週刊:新季語拾遺 最近のバックナンバー
2002年12月29日

セーター(せーたー、sweater)

 セーターを愛用している。近年は冬の大半の日々をセーターで過ごす。大学での講義などもセーターのまま。
 セーターを季語とした早い歳時記は大正3年刊の『新撰袖珍俳句季寄せ』。セーターは大正期の都市のサラリーマンなどにまず好まれたのだろう。ついでだが、昭和48年発行の『図説俳句大歳時記』には「正式な場所へは着て出られぬのが常識」だと説明している。職場やパーティーが正式な場所だとしたら、私などは常識はずれ。
 ところで、1億円で来期の契約をしたプロ野球のイチロー選手は、大金の使途をたずねられ、いいセーターを買いたい、と答えたらしい。新聞でそんな記事を見て感動した。セーターファンとしてもうれしかったが、それよりもなによりも、無理のない自然体の発想が素敵。私にとっては今年一番の感動だった。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年12月26日)


2002年12月22日

冬籠り(ふゆごもり、fuyugomori)

 冬籠(ごも)りという季語が死語になった感じがする。冬籠りをするよりは、スキーに行ったり、海外の暖かい国へ旅行するというのが当世風だ。
 「人間の海鼠(なまこ)となりて冬籠る」は寺田寅彦の俳句。今、私は机上に彼の随筆集を積んでいる。日本の物理学を開拓したこの科学者は、一方で漱石・子規に学んだ文筆家だった。学生時代の寅彦は、牛頓という筆名で「ホトトギス」に文章を発表した。牛頓はニュートンをもじった名前。後に寅彦は吉村冬彦、藪柑子(やぶこうじ)の筆名を用い、多くのすぐれた随筆を書いた。
 スキーも旅行も好まない私は、この年末から正月にかけて、いささか古風に冬籠りをする算段。その冬籠りの友に寅彦の随筆集を選んだ。「先生の銭かぞへゐる霜夜かな」は冬籠りをする寅彦の自画像。こんなわびしさもいいではないか。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年12月25日)


2002年12月19日

大根(だいこん、daikon)

 西島一雄さんは85歳。私の俳句教室の長老だ。いつも教室の最前列に座っている。先日、その西島さんが「親指は数えるときにまず最初」という句を作った。そのとおりであるだけにおかしいが、季語がないので締まりに欠ける。最近の西島さんは時々季語を忘れる傾向がある。私が「親指は数える最初十二月」と直すと、仲間の1人が「西島さん、先生に大根1本!」と叫んだ。
 野菜の栽培をしている西島さんは、四季折々の作物を教室の仲間に分けてくれる。大根作りがことに自慢で、今年は品評会で入賞した。だから、教室でのこの人のあだ名はいつからか大根翁である。 この数日、わが家の夕食は大根中心。風呂(ふろ)吹き、大根サラダ、大根葉の炊き込みご飯など、私の好物のメニューが続いている。もちろん、材料は大根翁から届いた見事な大根。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年12月19日)


2002年12月15日

寒がり(さむがり、samugari)

 東北地方の冬の電車に感心している。停車中、乗客がボタンを押して、ドアの開閉が自由にできるようになっているから。私が利用している京都の電車は、通過する特急電車などを待つ間、風や雪がいくら舞い込んでもドアは開けっ放しだ。
 京都は底冷えがひどいが、学生時代の寮に北海道から来た友人がいた。ある日、「寒くて寝つけない」と話したら、「真っ裸で寝るといい。北海道ではだれでもそうだ」と言った。彼の言うとおりにしたら、翌朝は熱が出て起きられなかった。寒がりの体質のせいか、とあきらめた。先日、この話を北海道でしたら、「かつがれたのですよ」と地元の人に笑われた。
 「うつむいて膝(ひざ)に抱きつく寒さかな」は夏目漱石の俳句。なんともおおげさなしぐさが特色の句だが、漱石も寒がりだったのだろう、きっと。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年12月18日)


2002年12月12日

火事(かじ、kaji)

