2020年5月31日

びわの水

 表現は、読者との文脈のすりあわせである。読者は同時代とは限らず、少し後の時代の人かもしれない。例えば浮世草子の時代の人ならば、「びわ」や「水」をどのような文脈へとつないだのだろうか。
 「びわの水」と「人間の水」は同様に水のはずだが、びわを食べると、からだが清澄になり、びわと人間は同化していくようだ。びわは梅雨のころ、水の季節が食べごろである。
 びわで思い出すのは麦畑。麦の収穫の時期、麦秋の黄金色は梅雨直前の風景であった。麦秋は、小津映画の記憶でもあるが、田舎に育った筆者にとっては、黄金色と麦の匂い、いつ蛇が出てくるかもしれない麦畑の記憶である。その隣にあったのが、オレンジ色のびわがたわわになる大木であった。お腹をこわすから子どもはあまり食べてはいけない、と言われていた。これもよくお腹をこわした記憶とつながるひとつの文脈である。

(鈴木ひさし、「船団の会」会務委員)


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