俳句 e船団 今週のねんてん バックナンバー

今週のねんてん バックナンバー

2009年5月17日号
水こんこんと野茨の花咲いて

青柳志解樹

 水がこんこんと湧いている。そのそばにこんこんと野茨が咲いている。大地の生命が水と野茨の花になって噴き出した感じ。破調はその生命の生々しさだ。この句、水と野茨を「こんこんと」という言葉を媒介にして取り合わせた秀句。『青柳志解樹の花俳句つれづれ』(邑書林)から引いた。
 津の三重県立美術館で開かれている「元永定正展」(今月末まで)を見た。具体美術協会で活躍した1922年生まれのこの抽象画の作家は、年齢を重ねるとともにその抽象度がシンプルで透明、しかも楽しくなる。構図や色調にユーモアも帯びる。すごい画家だ。
 写真は秋田県角館の武家屋敷通り。
秋田県角館の武家屋敷通り

2009年5月10日号
行く春の聞くは醤油のありどころ

佐藤文香

 今年度の「宗左近俳句大賞」は佐藤文香の句集『海藻標本』(ふらんす堂)に決まった。若い人の作品はとかく独善に陥りがちだが、この句集には独善という傲慢さを感じない。それを私は、第二芸術論の洗礼を浴びて出発した戦後俳句の一つの成熟と見て高く評価した。
大原・寂光院の建礼門院御陵に至る石段
 新潟で「宗左近俳句大賞」の選考を終えた後、酒田、秋田を回わり、角館や男鹿半島を楽しんだ。写真は男鹿半島の椿自生北限地の神社の石段。椿漁港というところにこの北限地がある。


2009年5月3日号
ゆく春や肩の力を抜いたまゝ

本村弘一

 連休のこの週は29日に新潟で雪梁舎俳句まつりがある。金子兜太、黒田杏子、中原道夫の4人で公開審査、宗左近俳句大賞の句集を決める。6冊がノミネートされているが、さて、今年はどのような結果になるだろう。この新潟の行事の後、できれば酒田、秋田へまわり、ゆく春を追いたいと思っている。
大原・寂光院の建礼門院御陵に至る石段
 弘一の句は句集『ぼうふり』(沖積舎)から。写真は大原・寂光院の建礼門院御陵に至る石段。しだれ桜が散っている。


2009年4月26日号
目がまはる青葉がまはる空まはる

火箱游歩

 たとえば楓や楢、柿のこずえを下から見上げる。すると、この游歩の句の感じになる。
九州・中津の福沢諭吉の家の柿
 京都の珍しい場所をゆっくりめぐる京都探訪という吟行を続けているが、先週は嵯峨野へ。常寂光寺、二尊院、厭離庵などの新緑を楽しんだ。句会は二尊院のうぐいすの声がよく聞こえる座敷で行った。この会、次回は洛外へ出て、宇治川の鵜飼へ行く予定。その予定の話で嵯峨野豆腐を食べながらの二次会が盛り上がった。ともあれ、どこへ行っても新緑のすがすがしい季である。
 游歩の句は句集『雲林院町』から。写真は昨年の今頃、游歩たちと行った九州・中津の福沢諭吉の家の柿。


2009年4月19日号
春の月眠りしままが運ばれる

中居由美

 今週の句は句集『白鳥クラブ』から引いた。天上のおぼろな春の月、そして地上の子を運ぶ光景、その取り合わせが見事に決まり、宇宙の空気の満ちた575音の風景が見事に紡がれている。由美は1958年生まれ。四国・松山に住む。
双柿舎(熱海市)の柿の芽吹き
 『白鳥クラブ』をはじめとする創風社出版の新書版句集が人気である。藤田亜未『海鳴り』、藪ノ内君代『風のなぎさ』、朝倉晴美『宇宙の旅』、わたなべじゅんこ『seventh_heaven@』、中谷仁美『どすこい』、三好万美『満ち潮』、小西雅子『雀食堂』が出ているが、どの句集もまず清新、そして闊達である。若い友人たちのその活躍ぶりがとてもうれしい。
 写真は双柿舎(熱海市)の柿の芽吹き。


2009年4月12日号
桜散る火星の水が動くとき

小西雅子

 桜と火星の水の取り合わせ、散ると動くも対応している。眼前の桜が散って、「あっ、今、火星の水が動いているのだ」と感じる、その感覚は宇宙的ですごい。この句を知った後には落花が今までとは違って見えるだろう。句集『雀食堂』(創風社出版)から引いたが、この句集、取り合わせがとても冴えている。雅子は1954年生まれ。京都市伏見区に住む。
 写真は京都市動物園のツグミと飼育係のワタナベさん。
京都市動物園のツグミと飼育係のワタナベさん

2009年4月5日号
やどかり歩く太陽も歩き出す

小枝恵美子

 やどかり(寄居虫)と太陽を取り合わせた句。海辺(地上)と空(太陽)の景色の取り合わせでもある。しかもこの2つの景色は「歩く」という共通点を持っている。やどかりは気どって「あなたは僕の太陽だ」などと言い出しそうな感じで歩いているし、太陽はやどかりを見降ろしながら、やどかり的によたよたしてみたり……。なんだか世界が原初的活気に満ちているではないか。この句、製作中の恵美子の新句集『ベイサイド』(ふらんす堂)の巻頭にある。
奈良県二上山の登山道
 写真はつい先日の奈良県二上山の登山道。