 火事はいつでも起こるが、季語としては冬。今はともかく、昔の冬は暖房などで火を使うことが多かったから、実際に火事が頻発したのであろう。
 身近に火事を体験したことが2回ある。1目は高校の教師として宿直していた際。夜半に外が騒がしいので目が覚めたら、あたり一面真っ赤だった。使っていない古い木造校舎が炎を噴いていた。すでになすすべもなかったが、翌朝、校長にねぎらわれて酒1本をもらった。取り壊す予定の校舎だったので、校長にとってはうれしい火事だったらしい。
 2回目は家の前の工場の火事。私はおろおろして持ち出すものを用意したが、カミさんや娘たちはそんな私を尻目(しりめ)に窓に身を乗り出して見物した。カミさんは「焼けるときには焼ける。じたばたしても仕方がないわ」と言った。びっくりした。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年12月12日)


2002年12月8日

枇杷の花(びわのはな、biwa_no_hana)

 冬の花は素朴だ。枇杷(びわ)の花、八手(やつで)の花、茶の花、そして柊(ひいらぎ)の花と。ことに枇杷の花は、遠目には枝にうす汚れた紙がひっかっているかと思うくらい。でも、近づくと、五弁の小花が密に咲いており、しかも芳香を漂わせている。
 「さしわたる葉越しの夕日ちからなし枇杷の花ちるやぶかげの道」(尾上柴舟)。こんな歌を覚えたのはいつのことだったか。実はこの十数年、12月になるとなんだか枇杷の花が気にかかり、通勤の途中でまわり道をして見に行く。親しんでいる枇杷の木があちこちにあるのだ。
 ところで、冬の花はなぜ素朴なのだろう。枯れた季節だけに赤や黄の花を咲かせたら目立つのに、目立つことを避けるようにそっと咲く。私はそのつつましさが好き。枇杷の花のそばに立つとほっとする。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年12月11日)


2002年12月5日

湯豆腐(ゆどうふ、yudofu)

 子供のころに食べたものに、年を経れば経るほど、愛着が強くなるものがある。私の場合は山羊(やぎ)の熱い乳をかけて食べたさつま芋とか、かなり堅かった木綿豆腐など。
 さつま芋については、今は焼き芋で満足している。勤め先の大学のそばにとてもうまい焼き芋屋があり、冬になると1週に1度はその店に寄る。焼き芋を抱いて家路につくのだが、途中の電車では車中に芋の匂(にお)いが広がる。人々の目が集まるが、ちょっといい気分である。
 豆腐はもっぱら湯豆腐。最近は豆腐料理の専門店に人気があり、そんな店にもときには行くが、村の素朴な豆腐で育った私には、冬の豆腐は湯豆腐が一番。湯豆腐を食べるときには「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」(久保田万太郎)という俳句をきまって思い浮かべる。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年12月5日)


2002年12月1日

石蕗と鱶(つわぶきとふか、tuwabuki_to_fuka)

 道端や石垣に石蕗(つわぶき)の花が咲いていた。その黄色い花は、海がまっさおだとことに印象的。素朴さがきわだつのである。
 九州に向かって長く伸びた佐田岬半島のなかほどが私の郷里。その郷里へ久しぶりに帰って、今は町の花に制定されている石蕗の花を存分に眺め、そして鱶を食べた。湯びきして酢味噌(すみそ)で食べる鱶は郷里の名物料理だ。
 鱶は鮫(さめ)である。近年、各地の海に人食い鮫が出没して問題になっている。郷里の漁師も船をかじられた。そんなことを話題にしながら、土地の人々は今なお平気で鱶を食べる。むしゃむしゃ食べる。
 鱶という凶暴なものを食べ、鱶が代表する人知を超えた自然の力を身につけたい。そんな人々の願いが鱶を食べる習慣の起源。鱶を盛った鉢には石蕗の花が一輪添えられていた。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年12月4日)


2002年11月28日

枯れ野(かれの、kareno)

