週刊:新季語拾遺 最近のバックナンバー
2003年3月30日

四月馬鹿(しがつばか、shigatsu_baka)

 たとえば夫婦で、「ねえあなた桜がそろそろ咲きそうよ」「おまえとの花見今年はどこにいこ」「ドライブで琵琶湖湖畔の桜まで」などと575音で話す。思わずふきだしてしまうだろうが、結構楽しい。相手が新鮮に見え、夫婦仲がよくなったりするかも。575音は日常的な表現形式ではない。そのために、その形式を用いると妙に嘘(うそ)めいて聞こえる。つまり、俳句の形式は楽しく嘘をつく形式なのだ。
 さて、1日は四月馬鹿。これはApril foolの翻訳だが、April foolとは4月1日に嘘をついて人をかついでも許されるという風習、また、そのかつがれた人をさす。欧米の習慣だが、これはいかにも俳句にふさわしい。あの松尾芭蕉だって、俳句は上手に嘘をつくことなり、と言っているのだから。
 ところで以上の話の中身は嘘ではない。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年4月1日)


2003年3月27日

春宵(しゅんしょう、shunsho)

 春宵は「春宵一刻値千金」という蘇東坡の詩句で知られる言葉。春の宵、宵の春とも言う。
 蘇東坡の詩(「春夜」)は、「花に清香あり 月に陰(かげ)あり。歌管 楼台 声細細、鞦韆(しゅうせん) 院落 夜沈沈」と続く。花が香り、月はおぼろ、そんな値千金の春の宵がふけて、歌や管弦でにぎやかだった楼台も今はひっそり。鞦韆(ぶらんこ)のある院落(中庭)に人影はなく、夜はしんしんと更けてゆく。だいたいこんな意味。
 「けふよりの妻(め)と来て泊(は)つる宵の春」「枕辺の春の灯(ともし)は妻が消しぬ」「をみなとはかかるものかも春の闇」。これは日野草城の「ミヤコホテル」と題した俳句。新婚初夜のさまを春宵の情感に託して詠んだ昭和9年のこの俳句は、青春性に富んでいる、いや下品きわまるという賛否両論の議論を引き起こした。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年3月25日)


2003年3月23日

菜種梅雨(なたねづゆ、natane_duyu)

 菜の花の咲くころ、つまり、3月から4月にかけての春の長雨が菜種梅雨(なたねづゆ)。この雨、春霖(しゅんりん)とも言う。
 デパートをうろついていたら、菜種梅雨用のレイングッズ売り場があった。サイケな図柄の傘などが楽しく、いかにも春のグッズという感じ。その売り場で、私はスーツの内ポケットに入る超薄型の折り畳み傘を買った。誰(だれ)かと歩いているとき、手品のように胸から傘を取り出すと、「まあ、素適!」なんて言われるだろうな。そのように思って衝動買いをしたのだ。
 先日、うまい具合に雨にあい、さっそく傘を取り出した。ところが、「そんな小さな傘より、春雨じゃ、濡れて行こう、の方が風情があるわよ」と言われてしまった。春雨じゃ云々(うんぬん)は、新国劇の座付き作者、行友李風(ゆきともりふう)の『月形半平太』にある名せりふ。この戯曲は大正8年の初演。 (坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年3月24日)


2003年3月20日

春の潮(はるのしお、haru_no_shio)

 島崎藤村の詩集『若菜集』に「潮音」という短詩がある。「わきてながるる/やほじほの/そこにいざよふ/うみの琴/しらべもふかし/ももかはの/よろづのなみを/よびあつめ/ときみちくれば/うららかに/とほくきこゆる/はるのしほのね」
 それだけが漢字の琴が印象的。こんな詩を読むと、海底の琴がかなでる春の音色を聞きに、どこかの海辺へ行きたくなる。
 そういえば明日は大潮。彼岸の大潮は、1年中でもっとも干満の差が大きい。その差は、たとえば有明海で5メートル以上に達する。潮干狩りをするにしろ、渦潮などの潮の流れを楽しむにしろ、今が絶好のシーズンだ。
 「春潮といへば必ず門司を思ふ」は高浜虚子の句。私はこの彼岸の間に紀伊半島のどこかの海辺で琴を聞く予定。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年3月18日)


