週刊:新季語拾遺 バックナンバー
2003年9月28日

思い草(おもいぐさ、omoigusa)

 『万葉集』巻10に「道の辺の尾花が下の思ひ草今さらになど物か思はむ」という歌がある。道端の尾花(すすき)の下には物思いをする姿の思い草が咲いているが、いまさら私はなんで恋の思いに苦しみましょうか、物思いはもういや、この恋はきっぱりと清算します、という歌。
 この歌の思い草はナンバンギセルの別名と考えられている。ナンバンギセルはすすき、茗荷(みょうが)などの根に寄生し、秋に十数センチの花柄の先に淡紫色の花をつける。そのかたちがキセル、または物思いをする人の姿を連想させる。
 今、わが家の鉢植えのすすきの根っこでも思い草が咲いている。ここ数年、友人に種をもらって植えてきたが、いっこうに育たず、今年初めて花が咲いた。花が咲いたら種を知人にわけることになっており、思い草のリレーが楽しめそう。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年10月2日)


2003年9月25日

夜寒 (よさむ、yosamu)

 正岡子規は明治34年9月29日の日記を次のように書き起こした。「曇 湯婆(たんぽ)と懐炉を入れる」(『仰臥漫録』)。
 この日、たとえば昼食には粥(かゆ)3椀、刺し身、みそ汁、佃煮、奈良漬け、牛乳5勺ココア入り、菓子パン、梨1ヶ、りんご1ヶを食べた。食べることが生きているあかしだったから、無理をして大食いをしているのだが、夜になって寒気を覚え、呼吸が苦しくなった。
 子規は言う。この呼吸の苦しさが寒気のためだとすれば今年の冬を越すことはおぼつかない、と。さらに言う。医者がもう3ヶ月の運命だとか、半年はもたないだろうとか、ともかく期限を明言してくれたらどんなにいいだろう、と。期限が決まるとわがままや贅沢(ぜいたく)が言え、気分がおおいに楽になる、と子規は考えた。「虫の音(ね)の少なくなりし夜寒かな」はこの日の子規の俳句。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年9月29日)


2003年9月21日

彼岸のころ(ひがんのころ、higan_no_koro)

 明治34年9月22日の正岡子規の食事を紹介しよう。
 朝はぬく飯4椀(わん)、佃煮(つくだに)、奈良漬け、ぶどう3房。
 昼はまぐろの刺し身、粥(かゆ)1椀半、みそ汁、奈良漬け、梨(なし)1つ。
 間食に牛乳1合ココア入り、菓子パン。
 夕は粥3椀、泥鰌(どじょう)鍋、焼き茄子(なす)、昼の刺し身の残り、奈良漬け。
 大量に食べているが、食べても消化せず、食べ過ぎて苦しくなることもあった。それでも好物を選んで食べに食べたのは、食べることが生きているあかしだったから。この当時、カリエスが悪化した重病人の子規は、食べることも詩歌を作ることも絵をかくことも、すべて寝たままで行った。「梨腹も牡丹餅(ぼたもち)腹も彼岸かな」「筆も墨も溲瓶(しびん)も内に秋の蚊帳(かや)」。これらは彼岸のころのようすを詠んだ子規の俳句。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年9月22日)


2003年9月14日

虫食い栗(むしくいぐり、mushikuiguri)

 「栗飯の四椀と書きし日記かな」は正岡子規の俳句。この俳句は、病床手記『仰臥漫録』の明治34年9月8日の記事中に出ている。
 この日、茨城県に住む歌人で農民の長塚節(たかし)から栗が届いた。その栗でさっそく栗飯の粥(かゆ)を作り、子規は昼に4椀を食べた。夜には栗をゆでて食べた。
 節から届いた栗は虫のついたものが多かった。栗に添えた節の手紙には、「栗の出来が悪いとその年は豊作だと言いますが、その俚諺どおりに豊作の気配の秋です」という意味のことが書いてあった。以上の節の手紙を『仰臥漫録』に写した子規は、その後に「粟の袋の中より将棋の駒一つ出づ」と記している。
 さて、節への礼状に「栗ありがたく候」と書いた子規は、「真心の虫食ひ栗をもらひけり」という句を添えた。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年9月8日)


2003年9月7日

登高(とうこう、toko)