 枯れ野を眺めていると、とても寂しくなるが、その孤独感が好きだ。「旅に病んで夢は枯れ野をかけ廻(めぐ)る」は芭蕉の最後の句。彼も枯れ野派だったにちがいない。
 近年、芭蕉の最後の句は、妄執を感じさせるこの句ではなく、「清滝や波に散り込む青松葉」だという芭蕉研究者の主張がある。ちなみに、枯れ野の句は死の4日前の元禄7年10月8日(旧暦)に作った。清滝の句はその翌日、「清滝や波に塵(ちり)なき夏の月」という旧作を直したもの。清滝の句を芭蕉の最後の句と考える研究者は、芭蕉は妄執を去った澄明な心になって死を迎えたと考える。
 だが、この句は芭蕉の心境ではなく、景勝の夏の美を詠んだもの。実際は枯れた松葉が散るのだが、清滝の渓流に散るその松葉は青く見えた。青く見えたという発見に詩がある。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年11月28日)


2002年11月24日

雪とアンパン(ゆきとあんぱん、yuki_to_ampan)

 アンパンを抱いて雪の降る北海道大学の構内を歩いた。私にとっては初雪、うきうきしながら、「アンパンや十一月の雪の中」と作ったのだった。
 そのアンパンは月寒(つきさっぷ)アンパン。札幌市内の月寒(つきさむ)中学校というところで市内の中学の先生方に話をしたのだが、学校の前に「元祖・月寒アンパン」という看板を掲げた店があり、アンパン好きの私はさっそくそれをもとめた。月寒中学校の土地は旧軍隊の基地だった。それで兵隊相手のアンパンが人気を博したのだという。月寒アンパンにはかためのアンがびっしりとつまっていた。
 翌朝、講義に出かけた大阪大学の構内では、銀杏(いちょう)がしきりに舞っていた。雪から銀杏へと季節を逆にたどったな、と思った。カバンには昼食用の月寒アンパンが入っていた。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年11月27日)

ぶらり旅雪とアンパンほおばって     松本哲


2002年11月21日

照葉(てりは、teriha)

 テリハ。秋の日に照り映えている草木の紅葉。照葉のそばに立つと紅葉の色で心身が染まる感じがする。「この樹(き)登らば鬼女となるべし夕紅葉」(三橋鷹女)は魂までが照葉に染まって怪しくなる予感。
 近年、紅葉の名所では夜間のライトアップがさかんだ。平安時代には春の「花の宴」、秋の「紅葉の賀」が対になっていた。春は桜、秋は紅葉という次第だが、篝(かがり)火に映える夜桜はともかく、紅葉は昼間の光の中で鑑賞されてきたのではないか。だから照葉のような美しい言葉が残った。
 ライトアップは鮮やかに紅葉をとらえる。だが、それは一部を強調・拡大するテレビ画面の感じ。ライトアップという手法そのものがテレビ的なのであろう。夜の紅葉は闇(やみ)に深く沈んでいる方が好ましい。露や霜に濡(ぬ)れて紅葉は朝の光を待つ。 (坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年11月21日)

山に居て向かひの山の照葉かな     小山木莵


2002年11月17日

蜜柑(みかん、mikan)

 蜜柑(みかん)は妙な果物だ。1つを食べると1つでは気がすまず、4つも5つも1度に食べてしまう。知らず知らずのうちに10くらいも食べているときがある。そんな話を仲間にしたら、「私もそうだ」という人が大半だった。「食べ過ぎて爪(つめ)が黄色くなることもあるよ」という人もいた。
 私の義弟は蜜柑農家。彼によると、ほんとうにうまい蜜柑は小粒なものだという。他の果物はだいたい大きいものがうまいが、蜜柑だけは小粒で商品にならないものが特にうまく、「私らはそんな蜜柑しか食べていないよ」と義弟は言う。さらに義弟は言った。「最近、蜜柑の皮がパカッとむけなくなっているでしょ。以前より甘くなったかわりに、皮がむきにくくなった」と。そんな話を聞きながら、私はいつの間にか屑々の皮を山盛りにしていた。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年11月20日)

手が伸びて蜜柑食べては手がのびて    松本哲

ただいまと閉じた手の中蜜柑かな     伊仙佐丸汰


2002年11月14日

学祭(がくさい、gakusai)