2003年3月16日

彼岸の入り(ひがんのいり、higan_no_iri)

 今日は春の彼岸の入り。彼岸の入りと言えば正岡子規の次の俳句を思い出す。「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」。明治26年の作。母の言葉が自ずと俳句になっていた、という意味の前書きがついている。子規が、「暑さ寒さも彼岸まで、と言うけど、今年の彼岸の入りは寒いですね、母上」と言った。すると母がさきの俳句のように応えたのだ。
 ちなみに、前年の11月、母と妹が四国の松山から上京、子規一家は東京に居を構えた。東京で初の彼岸を迎えた母は、その日の寒さが松山と同様であることにホッとしたのではないだろうか。
 わが家の前の坂道は墓へ続く道。彼岸のころ、その墓道を手作りの箱車で滑走する子供たちの遊びが始まる。ゴーッというその音は近辺に春を告げる音。今年もその音が響いている (坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年3月17日)


2003年3月13日

春の朝(はるのあさ、haru_no_asa)

 春の朝の快さを実に巧みに表現したのは、次のブラウニングの詩。この詩、上田敏の傑作翻訳詩集『海潮音』(明治38年)に収められ、近代の日本人に広く親しまれてきた。ブラウニングはイギリスの詩人。
 「時は春、/日は朝(あした)、/朝は七時、/片岡に露みちて、/揚雲雀(あげひばり)なのりいで、/蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、/神、そらに知ろしめす。/すべて世は事も無し。」
 片岡は丘の片側。揚雲雀は空に高く舞い上がる雲雀。「神、そらに知ろしめす」は、神が空(天上)におられてこの世を統治されているということ。平和で満ち足りた春の朝の光景が過不足なく表現されている。
 ところで、春の朝の七時、あなたは何をしていますか。ぼくはたいてい朝食の時間。窓を少し開け、わが朝食の定番・アンパンを食べています。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年3月11日)


2003年3月9日

卒業(そつぎょう、sostugyo)

 「卒業の兄と来てゐる堤かな」。これは芝不器男(ふきお)の俳句。卒業したばかりの兄と堤防に来ている。兄とよく遊んだ場所だ。草が萌えはじめた堤防に立った兄は、大人のきびしい表情をして遠くを見ている。――このような短編小説にも似た一場面が想像できる俳句だ。
 不器男は1903(明治36)年に現在の愛媛県北宇和郡松野町に生まれ、20歳から俳句を作った。東北帝大在学中に「あなたなる夜雨の葛のあなたかな」によって俳壇の注目を集めた。ところが、1930年に26歳の若さでたちまち世を去った。「永き日のにはとり柵を越えにけり」「白藤や揺りやみしかばうすみどり」などの繊細で美しい句を残して。
 不器男の生地は広見川のほとり。卒業の兄と立ったのはその川の堤だったか。広見川は有名な四万十川の支流だ。 (坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年3月10日)


2003年3月6日

春の別れ(はるのわかれ、haru_no_wakare)

 春は卒業、転勤の季節。つまり別れの季節である。
 別れというと、せっぱつまった気分になりがち。目にいっぱい涙を浮かべた別れなどは感動的だが、そういうせっぱつまった別れとはちがう、私のひそかに理想としている別れの風景がある。
 「永き日やあくびうつして分れ行く」。これは明治29年の夏目漱石の俳句。永き日は永日とも言い、のどかでとても永く感じる春の日をさす。そんな永き日に互いにあくびをうつしあって別れるというのんびりした風景は素敵だ。別れてもなお心は強くつながっている別れだ、これは。
 「ハナニアラシノタトヘモアルゾ/『サヨナラ』ダケガ人生ダ」。これは『唐詩選』にある于武陵(うぶりょう)の詩「勧酒」を井伏鱒二が訳したもの(『厄除け詩集』)。この潔い別れも素敵。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年3月4日)

