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2017年9月26日

秋の日のあちらこちらに猫の餌

渡部ひとみ

 「船団」112号から。この世が猫の世界になったのか。猫の餌は人間だったりして。
 筑紫磐井さんの『季語は生きている』を読んで、あっ、と思ったことがある。「季題の新しい歴史は、子規の亡くなった後から大きく動き出すのである。」(87頁)という指摘だ。子規の死後、俳句が「季語の詩」へと傾斜していった、ということだろう。このあたりは私のエッセー「俗語の詩」(「船団」114号)を見てほしい。


2017年9月25日

死体役すいっと起きて星月夜

原ゆき

 なんともおかしい。不気味でもある。星月夜の不思議な感じをとてもうまくとらえた。この句、「船団」112号にあるが、ゆきさんの傑作かも。
 昨日、筑紫磐井さんの本を紹介したが、彼自身の季語や俳句のとらえ方には賛成しがたいものもある。たとえば、「鶏頭の十四五本もありぬべし」を「子規の一代の名句」と書いているが、えっ、ほんと?と思わざるをえない。虚子の一代の名句として筑紫の挙げる「箒木に影といふものありにけり」にしても俳壇的名句に過ぎないのではないか。


2017年9月24日

あの世へは出たとこ勝負とろろ汁

山口久子

 私もこの句の気分なのだが、話したい、いっしょに何かをしたいと思っていた人が不意にあの世へ出てしまうことが多い。多いと言うか、増えているのだ。この句、「船団」112号にある。
 筑紫盤井さんの『季語は生きている―季題・季語の研究と戦略』(実業公報社)は、季語の歴史を整理してくれた本。定価1000円のまれにみる安い本なのでぜひ購入して通読することを勧める。


2017年9月23日

曼珠沙華落暉も蕊をひろげけり

中村草田男

 「落暉」は夕日。地上の曼珠沙華も空の夕日も蕊を広げ、まるでこの世が彼岸に変じた感じ。手元の『読本・俳句歳時記』(産調出版)によると、曼珠沙華の異称は彼岸花、死人花、幽霊花、狐花、捨子花。この花は墓地などに多いまがまがしい花だったのだ。それが今では公園や庭に植えられている。曼珠沙華は一変した。


2017年9月22日

違和感こそがアーティストをアーティストたらしめている原感覚ではないでしょうか。

鷲田清一

 この「違和感」を「何か気持ち悪い、居心地が悪い」感覚だと鷲田さんは述べている。ゴリラの研究で知られる山極寿一さんとの対談『都市と野生の思考』(集英社インターナショナル新書)から。俳句を作る私の感覚も鷲田さんの言う違和感に近い。俳句は現代美術に近い、とかねがね言っているが、違和感という点でも近い。もっとも、私の以上のような考えには、俳句界の多くが違和感を持つかも。


2017年9月21日

ジェラートのてっぺんにある残暑ペロ

中井保江

 句集『青の先』(ふらんす堂)から。昨年に出たこの句集、宇治市の第27回紫式部市民文化賞を得た。表彰式が11月19日にある。今日の句、「残暑ペロ」の軽さがいいなあ。
 ついでだが、「船団」114号の特集「現代俳人論」につて、そこで取り上げた俳人の俳句よりも「船団」に載っている句のほうが面白いし刺激的、というハガキをある人にもらった。そうだよな、と私も思っている。


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