 トウコウ。「高きに登る」とも言い、9月9日(重陽の日)にあった中国の古い行事。この日、人々は小高い丘などに登って飲食した。詩人、王維に登高を詠んだ七言絶句「九月九日、山東の兄弟を憶う」があるが、故郷を離れた王椎は、茱萸(しゅゆ・グミ)をさして高きに登る兄弟の一行から、自分だけが欠けているようすを想像している(遥かに知る 兄弟 高きに登る 処(ところ)。遍く茱萸を挿すも一人を少(か)かん)。茱萸の枝を冠などに挿すのは登高の習俗。そうすれば災厄が避けられるとされた。登高は災厄を払う行事だった。
 以上のような登高は、江戸時代から季語になり、俳句に詠まれてきた。だが、行事として普及したわけではない。登高に似た行事に春の踏青(とうせい・青きを踏む)がある。秋は登高、春は踏青というペアの行事を、季語から発した行事として広めたい。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年9月9日)


2003年8月31日

虫の声(むしのこえ、mushi_no_koe)

 江戸時代の俳人、上島鬼貫(おにつら)に「行水(ぎょうずい)の捨て所なき虫の声」という句がある。庭などで行水が行われていた時代には、この句は誰もが知っていた名句だった。ところが、行水がすたれるとともにこの句を知る人も少なくなった。俳句もまた世につれて変化する。
 行水は過去のものになったが、虫の声は今も鬼貫の時代のまま。虫の声を聞いていると心がシーンとして空虚になる。そんな時は酒にする。「ちんちろり男ばかりの酒の夜をあれちんちろり鳴きいづるかな」と歌った若山牧水になって。ちんちろりはマツムシ。言うまでもないだろうが鳴く虫はすべてオス。  ちなみに、近年、街路樹などのこずえで鳴く外来のアオマツムシが急増している。けたたましいばかりに鳴くので、ちょっと風情にかける。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年9月2日)


2003年8月28日

牛乳1合ココア入り(ぎゅうにゅういちごうここあいり、gyunyu_ichigo_kokoa_iri)

 正岡子規に『仰臥漫録』という随筆集がある。寝たきりで身動きもままならなかった重病人の子規が、その日の飲食物や来訪者、到来物などを記録したもの。記録は明治34年9月2日から始まった。
 【朝】雑炊(ぞうすい)3椀、佃煮、梅干し、牛乳1合ココア入り、菓子パン2個
 【昼】鰹の刺し身、粥(かゆ)3椀、みそ汁、佃煮、梨2つ、葡萄酒1杯
 【間食】芋坂団子あん付き3本焼き1本、麦湯1杯、塩せんべい3枚、茶1碗
 【晩】粥3椀、なまり節、きゃべつのひたし物、梨1つ
以上は9月4日の飲食の記録。葡萄酒1杯の食前酒、刺し身、菓子パン、果物、そして牛乳にココアを入れた飲料は毎日の定番。食べ過ぎて苦しんだ日もあるが、好物を食べることが生きている証しであった。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年9月1日)


2003年8月24日

秋の蛇(あきのへび、aki_no_hebi)

 「秋の蛇岩を濡らしてかくれけり」。これは本田一杉(いっさん)の句。蛇が通ったあとの岩はたしかに濡れた感じがする。この俳句の蛇は秋の蛇だから、岩を濡らすのももはや最後かもしれないという含みがある。
   一杉は明治27年生まれの俳人。医者でもあり、各地の療養所のハンセン病患者に俳句を指導したことで知られている。ハンセン病は伝染力が弱く、しかも特効薬もある。ところが、患者を伝染病として隔離したらい予防法によって患者は長く差別されてきた。らい予防法は今年やっと廃止された。
 一杉は昭和24年に他界したが、先日、48回忌の集いが大阪であった。私も末席をけがしたが、私以外の参加者は全員が70代以上。半日、句会をし、そして一杉の思い出を語りあった。良い会だった。「炎天を来て大寺に一杉忌」(大橋宵火)。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年8月26日)


2003年8月21日

秋草(あきくさ、akikusa)

 朝、ため池や雑木林、水田などのある道を犬を連れて約1時間歩く。草花や小鳥などとの出会いが楽しみの1時間だが、今は路傍の秋草が楽しい。
 ねこじゃらし、よめな、やぶからし、赤のまんま、みぞそば、露草などをたどって歩くと、なんだかとても幸せな気分になる。「草花はわが命」と宣言したのは正岡子規だが、私もまた見飽きることがない。
 そう言えば、小学校の4年生くらいから、私は草花好きになった。というより、そのころ、人とうまく話せない自閉的状態に陥り、草花だけが心許せる話し相手になった。暗い小学生だったのだが、放課後、学校の花壇の世話をするときは心が弾んだ。自閉的な心を草花に開くことで精神のバランスをとっていたのだろうか。そんな私の近年の俳句は「露草を愛する人と露の中」。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年8月25日)