後ろ向きに手を振る春の左様なら  淡々

春の別れ七万七千年会わず  佐藤元気


2003年3月2日

春の滝(はるのたき、haru_no_taki)

 寒さの残る日であった。ふと思いついて、大阪の北部、箕面(みのお)市の峡谷にある滝へでかけた。この箕面の滝では「滝の上に水現れて落ちにけり」(後藤夜半)という有名な俳句が生まれた。昭和の初めに高浜虚子が推奨し、以来、写生俳句の見本とされたもの。近年にはまた、箕面市に住む桂信子が「冬滝の真上日のあと月通る」という象徴性に富む俳句を発表した。やはり箕面の滝がモデルであろう。
 ところで、滝は夏の季語。春の滝などは季節外れだが、季節外れのものは時に新鮮だったり、意外に味わいが深かったりする。その日の箕面の滝は閑散としていたが、滝壷近くの茶店は「滝音の方へ寄せある春炬燵(はるごたつ)」(山尾玉藻) という風情。一組の男女が炬燵で昼酒を飲んでおり、ガラス窓の外の大きな岩の上では猿が数頭、日を浴びていた。 (坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年3月3日)

春の滝しぶきに光虹の滝  松本 哲


2003年2月27日

東風(こち、kochi)

 東風の読み方はとうふう、こち、あゆ。冬の季節風は北や西から吹くが、そんな季節風にかわって東風が吹くと、人々は季節が冬から春へ移ったと感じた。東風は春を告げる風。
 こちというと、「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春を忘るな」という菅原道真の歌が有名。九州へ左遷されるにあたって庭の愛する梅をこのように詠むと、後にその梅が太宰府に飛んで来て根付いたという。ちなみに2月25日は道真の忌日。
 あゆは万葉集に出ている北陸地方の古い言葉。民俗学者の柳田国男によると、その風は海岸に珍しい漂着物などをもたらす恵みの風(『海上の道』)。柳田の考えに共感した私は、自分の娘にあゆと命名した。わが家のあゆは、その名のとおり風の気性を発揮し、目下は青春の日々を吹き荒れている気配だ。 (坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年2月24日)


2003年2月23日

紅梅(こうばい、kobai)

 飯田龍太に「白梅のあと紅梅の深空(みそら)あり」という俳句がある。深空という言葉がことに印象的。紅梅と対照的な真っ青な空が目に浮かぶ。ちなみに、紅梅はふつう白梅に遅れて咲く。
 高浜虚子の「紅梅の紅の通へる幹ならん」もきれいな俳句。紅梅の紅色が幹の中を流れている、新鮮な血液のように。そんなようすを感受した作品。虚子には「紅梅に立ち去り難き一人あり」「紅梅の蕾(つぼみ)は固し言(ものい)はず」などもあり、紅梅が好きだったようだ。
 「紅梅の咲くごと散るごと母縮む」は私の俳句。母が手遅れの胃ガンで入院していた窓の外に紅梅の木があった。その紅梅が咲き、ほつほつと散るころ、母はまるで縮むかのように小さくなってゆき、息絶えた。四国の半島で生涯を過ごしたその母を、のちに私は「母縮む日向(ひなた)くさくて飴なめて」とも詠んだ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年2月24日)


2003年2月20日

春の土(はるのつち、haru_no_tsuchi)