2009年3月29日号
桜までダリの時計を吊りにゆく

塩見恵介
横浜・山下公園の赤い靴の少女像
 取り合わせとはAとBを組み合わせること。その組み合わせは新しい世界を作り、未知の感覚や認識の出現を可能にする。つまり、もっとも原初的な創造の方法である。あるいは、発想や認識を新しくする端的な方法と見てもよい。
 この取り合わせを、言葉において効果的に発揮できるのが俳句。俳句の短さが取り合わせを活かすのである。たとえば、掲出した恵介の句では、桜とダリの絵のような時計が取り合わされている。もちろん、吊りに行くという行為(意志)が取り合わせの接着剤だ。その取り合わせによって桜もまたダリ的に歪む。世界が歪むのである。恵介のこの句、句集『泉こぽ』にあり、1971年生まれのこの若い俳人の代表作だ。
 写真は横浜・山下公園の赤い靴の少女像。


2009年3月22日号
木蓮と若き母とがこのあたり

三好万美
 木蓮と若い母との取り合わせが「このあたり」をとても魅力的にしている。「このあたり」は、もちろん、木蓮の咲くそばである。しかも木蓮は咲き始めたばかり。この句、出たばかりの句集『満ち潮』(創風社出版)から引いた。
日南海岸の石蕗畑
 ところで、3月13日の朝、挑戦状が届いた。「e船団」の「日刊この一句」。塩見恵介は「取り合わせはあくまでスタートの技法」と言い、取り合わせで句を作る「仲間」を「退屈」だと断じている。私は取り合わせを俳句のもっとも基本の方法と考えて実践してきた。そういうことを知っているはずの塩見は、「憚らずに今日は言っちゃおう」と前置きして先の発言をした。彼と対決せざるをえないではないか。
 写真は日南海岸の石蕗畑。石蕗を栽培していることに驚いた。私の故郷では畑の縁などに自生している石蕗を採取した。


2009年3月15日号
春北斗畔への一歩やはらかし

今井 聖
 今井聖は1950年生まれ。加藤楸邨に師事して俳人になった。今は俳句雑誌「街」を主宰している。その聖の俳句的自伝が『ライク・ア・ローリングストーン―俳句少年漂流記』(岩波書店)という本になった。私なども登場し、少し気恥ずかしいが、「ああ、自分を回想する年代になったのか」とややしんみり。聖の句は句集『バーベルに月乗せて』(2007年)から引いた。
琵琶湖東岸から比良山を望む
 写真は琵琶湖の東岸(守山)から比良山を見た風景。近江八景を訪ねる会を始めており、これはいわゆる「比良暮雪」。


2009年3月8日号
草餅をひょいと置きたる本の上

中居由美
 松山の中居由美の句集『白鳥クラブ』(創風社出版)が出た。秀句が並ぶ。「春愁もヤクルト一本分くらい」「春の月眠りしままが運ばれる」「花の昼とはこんなにも眠い耳」など。
阿蘭陀耳菜草と種漬花
 写真はオランダミミナグサとタネツケバナ。一ヶ月前に松山市役所前の広場で撮った。この写真を撮った日、由美や三好万美とコーヒーを飲んだ。万美の句集『満ち潮』も同じ出版社から近く出ることになっており、句集論が弾んだ。未知の読者に出会う機会が句集かも、と私は話した。


2009年3月1日号

小説という表現形式のたのもしさは、マヨネーズ
をつくるほどの厳密さもないことである。


司馬遼太郎

 今週の言葉は「坂の上の雲」のあとがきの書き出し。いいなあ、このような軽やかな思考は。司馬にならって言えば、「俳句という表現形式のたのもしさは、春キャベツをきりきざむほどにたやすいことである」とでもなろうか。俳句を作ることを特別視したくない。それは特権でも権威でもない。ただただ楽しみである。
愛媛県立とべ動物園のカバ、ハグラー
 写真は愛媛県立とべ動物園のカバ、ハグラー。松山で「坂の上の雲」について話した翌日、ひとりでこのハグラーを訪ねた。早春の水をかき分けてハグラーはのびのびと泳いでいた。

2009年2月22日号

春風や聖者に似たる河馬の顔

後藤比奈夫

 この写真、何か分かるだろうか。京都市動物園の河馬、ツグミである。このところ、新聞や雑誌の取材でこの動物園に行くことが多く、ツグミに何度か餌をやった。先日は餌をやったついでに口のまわりや鼻筋などを撫でてやった。飼育係のワタナベさんが、ツグミもネンテンさんもほぐれてきました、と言った。ツグミとすっかりいい仲になった、そんな気分だ。
京都市動物園・カバのツグミ

