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2017年5月29日

東京の右目のあたり蛇を踏む

秋月祐一

 川上弘美の傑作小説「蛇を踏む」を連想するが、さて、東京の右目のあたりとはどこだろう。「蛇を踏む」とは思わず踏んでしまったのであり、意図的に踏むのではない。つまり、踏んでびっくりするのが「蛇を踏む」だ。これ、夏の季語として使えそう。祐一さんの句は「船団」111号から引いた。


2017年5月28日

唇噛んで阿修羅は若し朝の虹

山田孝子

 机の前の壁に阿修羅像の写真を貼っている。興福寺のそれだが、唇を結んでいるが、噛んでいる感じではない。今日の句を見て、興福寺で確かめてこよう、という気分になっている。昨日に続いて『昭和俳句作品年表』から引用した。


2017年5月27日

新緑のアパート妻を玻璃囲い

鷹羽狩行

 昭和34年の句。『昭和俳句作品年表』(東京堂出版)では、この句と並んで「金亀子(ぶんぶん)に裾つかまれて少女妻」が出ている。壊れ物のような危うい妻の存在感、それが2句を生き生きとさせている。ちなみに、この句を収めた本は現代俳句協会が編集したもの。題名通り、年度ごとに俳句を掲げた俳句年表である。


2017年5月26日

ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ

田島健一

 22日に「老いぬくぽ」のかたちで取り上げたが、その句形は「俳句四季」6月号33ページに従った。「俳句四季」は誤植だったようなのであらためて句集『ただならぬぽ』の句形を掲げる。ただ、私としては「老いぬくぽ」の方がおもしろい。老いた海月というイメージに魅かれるのだ。


2017年5月25日

夏蜜柑剥きたる皮の小舟めく

金子敦

 句集『音符』から。剥いた皮が小舟だと見る見方がおもしろい。ただ、私としては「小舟めく」に不満がある。なぜ断定しないのだろう。断定すると現実をきっぱりと離れる。小舟になった皮に責任を持たなくてはならなくなる。俳句の言葉が生きて動き出すのはその時だ。と、思わない? 敦さん。


2017年5月24日

とんかつに千切りキャベツなだれこむ

金子敦

 句集『音符』(ふらんす堂)から。「なだれこむ」がこの句のポイント。そこがいいかどうかで評価が分かれるだろう。町のとんかつ屋に入ると、大量の千切りキャベツが出てくる。いつもその量の多さにうわっと思うが、そのうわっと思う感じが「なだれこむ」だろうか。「とんかつが千切りキャベツになだれこむ」ではいけない?


2017年5月23日

音楽噴水今偶然のこどもたち

田島健一

 「俳句四季」6月号の座談会「最近の名句集を探る」で取り上げられている句。筑紫磐井さんは、〈場所は公園の中のようだけれど、「音楽」「噴水」「偶然」「こどもたち」は繋がりそうで繋がらない。わざと異質なものを繋げていこうとしているのかなと思いました〉と述べている。多分そうだろう。鳴り響く音楽も噴き上げる噴水も、そしてはしゃぐ子どもたちも今という偶然に存在する。というように読むと、少し理屈に合いすぎる句かも。でも、並べただけで言葉たちが勝手に交響するおもしろさをこの作者はよく知っている。


2017年5月22日

ただならぬ海月ぽ光老いぬくぽ

田島健一

 昨日の続きである。「ぽ」は海月の名前、あるいは海月のある状態を示すオノマトペとも読める。「老いぬく」には老いると追い抜くがかかっているか。私としては「ただならぬ海月ぽ老いた海月ぽ」くらいで止めて欲しかった。「海月ぽ」だけで十分に俳句(詩)を構成できるから。複雑にし過ぎると失敗する。というか、読者を締め出してしまう。


2017年5月21日

蛇衣を脱ぐ心臓は持ってゆく

田島健一

 「俳句四季」6月号から。この雑誌には座談会「最近の名句集を探る」があって時々読む。もっとも座談会名の「名句集」には違和感がある。名句集が毎月毎月あるわけはない、と思うから。
 今日の句、『ただならぬぽ』にあるのだが、「蛇衣を脱ぐ」という季語と「心臓は持ってゆく」の取り合わせ。これ、蛇のことなのか、あるいは蛇の皮を見た人の気持ちなのか。いや、蛇と人とが重なった物語なのか。おそらく物語なのだろう。


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