 私が通勤に利用している私鉄では、紅葉情報とともに沿線の学祭案内を駅などに掲示している。学祭、つまり学園祭、大学祭が今シーズンたけなわ。
 学生時代を学寮で過ごした私は、学祭では寮の出し物などに熱中した。市内をパレードした仮装の企画、鴨川の堤の模擬店で営業した焼き芋屋などに。学祭の打ち上げでは、仲間の誰(だれ)かを真っ裸にし、深夜の鴨川に運んで投げ込んだ。要するに学祭ではよく遊んだ。
 京都の女子大で「秋」をテーマに俳句を作らせたところ、「大学祭京都の学生みな海外」「学祭で羽根を伸ばせる秋休み」という句があった。大半の学生は学祭に参加せず、授業が休みの学祭期間を自分なりに使うというのだ。
 熱中派にも冷静派にも今や学祭は青春の一大年中行事。ちなみに関西の学祭の最近の目玉は若いお笑いタレント。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年11月14日)

声通る学祭前の青い空     松本哲


2002年11月10日

紅葉の天麩羅(もみじのてんぷら、momiji_no_tempura)

 「林間に酒を煖(あたた)めて紅葉を焼(た)く」というのは、古くからの紅葉狩りの風流。『和漢朗詠集』のこの白居易の詩句は、謡曲『紅葉狩』、『平家物語』などに引用されて広く知られた。小学生時代の正岡子規は、学校で書いた課題作文「秋日観楓記」に、「一瓢(いっぴょう)ヲ尽シ、四面を望下ス」と記しているが、紅葉を眺めて一瓢を尽くす、すなわち、酒を飲むことが、さきの詩句などを通して長く日本人の風流のかたちになり、それが小学生にまで及んでいたのだろう。
 ところで、私が住んでいる大阪府箕面(みのお)市は滝と紅葉の名所。滝への道が楓(かえで)林になっており、観光客が林間に酒を煖める。そればかりか、実は箕面の名物は紅葉の天麩羅(てんぷら)。楓の葉を甘い衣で包んだ一種のカリントウだが、ちょっと変わった紅葉の風流としてなかなかの人気だ。 (坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年11月13日)


2002年11月7日

柿(かき、kaki)

 柿は今日、KAKIとして世界に通用する日本の代表的な果物。明治45年の調査では全国937種の柿が存在した。わが村、わが町の柿があったのだ。
 現在、品種は減っているかもしれないが、それでも各地に地方品種と呼ばれているその土地の風土が育てた柿がある。柿は本来、この地方品種が主体だった。福島の会津身不知(みしらず)、静岡の四ツ溝、鳥取の花御所(はなごしょ)、伊勢の蓮台寺、広島の祇園坊、徳島の海部六郎(かいふろくろう)、愛媛の愛宕(あたご)、九州の伽羅(きゃら)など。
 商品化して全国的に流通している富有、平核無(ひらたねなし)、次郎、西条なども元は地方品種。たとえば、富有は明治36年に登場したが、岐阜県の居倉御所という柿から生まれ、近代の代表的な柿として普及した。柿好きで知られる正岡子規の時代にはまだ富有はなく、「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」の柿は奈良の御所柿。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年11月7日)


2002年11月3日

芭蕉の献立(ばしょうのこんだて、basho_no_kondate)

 5日の十三夜、私たちは仲間で月見の宴をした。
 メニューは松尾芭蕉が残した献立の再現。元禄7年、故郷の伊賀上野にいた芭蕉は、新しくできた庵(いおり)の披露をかねて観月の宴を催した。若い日に藤堂家に料理人として仕えたと言われる芭蕉は、自ら筆をとってその夜の献立を記した。
 まず里芋の煮しめと酒。煮物は麩(ふ)、こんにゃく、ごぼう、木くらげ、里芋。この煮物は葛粉(くずこ)でとろみを加えしょうがを乗せたのっぺい。吸い物は柚子(ゆず)、とうふ、しめじ、みょうが。胡桃(くるみ)であえた瓜と香の物。肴(さかな)としてにんじん、焼き初茸(はつたけ)、しぼり汁。しぼり汁は山芋をすり酢と醤油(しょうゆ)で味付けしたもの。水菓子は柿。最後に松茸の吸い物と冷や飯。
初茸は椎茸(しいたけ)で代用したが、芭蕉さんは山国の人だとつくづく実感した。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年11月6日)