2003年8月17日

鳳仙花(ほうせんか、hosenka)

 8月の月遅れの盆が過ぎると急に季節が変わる。朝夕はひんやりとするし、空のようすや地上の草花の気配はすでに秋。とりわけ、触れるとパッと実のはじける鳳仙花(ほうせんか)は、そんな季節の変わり目を代表しているかのよう。いつの年だったか、鳳仙花の実につぎつぎと触れていたら、いつのまにかじんわりと涙がにじんで困った。季節は確実に過ぎる。
 10年以上も前、トンガやフィジーヘ行ったことがある。そのオセアニアの島国にも公園や道端に鳳仙花が咲いていた。鳳仙花はインド、マレー、中国などが原産地だから、何も不思議はないのだが、ともあれ、私は鳳仙花を通してオセアニアを身近に感じた。
 斎藤茂吉に「たたかひは上海に起り居たりけり鳳仙花紅(あか)く散りゐたりけり」がある。歴史上の危機を鳳仙花によって感受した大正2年の歌。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年8月19日)


2003年8月14日

松葉牡丹(まつばぼたん、matsubabotan)

 マツバボタン。南米原産のスベリヒユ科のこの1年草は、江戸時代末に渡来した。葉が肉太の松葉に、花の大きさが牡丹のようであるところからこの名がついた。
 正岡子規に「雑草に咲き勝つ松葉牡丹かな」という句があるが、松葉牡丹は日照りに強い。開花するのも天気の良い日の正午直前。そして、午後にはもうしぼんでしまう。もっとも、今では品種改良がなされて終日咲くものもある。  「松葉牡丹玄関勉強腹這(はらば)ひに」は中村草田男の俳句。玄関勉強とは玄関で勉強をすること。玄関は天井が高く、夏にはとても涼しい。それで、上がり口に腹這いなって子供が宿題などをしているのだろう。開け放した玄関さきの庭には、大地に腹ばいになった感じで松葉牡丹がこんこんと咲いている。真夏の森閑としたまっぴるまの光景だ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年8月18日)


2003年8月10日

踊り(おどり、odori)

 季語としての踊りは盆踊りのこと。盆には祖先の霊を迎えるが、実は盆踊りの踊り手はその祖先の霊。踊り手の笠や手ぬぐいは異界の者であることを示す衣装。以上は民俗学の教えるところ。
 もっとも、実際の踊り手はこの世の人々。この世の人々があの世の人々のかっこうをするわけで、つまり、踊りの場において、あの世とこの世が入り交じるということだろう。ちなみに、櫓(やぐら)を中心に輪になる踊りよりも、行進する踊りの方が古い形をとどめているらしい。行進してあの世にまで祖霊が帰ってゆくわけだ。
 日本民俗学を樹立した柳田国男に「清光館哀史」(大正15年)というエッセイがある。岩手県北部の海辺の村にあった小さくて汚い旅館「清光館」の没落を、月光の中の盆踊りの思い出とからめて描いた名文。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年8月12日)


2003年8月7日

くすぐりの木(くすぐりのき、kusuguri_no_ki)

 幹や枝がつるつるしている百日紅(さるすべり)は、木登り上手の猿も滑りそうだというのでこの名前がついた。花は文字どおりに夏から初秋の長期にわたって咲く。白い花をつける「しろばなさるすべり」もある。
 「くすぐりの木」は百日紅の異名の一つ。百日紅のつるつるした膚をこすると、花や葉がまるで笑うように揺れ動く。それで「くすぐりの木」と呼ぶ。「ウソ! 木が笑うわけはないよ」と思われる人は、炎天下の百日紅をそっとやさしくくすぐってください。
 「新しい猿又ほしや百日紅」。これは「終戦」と前書きのついた渡辺白泉の俳句。白泉は昭和19年に応召、黒潮部隊函館分遣隊の一員として終戦を迎えた。炎天下の百日紅と取り合わせられた新しい猿又は、くすぐったいくらいに白く、あたかも平和の象徴であるかのよう。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年8月11日)


2003年8月3日

晩夏光(ばんかこう、bankako)