 「春は空からそうして土から微(かすか)に動く」。これは長塚節の名作『土』の一節。
 『土』は鬼怒川流域の土にへばりついて生きる農民を描いている。この小説を評した夏目漱石は、ひどく読みづらい暗い小説だが、歓楽にあこがれる若い男女が、読みづらいのを我慢して『土』を読む「勇気を鼓舞する事を希望する」と述べた。そして、自分の娘が音楽会や芝居に熱中する年頃になったら、ぜひともこの『土』を読ませたい、とも述べた。
 漱石はさらに言う。娘は恋愛小説と換えてくれと要求するかもしれないが、自分としては、『土』が面白いから読めと娘に勧めるのではない。「苦しいから読めといふのだと告げたい」と。
 以上のような漱石の言葉から、私はいつも春の土を連想する。命をはぐくむほっくらとして暖かい春の土を。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年2月19日)


2003年2月16日

薄氷(うすらい、usurai)

 ウスライ。「薄氷(うすごおり)」「春の氷」とも言う。春、寒気がもどって薄く張った氷のこと。
 薄氷は『万葉集』に出る言葉であり、古典語としては冬のもの。ところが、近代において春の季語として定着した。ウスライの語感には触れればすぐに溶けてしまいそうな繊細さがあるが、そんな繊細さが早春の気配にぴったりだとみなされたのだろう。「薄氷の裏に夕焼こもりけり」(吉野義子)。
 ところで、冬に張った薄い氷はなんて言うのか。先日、そのことをめぐって私たちの句会はにぎやかな議論になった。「冬の薄氷」などと言うのは変だし、はて?
 「蒼(あお)ざめし氷(ひ)の中(うち)ふかくゆらゆらと炎のありて我を揺らしむ」遠山利子歌集「風連別(ふうれべつ)川」の1首。幻想的な炎にひかれて愛唱しているが、薄氷の中にはたしかに炎が潜んでいる気がする。春とか愛とかの炎が。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年2月17日)


2003年2月9日

入試(にゅうし、nyushi)

 春は入学、入社などの試験の季節。平井照敏の『新歳時記・春』(河出文庫)は、試験について、「苦しみのはての悲喜が忘れがたい思い出となる」と解説している。試験は苦しむもの、おおいに苦しみたまえ、ということか。平井は大学の教師。
 入学試験は短縮して入試と言う。私も平井と同様にその入試を課す立場だが、試験監督というのも実は苦しいのである。センター試験などの場合、公平を期すために監督者が言うべき言葉がきちっと決められている。1日に何度も機械的に話すことはとても苦痛。しかも行動が単調だから退屈さや眠気が襲ってくる。監督もつらい。
 ところで、学校などでは使用されず、俳句だけに生きている季語に「大試験(だいしけん)」がある。学年試験や卒業試験をかつて大試験と呼んでいた名残。戦前派の俳人が愛用している。 (坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年2月10日)


2003年2月6日

早春(そうしゅん、soshun)

 古い言葉だと思っていたら、意外に新しくて驚くことがよくある。早春もそうした言葉。もっとも、日本最古の漢詩集「懐風藻」に用例があり、また正月の異名として用いられた例もある。だから古い言葉ではあるのだが、春のはじめを指す言葉として人気を得たのは近年に至ってのことらしい。『図説俳句大歳時記』(角川書店)は明治39年の「早春の花に大雪来りけり」(大須賀乙字)を俳句の早い用例とする。
 早春は立春以後の2月いっぱいくらいを指す。春さき、浅い春なども同じ意味の言葉。島崎藤村は若い日の詩文を編集して『早春』(昭和11年)を出したが、こうした本が早春という言葉を広めたのだろうか。「磯辺(いそべ)に高き大巌(おおいわ)の/うへにのぼりてながむれば/春やきぬらむ東雲(しののめ)の/潮(しお)の音(ね)遠き朝ぼらけ」は藤村の詩「草枕」の一節。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年2月5日)


2003年2月2日

節分のおばけ(せつぶんのおばけ、setsubun_no_obake)