2009年2月15日号

崖急に梅ことごとく斜なり

正岡子規

 梅の季になった。子規の句は明治29年の作。水戸の偕楽園に句碑になっている(写真)。
 今週の私は2つの博士論文の審査をする。中原中也、正岡子規を研究した若い人の論文が対象だ。やや難解な論文を読んでいると、早咲きの梅の気分になるような。
水戸の偕楽園・子規の句碑

2009年2月8日号

岩に置く顎岩になり冬の河馬

 今週は4日が立春。暦の上ではいよいよ春である。実際はここしばらく厳寒の日々が続くであろうが、春になると思うとわくわくする。私は春好きだ。
日立市・かみね動物園のカバ
 写真は茨城県日立市のかみね動物園のカバ。小著『カバに会う』に書いたようにこのカバたちの右手には太平洋が広がっている。カバたち、皮膚が皹割れていかにも「冬の河馬」という風情だ。句は『ぽぽのあたり』にある私の旧作。

2009年2月1日号

賀の梅の白からむとし雪に触る

阿波野青畝
 青畝を読む会の冬の例会があった。今回は西宮市にある阿波野邸の近くの公民会で青畝句集『国原』を輪読、それから阿波野邸にお邪魔した。復元した青畝の書斎で、当代の夫人からいろいろと話をうかがい、楽しいひとときを過ごした。掲げた句は庭の句碑に刻まれている。写真はその句碑。次回は3月20日の春分の日に奈良の二上山に登る予定。
阿波野青畝邸・青畝の句碑

2009年1月25日号

都会から消えた「ふく」という古語は、都会から遠い地方に残って今も悠然と生きつづけてゐる。

高野公彦
大阪府・「箕面茶寮」の正月飾り
 高校時代、「〜をば」を連発した私は、「をばの坪さん」とからかわれたが、古典文法を習い始めたら、この言い方がまっとうな日本語だと知ってうれしかった。柳田國男は、都の言葉が辺境に生き続ける方言周圏論を唱えたが、「をば」は昔々の都の言葉が四国の半島になお生きていた例なのだろう。
 このところ、高野公彦の『ことばの森林浴』(柊書房)を楽しんでいる。言葉にかかわる短いエッセーを集めたもの。たとえば「ふく」の話題を読むと、今すぐにでも河豚を食べたくなる。
 写真は近所にある料亭「箕面茶寮」の正月飾り。

2009年1月18日号

ひよこりひよこりとはいへ動く右の足
さし出すことぞ歩むといふは


竹山 広

 竹山広の歌集『眠ってよいか』(ながらみ書房)から引いた。この歌人、1920年生まれだから、当年89歳。「あとがき」に脳出血により「行動の自由を奪われてしまった」とある。「要介護などと認定さるるとも俺は生きるぞよろしいか妻」「挟んでは口におし込みゐるうちに減りてくださる一碗の飯」「揉みはじめたる足首をふいに掴む妻よこのまま天にゆかうか」。悲惨な病状なのだが、ユーモアが漂っているのがうれしい。「よろしいか妻」「減りてくださる」などがそのユーモアだが、私はこのユーモアから寒中の柿を想像した。去年は柿が成り年で、放置された柿の実がまだ落ちないであちこちの梢に残っている。写真の柿は大津市坂本の日吉神社の猿柿(さるがき)。柿の原種で樹齢500年だという。
大津市坂本・日吉神社の猿柿

2009年1月11日号

うんしょ。うんしょ。しかし、まだ、先は遠いのだろうか。

『宿屋めぐり』(町田康)

比叡山山頂の雪景色
 元旦に比叡山に登った。といっても坂本からケーブルカーで登ったのである。大黒天のおみくじを引いたら凶だった。なんだか気分が悪くなった。帰りは八瀬に下り、出町柳に出て下鴨神社に詣でた。そこでまたおみくじを引いたら末吉。翌日、近所の例年参る神社に行った。またもおみくじを引いたら大吉。急速に気分がよくなった。
 正月休みに読もうと思って町田康の長編小説『宿屋めぐり』(講談社)を買った。引用した言葉は最初の頁にある。ここから最終頁の602頁までははるかに遠い。
 写真は比叡山山頂の雪景色。樹木がやわらかな雪にくるまれていた。

2009年1月4日号

老いゆくによきことなどは少なけれど
正面向きて本音は言へる


河野裕子

 新年の私の気分は河野裕子の歌の通り。「正面向きて」がことに肝要だ。ちなみに、河野のこの歌は新歌集『母系』(青磁社)から引いた。母の死が主題になった歌集だが、死は縁起の悪いことではない。この歌集には死んでゆく母を詠んだリアルな歌があるが、そのリアルさは、深々とした時空へ開いている。つまり、死が時空を深くしている。次の歌など、とりわけ時空が深い。「ゆつくりと空を渡りてゆく月に匂ひあり向き合うて吸ふ」。接吻しているのだが、相手は人か月か、時空そのものか。
田辺市・南方熊楠邸の庭のセンダンの木
 写真は和歌山県田辺市の南方熊楠邸(今は熊楠記念館)の庭にあるセンダンの木。熊楠はこの木の淡紫の花を愛した。

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