 8月7日が立秋だから、暦の上では今まさに晩夏、実際は暑さがもっともきびしい時期だが、それでも光にはすでに夏の衰えが感じられる。そんな光が晩夏光(ばんかこう)。
 「晩夏光バットの函(はこ)に詩を誌(しる)す」は中村草田男の俳句。バットは日本製のタバコの名前。紙箱にコウモリの絵がある。その紙箱に詩を書き付けるというのだが、この詩は俳句のこと。以前は俳句に限らず、人々はタバコの紙箱にいろんなことをメモした。そういえば8月5日は草田男忌。草田男は晩夏光よりも真夏のさかんな光を愛した俳人だった。
 「どれも口美し晩夏のジャズ一団」(金子兜太)。「遠くにて水の輝く晩夏かな」(高柳重信)、「晩夏光ナイフとなりて家を出づ」(角川春樹)。これらはわが愛唱句。晩夏光の陰影がどの句においても深い。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年8月5日)


2003年7月31日

陶器市(とうきいち、tokiichi)

 猛暑が続いているが、今週半ばの7日ははやくも立秋。秋が忍び寄っている。
 その7日から京都では陶器市が始まる。10日までの陶器市の期間、五条通りの鴨川の東から東大路まで、両側に地元の清水焼の窯元を始め、有田、信楽、瀬戸などの陶器屋さんが店を出す。この陶器市、大正時代に始まったというが、今では8月の京都の名物になっている。陶器市を漁(あさ)ったあとでは、河井寛次郎記念館のぜいたくな空間でくつろぎ、それから百日草などの咲く京都の路地をうろつく。小さなそば屋があったりすると、好物のニシンそばを食べる。以上が陶器市での私の定番。
 この夏、わが家の庭には大きな河馬がうずくまっている。四国の友人が運んで来た砥部焼の河馬。でも、1頭だけなのでちょっと淋しそう。今年の陶器市では河馬を探そうか。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年8月4日)


2003年7月28日

昆虫館(こんちゅうかん、konchukan)

 手塚治虫(おさむ)は、治虫というペンネームが示しているように、少年時代から大の虫好きであった。奥本大三郎によると、手塚の天才は「少年時代に虫から学んだその色と形に由来する」(『考える蜚(ごきぶり)』中公文庫)という。宝塚や箕面(みのお)で思う存分に捕虫網を振った経験、宝塚昆虫館で外国の虫を見た経験、それらが手塚漫画の原型に作用しているというのだ。 宝塚市に近い箕面市は、実は私の住んでいる町。この箕面にも昆虫館があるが、やはり奥本によると、昔から昆虫の産地として有名だったらしい。ちなみに、『ファーブル昆虫記』の翻訳や虫に関するエッセイで知られる奥本は大阪府南部の貝塚市育ち。
 「キス初めて昆虫館の潜む森」は私の10代の俳句。箕面の昆虫館の雰囲気に促された幻想だ。そのころから私は虫好きならぬ俳句好きになった。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年7月30日)


2003年7月24日

海水浴(かいすいよく、kaisuiyoku)

 「広い蒼(あお)い海の表面に浮いているものは、その近所に私ら二人より外(ほか)になかった。(略)先生はまたぱたりと手足の運動を已(や)めて仰向(あおむけ)になったまま浪(なみ)の上に寐(ね)た。私もその真似をした。青空の色がぎらぎらと眼を射るように痛烈な色を私の顔に投げ付けた。『愉快ですね』と私は大きな声を出した」。以上は夏目漱石の名作『こころ』の一節。鎌倉の海で「私」が「先生」と親しくなるきっかけの場面だ。
 『こころ』の人物たちのように私もまた浪にポッカリと浮くことが好きだった。学生時代の夏、四国の半島に帰省し、ほぼ毎日、海上に浮いていた。浮いたまま入道雲やはるかな水平線を眺めていると、なんだか気が遠くなる感じだった。ちなみに、運動としての海水浴は明治時代に始まった。さきの『こころ』の場面はその早い例である。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年7月28日)


2003年7月20日

真夏の半島(まなつのはんとう、manatsu_no_hanto)

 私が育ったのは四国の佐田岬半島。最近、その半島の人と風土をとらえた写真集を知った。新田好の『海と太陽の間』と『レンズは見た』。新田は半島の付け根の八幡浜に住む写真家。
 新田の写真はすごい。半裸の老人の写真が多いのだが、潮風と太陽にもまれた老人の顔は日本人離れしている。ギリシアやスペイン、あるいは南米の半島にもこんな老人がいそう。つまり、どの顔も普遍的というか、永遠そのものが凝縮した表情なのだ。それはおそらく自然と一体化した人間の表情なのだろう。
 「貝殻よ/海辺の虹よ/美しい夢を 見つづけるがよい」。これは佐田岬半島出身の詩人・高橋新吉の「海辺の虹」の一節。新田の写真がとらえた人々の胸中には、詩人のうたう夢を見る貝殻が潜んでいるのか。真夏の半島へ帰省したくなった。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年7月22日)