 お化けの季節は一般的には夏だが、大阪付近では節分にもお化けが出た。牧村史陽の『大阪ことば事典』によると、節分の日、「老女は若い時代を追憶するために島田や手鞠髷(てまりまげ)に結い、若い娘は早く良縁があるように丸髷などに結って縁起を祝ったもので、これをお化けと称した」という。
 節分には豆まきをしたり、門口にイワシの頭とヒイラギを刺したりする。新しい季節を迎えるにあたって邪気を払うためだが、お化けもそんな邪気払いの一つ。お化けの習俗は明治の末ごろまであり、昭和20年代当初に娘たちの間で一時的に復活したことがある。
 実は、私は仲間と「お化け復興委員会」を作っている。女だけでなく男も変装し、節分を全国的にお化けの1日にしたいのだ。その手始めに今月はお化けになって句会をする。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年2月3日)


2003年1月30日

日向ぼっこ(ひなたぼっこ、hinatabokko)

 日向(ひなた)ぼっこは地方によっていろんな言い方をする。日向ぼこり、日向ぼこ、日向ぼっくり、日向ぬくもりなど。最後の日向ぬくもりは和歌山、岡山、徳島、香川などの言い方だが、風のない日向で温(ぬく)もっていると心身がとける気がする。暖房器具や防寒衣が発達したとはいえ、冬の日の最高にぜいたくな暖かさはやはり日向ぼっこ。
 「鳶(とび)見えて冬あたたかやガラス窓」。これは正岡子規の俳句。明治32年の冬、正岡家では子規の病室の障子をガラス張りにした。急に部屋が明るくなり、しかも日光が一日中さしてなんとも暖か。子規はうれしくて、菅笠(すげがさ)をかぶって原稿を書いたりした。ガラス窓は、寝たきりの病人の部屋に外と同じ日光をもたらしたのだ。ちなみに、ガラス窓が普及するのは大正時代、いわゆる文化住宅が出現してから。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年1月29日)


2003年1月26日

雪の精(ゆきのせい、yuki_no_sei)

 雪の精は雪女、雪女郎、雪おんばなどと言い、女である場合が多い。もっとも、岐阜の高山では、目1つで1本足の雪入道が雪の降る夜明けに出るという。これは男だ。
「雪女郎おそろし父の恋恐ろし」は中村草田男の俳句。この句のとおりに、雪の精は災いをもたらす不気味なものと考えられているが、1つ、とても素適な雪の精を知っている。夏目漱石の随筆「文鳥」に出る「淡雪の精」。
弟子の鈴木三重吉のすすめで文鳥を飼い始めた漱石は、小説がうまく書けない時、縁側に出て籠(かご)の文鳥を眺める。「淡雪の精」のような文鳥は、粟を食べる時、かすかに喉音がするが、それはまるで「菫(すみれ)ほどな小さい人が、黄金(こがね)の槌(つち)で瑪瑙(めのう)の碁石でもつづけざまに敲(たた)いているような」な感じ。雪の精の文鳥は漱石にひとときの至福をもたらすのだ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年1月27日)

雪の精頭に浮かぶは雪のせい?     松本哲


2003年1月19日

大寒(だいかん、daikan)

 昨日から大寒。阿波野青畝に「寒波急日本は細くなりしまま」という俳句があるが、2月4日の立春までの大寒は、実際に日本列島がもっとも冷え込み、国土も人も寒さに細る。
 日本の最低気温の記録は、北海道・美深(びふか)町で1931年1月27日に観測されたマイナス41.5度。世界の最低気温は、南極大陸のボストーク基地で1960年8月24日に観測されたマイナス88.3度。こういう低温は私の想像を越えているが、先年、美深町の近くから来た友人が、わが家の冬の冷蔵庫は保温器みたいなものです、と言った。
 国土も人も細る寒中だが、それでも梅、水仙、椿などが咲いている。いちはやく恋の季節を迎えた猫たちは、まだ雪の残る屋根の上で甘い声を発している。わが家の猫の額ほどの庭では沈丁花の蕾(つぼみ)がふくらんだ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年1月22日)