2002年10月31日

秋日和(あきびより、akibiyori)

 アキビヨリ。秋らしくさわやかに晴れた天気。秋晴れともいうが、語感的には秋日和のほうがおだやか。「しんがりに恐竜がきて秋日和」(南村健治)は日常に忍び寄る変異をとらえた秀句。「秋晴れや父母なきことにおどろきぬ」(内田美紗)は父母と共に見た空の青さを眼前に蘇(よみがえ)らせる傑作。
 実は私は「花より団子」派。秋日和にはことに腹がすく。通勤の途中にデパートがあるので、そこの地下食品売り場に寄ることが秋日和の日のならいだ。一応は俳人らしく、果物や魚介の売り場を徘徊(はいかい)し、アケビ、ザクロ、サンマなどの季節の物を楽しむ。だが、ほんとうの目当てはパン売り場。
 もう十年来、朝食はアンパンと決まっている。秋日和の日には間食もアンパン。アンパンを抱いて秋日和の町を歩く気分は何物にもかえがたい。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年10月31日)

秋日和散歩している牧師かな     佐藤元気

秋日和母の骸に添い寝して     時枝武


2002年10月27日

法隆寺の柿(ほうりゅうじのかき、horyuji_no_kaki)

 法隆寺はハイテク寺院だと思っていたという人の話がある雑誌に出ていた。その人、正岡子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」から連想して、法隆寺には柿を食べると鐘が鳴る仕掛けがしてある、と思い込んでいたのだそうだ。子規の句は明治28年10月末に奈良へ旅をした体験がもとになって生まれたが、「柿くへば鐘が鳴る」という意外さが、法隆寺をハイテク寺院と思わせたのであろう。
 ところで、最近、夏目漱石の「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」という俳句を知った。この俳句は子規のさきの句の約2ヵ月前に作られ、子規が新聞に載せた。だから、奈良へ旅した子規の頭のどこかに漱石のこの句があったと考えてよい。子規は漱石の句を元にしてあの名句を作ったのだろう。ちなみに子規の奈良旅行の旅費も漱石が出した。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年10月30日)


2002年10月24日

栗飯(くりめし、kurimeshi)

 秋のわが家の人気メニューは栗飯。カミさんが台所で渋皮をむき始めると、「これぞ家庭」という雰囲気になり、娘たちも不器用に手伝ったりする。
 もっとも、そんな時の娘は、「お父さん、たまには松茸(まつたけ)ご飯も食べたいね」と皮肉を言う。「去年、食べたじゃないの」と私をかばうカミさん。去年、たまたま松茸をもらい、窓を開け放し、換気扇も回し、匂(にお)いを外へばらまきながら松茸を焼いたり、松茸ご飯を作ったりしたのだった。
 栗飯好きの私は次のような江戸小咄(こばなし)が好き。晩秋の山中で、「お前さんはいいね。暖かそうな衣を着ていて。俺はりきんで赤くなって寒さをこらえている」と柿が栗に言った。すると栗が、「お前さんは昼間は日にあたっているだけましだ。あの松茸をごらん。日陰でふんどしもしないで震えているよ」。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年10月23日)


2002年10月20日

続・野菊(のぎく、nogiku)

 野菊とは野生のキクの総称。ノジギク、ノコンギク、ヨメナなどを指す。私は芯(しん)が黄色で花びらが白いノジギク(兵庫県の県花)になじみがあるが、伊藤左千夫の名作『野菊の墓』の野菊はノコンギクか。
 『野菊の墓』では、道端に「よろよろと咲いている」と野菊のようすが書かれている。左千夫にはまた、「むらさきのか弱に見ゆる野菊には猛(たけ)き男(お)の子も心なぐらし」という短歌もある。ノコンギクは可憐(かれん)な紫色、そして山野のいたるところに見られる。もっとも、ノコンギクと決める必要はなく、ヨメナなどのイメージでもある。
 純真な恋を野菊の可憐さに重ねて描いた『野菊の墓』は、明治39年1月、雑誌「ホトトギス」に載った。発表に先立って仲間の文章研究会で自らその作品を朗読した左千夫は、朗読しながら感極まって泣いた。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年10月24日)