2003年7月13日

祇園囃し(ぎおんばやし、gionbayashi)

 今週の17日は京都八坂神社の山鉾(やまぼこ)巡行。いわゆる祇園(ぎおん)祭だ。
 その山鉾巡行を、一昨年は河原町四条の交差点に立って見物した。そして去年は、御池通りに面した金箔(きんぱく)屋さんの2階で見た。
 金箔屋さんでの見物だが、その2階には金箔屋さんのいろんな知り合いが招かれており、ビールや寿司をいただきながら、窓の外の炎天へ次々と現れる山や鉾を眺めた。あたかも昔の絵巻物を見ているように。帰りには金箔を貼った墨を土産にもらった。
 さて、今年はどこで見ようか。17日が近づくと、四条河原町界隈(かいわい)は、浴衣姿の若い女性であふれる。履き慣れない下駄でマメをこしらえた女性たちは、下駄をひきずってコンコンチキチンと響く祇園囃(ばや)しの中を歩く。そんな彼女たちの中にまぎれて見ることにしようか。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年7月14日)


2003年7月10日

氷菓子(こおりがし、koorigashi)

 アイスクリーム、アイスキャンデーなどを総称して氷菓(ひょうか)、氷菓子(こおりがし)という。
 平凡社版『歳時記』は評価の高い歳時記だが、氷菓の項を見ると、「氷菓子という語音はあまり好もしくはない」とある。音が高利貸に通じるから。実際、尾崎紅葉の名作「金色夜叉」では高利貸が「アイス」と、また美人の高利貸業の人が「美人クリイム」と呼ばれている。
 氷菓子と高利貸は同音であるほかに、冷たいという共通の意味もあり、懸詞的にさかんに用いられてきた。氷菓子は「好もしくはない」言葉というよりも、同音の多い日本語の特色に富む言葉というベきではないだろうか。
 「3回忌アイスクリームにミントの葉」(鈴木由香)。作者は京都教育大学4年生。小さなミントの葉が印象的な現代の氷菓子俳句の傑作だ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年7月15日)


2003年7月6日

昼寝(ひるね、hirune)

 昼下がりに、たとえば神社の境内の木陰で寝ている大工。あるいは網小屋の裏で大きな足の裏を見せて寝ている漁師。子供のころ、四国の村で目にしたそんな大工や漁師の昼寝姿が、私にとっての昼寝の原点。これ以上はない幸せな雰囲気がそんな昼寝に感じられ、以来、大の昼寝好きになった。夏、私は昼寝なしには過ごせない。
現在私が一番よく昼寝をするのは電車の中。昼間に電車に乗ることが多く、ことに大坂と京都を結ぶ三十数分間の電車は昼寝にほどよい。弱冷車、すなわち冷房が弱めに調節された車両に乗り、ぐっすりと眠る。この車両ではほぼ全員が昼寝をしている。ところが、ときに検札があり、車掌が全員を無理に起こす。誰もが不快な目を車掌に向けるが、昼寝の快楽を妨げる接客態度はレベルが低いのではないか。 (坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1996年7月8日)

波音や昼寝ばかりの夫の旅 茶猫


2003年7月3日

跣・素足・生足(はだし・すあし・なまあし、hadashi・suashi・namaashi)

 3つの足を並べたが、最初の跣(はだし)は足の裏を優先した言い方か。何も履かずに歩くときなどに用いる。「雨ふるふるさとははだしであるく」(種田山頭火)。
跣が屋外的だとしたら、次の素足(すあし)は屋内的。「人妻の素足の季節硝子(がらす)の家」(鷹羽狩行)。
跣も素足も夏の季語。しかも近代に発達した季語。履物をはくことが普通になった近代において、履物を脱いだときの感覚が強く意識されるようになった。
さて、近年、新しく生足(なまあし)が登場している。パンストなどをはかない足、すなわち素足そのものだが、生足の場合、脚部をも含んでいる。つまり長く美しくなり、存在感を堂々と誇示する足が生足。ちなみに、跣、素足は男にも言うが、生足はもっぱら現代の若い女性のもの。時は今、その生々しい生足の季節だ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1997年7月7日)

直角にモダンダンスの素足たち 児玉 硝子


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