすかも。(坪内稔典)


2018年6月18日

夏風邪の長びいていし遠嶺かな

綾部仁喜

 この句は昨日の楸邨句に似ている。取り合わせが類想的に働いているのだ。この類想を越えることが俳句作りの腕の見せ所であろう。ちなみに、季語「夏の風邪」は典型的な都市の季語だ。病気にかかわる季語の多くは都市的だが、人が群れていることと病気が強く関わっているからだろう。(坪内稔典)


2018年6月17日

夏の風邪半月傾ぎゐたりけり

加藤楸邨

 傾いでいる半月が、夏の風邪の気分を表現している。つまり、夏の風邪と半月を取り合わせたことで俳句的空間がうまく形成されたのだ。昨日の虚子の句と比べると、俳句的空間の作り方に差がある。もちろん、楸邨の方がすぐれている。(坪内稔典)


2018年6月16日

夏風邪のなかなか老に重かりき

高浜虚子

 虚子の俳句の特色の一つは、当たり前なことを当たり前に表現すること。この句などもその例だが、時に「この句どこに詩がある?」と思う場合がある。この夏風邪の句はどうだろう。あまり詩を感じなく、私にとっては駄作だ。
 実は今週は夏風邪の週だった。月曜に変調を感じ、火曜日に38・5分の熱が出て、定期の講座の出講を取りやめた。水曜日は無理して講座に出たが、喉が痛くなって声が詰まるようになった。約束などをキャンセルして休養体制に入り、木曜日にはかかりつけの医院で薬を処方してもらった。金曜日は薬が効いてかなり楽になった。(坪内稔典)


2018年6月15日

緑愁やたれにも会はぬ森のみち

友岡子郷

 句集『海の音』(朔出版)から。緑愁という言葉が新鮮。緑色に染まった愁いがたとえば梅雨時の林や森、あるいは野ではありそう。万緑に精神の高揚する人があるかと思えば、逆に圧倒されて落ち込む人もある。後者には「緑愁」が親しいかも。(坪内稔典)


2018年6月14日

梅雨寒しピストルといふ形かな

皆吉司

 『船団の俳句』(本阿弥書店)から引いた。梅雨寒という現象に形を与えるとしたらピストルだ、というのであろう。なんとなく不穏だが、自然の営みというものはいつも不穏だ。こういう言い方は老人的悟り(老人の浅知恵)か。(坪内稔典)


2018年6月13日

黒南風や船になる木の大きくて

二村典子

 季語「黒南風」は梅雨のさなかの湿っぽい南風、それに対して白南風は梅雨明けのころのからっとした南風。この2つの南風、今はもっぱら季語として使われているだけだが、もっと広がればいいなあ、と思っている。白南風の日、木陰のカフェで仲間と談笑するなんていいではないか。今日の句、『船団の俳句』から引いた。(坪内稔典)


2018年6月12日

梅雨茸一瞥投げて総会へ

稲畑廣太郎

 6月は株式会社の総会が多い。株主の眼が梅雨の茸に向けられているのか。自解によると、日本伝統俳句協会の総会らしい。それでは面白くないが、この句の『一瞥投げて』というやや奇妙な言い方は大荒れの予想される〇〇株式会社の総会の方がよい。瞬間の視線のきびしさ、それが「一瞥投げて」だと思う。(坪内稔典)


2018年6月11日

休日の朝さくらんぼ香り来る

稲畑廣太郎

 『俳句日記2016 閏』(ふらんす堂)から。いい句として挙げたわけではなく、この本にある6月11日の句を引いたのである。休日、さくらんぼ、香りと同質の幸せ感の漂う語が並んでおり、決して出来のいい句ではない。でも、毎日詠むとしたら、ある日にはこのような月並み句を詠んでしまうのかも。(坪内稔典)


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