週刊:新季語拾遺 バックナンバー
2004年5月30日

落とし文(おとしぶみ、otoshibimi)

 ナラ、クヌギ、クリなどの葉にさきがくるりときれいに巻かれている。これはオトシブミという小さな甲虫が作った巣。この巣は地上によく落ちている。  季語の「落とし文」はオトシブミの作ったその巣のことであり、ことに落ちているものを指す場合が多い。「音たてて落ちてみどりや落(おと)し文」(原石鼎)、「落し文ありころころと吹かれたる」(星野立子)、「手にしたる女人高野の落し文」(清崎敏郎)。
 落とし文とは、公然とは言えないことを匿名の文書にして路上などに落としたもの。季語の「落とし文」は、虫の巣をその落とし文に見立てたものだが、この巣を昔の京都あたりでは、「ほととぎすの落とし文」と呼んだらしい。なかなかしゃれた見立てだ。ともあれ、明日は私も落とし文を探しに行こう。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1999年5月31日)


2004年5月27日

峠の青嵐(とうげのあおあらし、toge_no_aoarashi)

 「大菩薩峠は江戸を西に距(さ)る30里、甲州裏街道が甲斐の国東山梨郡萩原村に入って、その最も高く最も険しきところ、上下8里にまたがる難所がそれです」。これは中里介山の「大菩薩峠」の発端。
 この大菩薩峠に、歳は30前後、細面で色白、痩身だが骨格は冴えている若い武士がさしかかった。すると「ゴーッと、青嵐が崩れる。谷から峰へ吹き上げるうら葉が、海の浪がしらを見るようにさわ立つ」。青嵐は新緑を吹き分けるやや強い風だ。
 武士は峠に休んでいた巡礼の老爺に声をかけた。老爺が近寄ると、パッと血煙が立ち、老爺の胴体は真っ二つになって草の上に崩れた。意味もなく人を斬ったこの武士は机龍之介。「大菩薩峠」は41巻18冊に及ぶ大長編小説。その小説は以上のように青嵐の吹く峠で始まった。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1998年5月25日)


2004年5月23日

リラ冷え(りらびえ、rirabie)

 北海道はライラックの季節になった。今月29日は札幌のライラック祭だが、6月の中旬くらいまで、ライラックは芳香を放って咲く。
 ライラックの別名はリラ。俳句ではこのリラの方がよく登場する。2音という短さが便利なのだろう。たとえば、宇多喜代子の句集「りらの木」には、「リラを憶(おも)えば睡(ねむ)くてならぬ波の上」がある。船で本州から北海道へ渡っている途中の景か。真っ青な海上で薄紫色のリラを思うと快い眠気がきざすのだ。あたかもリラの国へ誘われたかのように。
 「リラ冷えやかがみを覗(のぞ)く私いる」(茅野由紀恵)は「現代女子高校生百人一句・百人一首」(神戸親和女子大学)にある。季語の「リラ冷え」はリラの咲く時期の冷え込み。私がのぞいている「鏡の中の私」のそばでもリラが揺れているかも。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1999年5月24日)


2004年5月20日

箱庭(はこにわ、hakoniwa)

 ガーデニングがブームだが、このブームの底には日本人の箱庭好みがあるかも
 箱庭は底の浅い木箱に好みの草花を植え、山や川を設け、陶器の人形などを置いたもの。
 たとえば正岡子規。幼児期の子規は庭の一角を仕切った「せんつば」と呼ぶ箱庭作りに熱中した。その体験がもとになって、後年には「花は我が世界にして草花は我が命なり」(「吾幼時の美感」)とまで述べた。箱庭作りは彼の美的な感受性を育んだ。「夕風や白薔薇(ばら)の花皆動く」は子規の句。
 箱庭作りとは自分の世界を作る創造行為。子供の遊びでもあった箱庭作りは、子規などを最後にして絶えていたが、今、ガーデニングという名前で蘇(よみがえ)ったのではないだろうか。わが家の近所でも、子供たちがガーデニングに参加し、動物の人形などを草花の間に並べている。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1999年5月17日)


2004年5月16日

郭公(かっこう、kakko)

