俳句 e船団 今週のねんてん バックナンバー

ねんてんの今日の一句 バックナンバー
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2009年5/18から

2010年9月6日
熊楠はコスモポリタン草の花
桑田多恵子

 さる4日、よみうり文化センターの吟行会で南紀に行った。白浜でクエを食べ、南方熊楠を訪ねたのである。クエは養殖された磯魚だが、淡泊でうまった。熊楠については白浜の記念館、田辺の旧居(顕彰館)をまわり、旧居では顕彰館館長・中瀬喜博さんのミニ講義を受けた。「熊楠はアンパン好きで虫好きで」(藪ノ内君代)、「水澄んで熊楠履歴書天高し」(陽山道子)、「イケメンの熊楠がゆくきのこ坂」(蔵前幸子)、「熊楠の林中裸像秋暑し」(藤本晉)。私は「熊楠はすてきにくどい雲は秋」と作った。
 写真は白浜・千畳敷の吊り人。

2010年9月5日
船の着くぐらりと海月あつまりぬ
間中恵美子

 私の思い出の中の晩夏、あるいは初秋の桟橋は、確かにこの句のようであった。海月がたくさん集まっていた。この句、『間中恵美子集』(俳人協会)から引いた。作者は1937年生まれ、俳句雑誌「門」に拠っている。
 「あをぞらがぞろぞろ身体に入り来てそら見ろ家中あをぞらだらけ」。先月他界した河野裕子さんの歌である(歌集『母系』)。彼女は死んだというよりも青空へ移動したのかもしれない。

2010年9月4日
キスのあと流星群の音がする
福井麻希

 「韻俱」3号から。この雑誌は木村和也を囲む池田句会の発行である。先日、その句会に招かれて出席した。伊丹空港近くの新しいホテルであった句会は、いかにもキムカズ風にテキパキと進行した。その句会の後で配られた「韻俱」で今日の句を見つけた。壮大なキスだなあ、いいなあ、と思った。「カクテルのチェリーがひとつ残る夏」も同じ作者の句。

2010年9月3日
新涼の川の岐るるところかな
須田保子

 昨日に続いて新涼の句を挙げた。この季語、今では俳句でしか使われないが、もちろん、漢詩などに典拠のある古い言葉だ。秋になって、いかにも秋だなあ、と感じる涼しさが新涼。もう暑さからは開放された気分がそこにはある。この句、句集『方寸』(2004年)から引いた。保子は私の同年生。このところ、会う機会がない。どうしてる?

2010年9月2日
新涼の新老人のゆで卵
中原幸子

 新老人とは、たとえば65歳になった人か。いや、今ごろは65歳ではまだ老人とは言わないかも。ともあれ、今日の句の新老人は自分で新老人だと意識している人。その新老人がつるつるのゆで卵をむいている(あるいは食べている)。新涼の気分を「新老人のゆで卵」に感じているのだ。この句、作者の第2句集『以上、西陣から』(2006年)にある。「秋夕焼け川に魚がいるかぎり」もこの句集にある美しい句。
 はやくも9月。実は軽井沢にいる。今夜は佐久平へ移動して名物の鯉を食べる。明日は午前に海野宿を歩き、午後に講座を果たしたら大阪へ。私の夏休みが終わる。

2010年9月1日
老人にもたれてねむる鰯雲
杉山久子

 この句、いい構図だ。眠るのは少女か娘、老人はいやらしくない大人の男。句集『鳥と歩く』(ふらんす堂)から引いた。
 茂木健一郎と黛まどかの対談集『言葉で世界を変えよう―万葉集から現代俳句へ』を読んだが、書名から分かるように話がやや粗っぽい。茂木は「日に溺れ風につまづき冬の蝶」(まどか)を絶賛するが、これって、実に平凡というか季語「冬の蝶」をわざわざなぞったような句としか思えない。ウィトゲンシュタインの私的言語への言及など、脳科学者の茂木は面白いことを言っているのだが、彼の俳句に対する、あるいは俳句的表現に対する認識は極度に貧しいかも。

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