2002年10月17日

野菊(のぎく、nogiku)

 今夜は十三夜、いわゆる後(のち)の月だが、この日にきまって読み返す本がある。伊藤左千夫の『野菊の墓』。次の場面を読者の方も声を出して読んでほしい。
 「まアきれいな野菊、政夫さん、わたしに半分おくれッたら、わたしほんとうに野菊が好き」「僕はもとから野菊がだい好き。民さんも野菊が好き・・・」「わたしなんでも野菊の生まれ返りよ。野菊の花を見ると身ぶるいの出るほど好もしいの。どうしてこんなかと、自分でも思うくらい」「民さんはそんなに野菊が好き・・・・道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」(略)「それで政夫さんは野菊が好きだって・・・」「僕大好きさ」
 今夜が十三夜だという日、15歳の政夫と17歳の民子は山畑へ綿採りに行く。その途中の場面だが、何歳になってもこの純真さは胸をうつ。今夜の月には野菊を供えたい。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年10月17日)


2002年10月13日

雀海に入りて蛤となる(すずめうみにいりてはまぐりとなる、suzume_umi_ni_irite_hamaguri_to_naru)

 寒露(24節気の1つ)の第2候のことであり、ちょうど今の時期が「雀(すずめ)海に入りて蛤(はまぐり)となる」時候。あまりに長い季語なので、「雀蛤になる」と縮めて用いることが多い。
 雀が蛤になるとは、荒唐無稽(こうとうむけい)な想像だが、雀と蛤は色やかたちが似ており、それでこんな季語が生まれたのだろう。村上鬼城に「蛤に雀の斑(ふ)あり哀れかな」がある。
 荒唐無稽を好んだ夏目漱石は、この季語で数句を作っているが、明治32年のある日、草むらで拾った雀の死骸(しがい)を白菊のもとへ葬ってやり、「蛤とならざるをいたみ菊の露」と詠んだ。蛤になれなかった雀を悼み、せめては雀に菊の露をたむけようという俳句。
 ともあれ、この季語を知ると、庭にくる雀が蛤に見えたり、逆に蛤が雀の化身と見えたりするから妙だ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年10月16日)


2002年10月6日

露(つゆ、tsuyu)

 小林一茶に「露はらりはらり世の中よかりけり」という句があるが、露の光る風景の中にいると、私はこの句の気分になる。露が大好きだ。  そこの露が見たい、と思ういくつかの場所がある。原石鼎が「蔓踏んで一山の露動きけり」と詠んだ奥吉野。飯田蛇笏が「芋の露連山影を正しうす」と詠んだ山梨県の山村など。愛媛県の久万(くま)高原の露も見たい。
 実は、つい先日、松山からバスで約1時間の久万高原へ仲間と行った。高橋由一、浅井忠などの作品を所蔵する久万美術館を訪ねたのである。木造のその美術館に満足した私たちは、土産物屋で土地の野菜を買いあさったが、その時、誰(だれ)からともなく、こんどはここに泊まって高原の朝露を見たい、という話になった。露の中の美術館って、想像するだけで胸がときめく。 (坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1995年10月9日)


2002年10月3日

新米(しんまい、shimmai)

 どこで食べてもご飯がうまくなった。不人気だった輸入米から、国産の新米に切り替わったから。
 それで思い出したのは、「ちんちまんま」という郷里の幼児語。「ちんち」は珍重、「まんま」はご飯。「ちんちまんま」は祭りなど特別の日に食べるものだった。
 昭和30年代の私の中学時代は、ちょうど麦飯から米飯への移行期だった。学校の昼食時、麦飯弁当の者は弁当箱の蓋(ふた)で中身を隠して食べていた。
 つまり、私の経験に即すと、米が普段の主食になったのはここ40年間くらいのこと。都市や平野部では早くから米を食べていたのだろうが、私から言えばそれは例外。雑穀、麦、芋などの後に来た米はまだ新しい主食。米中心に日本文化を考えるのではなく、米がまだ新しいという視点を大事にしたい。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1994年10月3日)


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