大寒や恐竜のいた証拠如何  佐藤元気


2003年1月16日

二十日正月(はつかしょうがつ、hatsukashogatsu)

 ハツカショウガツ。1月20日のこと。麦正月、とろろ正月、はったい正月などと地方ごとの呼称があった。九州では骨(ほね)正月と言い、この日、食べつくして骨だけが残った正月の魚で料理を作った。ともあれ、正月の儀礼はこの日で終わった。
 正月の食べ物と言うと、マラソンランナーの円谷幸吉を思い出す。東京オリンピックで銅メダルを得た彼は、次の五輪での活躍が期待されていたが、昭和43年1月、「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺書を残して自殺した。28歳だった。その遺書では「父上様母上様、三日とろゝ美味(おい)しうございました、干し柿、もちも美味しうございました。敏雄兄、姉上様、おすし美味しうございました」と正月に食べた物が家族の名と共に列挙されている。無念のうめきのように列挙はまだまだ続く。(坪内稔典)  (毎日新聞・新季語拾遺/1997年1月20日)

旅先の二十日正月飯うまく     松本哲


2003年1月12日

新成人(しんせいじん、shin_seijin)

 四国の松山から『子規新報』(創風社出版)という月刊の俳句新聞が出ている。俳句の革新に挑んだ正岡子規の精神の継承を目指す。
 その『子規新報』・最新号に、今年成人式を迎える滝浪貴史、また、1975年生まれの如月真菜が登場している。子規は、「革命または改革といふ仕事は必ず新たに世の中に出てきた青年の仕事(「病牀六尺」)だと断言したが、新成人の滝浪たちは、まさに新たな未来を開くべき青年。
 「ナガイモがヌルリとキスする夜が好き」「名月がインターネットを照らす夜」は滝浪の俳句。カタカナの多い文体で実感をのびやかに表現している。如月は「すべてもう落とすものなき枯木山」「いさぎよくない葉もあって枯木山」と詠み、言葉の世界でいたずらっぽく遊ぶ。彼らの感性はしなやか。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年1月13日)


2003年1月5日

なずな打つ(なずなうつ、nazuna_utu)

 「なずな打つ」とは七草粥(がゆ)に入れる若菜を刻むこと。「七草打つ」「七草はやす」とも言い、6日の夜、または7日の朝に、包丁の背や擂(す)り粉木(こぎ)などでなどでまな板の若菜をたたく。その際、「七草なずな、唐土の鳥が、日本の土地へ、渡らぬさきに」などと唱える。この行事は年頭の鳥追い、つまり農作物を襲う鳥を年頭にあらかじめ追っ払うまじない。
 数年前、「せりなずなごぎょうはこべら母縮む」「ほとけのざすずなすずしろ父ちびる」という俳句を作った。私は春の七草を覚えることができず、それで俳句に詠みこんで覚えようとしたのだ。 ところが、近年、わが家の娘はこの俳句をなずな打ちに用いるようになった。母縮む、父ちびると唱えながら鬱憤(うっぷん)をはらすかのように七草を叩く。今夕、またその音が響くだろう。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年1月6日)


2003年1月2日

日記(にっき、nikki)

 何度も試みてはついに継続しなかったものに日記がある。私の義父などはもう50年以上も書き続けており、こういう人は別人種ではないかと思うくらい。そんな私も一度だけ、日記の恩恵をこうむったことがある。
 小学校5年のとき、他人と話すことがこわくなった。お使いに行くときでも、行った先でどのように話したらよいかを想像し困惑してしまうのだ。そんなわけで自閉的になった。
 そんなとき、担任のすすめで日記を書いた。事実の日記ではなく、私の夢や希望を物語として書いた。その物語に応じてくれる担任の感想によって、私は言葉への信頼を取り戻した。
 日記を書く習慣は、廉価で便利な日記帳の普及によって形成されたが、博文館が当用日記を売り出したのがちょうど100年前であった。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年1月8日)


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