 郭公(かっこう)はカッコウと鳴く。これくらい分かりやすい小鳥はいない。「あるけばかっこういそげばかっこう」は信濃路で詠んだ種田山頭火の句。
 郭公は熱帯で冬を過ごし、5月20日前後に繁殖のために日本列島にやって来る。
 その郭公はホトトギス科の鳥。ツツドリ、ホトトギス、ジュウイチ、そして郭公が日本にいるホトトギス科の鳥である。いずれも託卵性、すなわち、ほかの小鳥の巣に卵を産みつけ、抱卵と育雛(いくすう)をその巣の鳥にまかせてしまう。
 郭公はモズ、オオヨシキリ、ホオジロなどの巣に卵を託す。郭公の雛(ひな)は巣の主の雛よりも早目に孵化(ふか)する。さきに孵化した郭公の雛は、巣の主の卵をすべて巣の外へほうり出す。鳴き声のカッコウ、カッコウは軽快だが、郭公親子の習癖はかなり勝手で要領がよいという感じ。(坪内稔典) 
(毎日新聞・新季語拾遺/1998年5月18日)


2004年5月13日

祭りのころ(まつりのころ、matsuri_no_koro)

 5月15日は葵祭(あおいまつり)(雨天順延)。花といえば桜を指すように、昔は祭りといえばこの葵祭だった。『源氏物語』には葵上と六条御息所の一行が祭りの見物場所を争う有名な場面がある。そんなふうに都の人々はこの葵祭に興奮した。
 御所を出発した葵祭の行列は、検非違使(けびいし)を先頭に勅使、斎王代などの約1キロ。衣冠や牛車(ぎっしゃ)に飾ったフタバアオイの緑があざやかだ。行列は河原町を北上して下鴨神社に至り、さらに上賀茂神社へと新緑の道を進む。
「大学も葵祭のきのふけふ」(田中裕明)。こんな俳句があるが、学生アルバイトで葵祭に参加した体験のあるせいか、祭りのころになると私は気もそぞろ。学生たちに「授業をさぼって祭り見物に行け、その方がきっと勉強になる」とすすめている。変な教師だ、私は。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1998年5月11日)


2004年5月6日

毛虫(けむし、kemushi)

 毛虫はチョウやガの幼虫のうち、毛の多いものの総称。毛のないものは芋虫と呼ぶ。つまり、毛虫の類には毛虫と芋虫の2種類がいるということ。
 もっとも、私などは二つを厳密には区別しておらず、枝や葉にいるのを毛虫、土や幹の中にいるのを芋虫だと勝手に分けている。
 というような話を一杯飲み屋でしていたら、隣の知らない人が話に割り込んできた。「人間にも毛虫派と芋虫派がいますな。おたくは毛虫派、わたしは芋虫派」。その人、前頭部がつるつるだった。私は毛が多いがゴマ塩状態。
 毛虫は一般には嫌われがち。それだけに俳人はことさらに愛する。「まるまるとゆさゆさとゐて毛虫かな」(ふけとしこ)と好意を示し、毛虫に同化して「道よぎり了(お)へたる毛虫さてどこへ」(森田峠)と詠む。俳人は伝統的にへそ曲がりなのだ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1999年5月10日)


2004年4月29日

晩春(ばんしゅん、banshun)

 「行く春や鳥啼き魚の目は泪」の季節だ。この芭蕉の句、鳥が啼くのは普通だが、魚が泪を浮かべているイメージは意外で新鮮。
 春は巣立ち、別れ、出発、転身などの季節。鳥や魚だけでなく、人もまたいろんな思いをこめて歌い、また涙を浮かべたのではないだろうか。
 「花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生だ」。これは井伏鱒二が于武陵(うぶりょう)の漢詩「勧酒」の「花発(ひら)けば風雨多し、人生、別離足る」を翻訳したもの。たしかに、今までの半生において、私もまたサヨナラを反復してきた。別れは人生の大切な一面だった。
 April is the cruellest month,(4月は残酷極まる月だ)と始まるのはT・S・エリオットの有名な詩「荒地」。生命の欲情の噴き出す荒々しさがエリオットの言う残酷さ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1998年4月27日)


2004年4月22日

蛙(かえる、kaeru)

 「古池や蛙飛び込む水の音」。このあまりにも有名な芭蕉の句は、わび・さびの境地を表現したものとされてきた。だが、正岡子規はそんな定説に反対し、「古池に蛙が飛び込んでキャプンと音のした」(『俳諧大要』)ようすを単にそのまま表現したものだと言う。つまり、閑寂でも悟りでも禅の境地でもない。
 さらにユニークなのは高浜虚子。虚子はこの句は「天地躍動の様」(『虚子俳話』)だと読む。春になって蛙がさかんに池に飛び込んでいるようすだ、と言うのだ。
 私の好きな詩がある。蛙をこよなく愛した詩人、草野心平の「蛙つりをする子供と蛙」(詩集『第百階級』)。蛙が子供を見上げた短い詩だ。「グリャリャ/あの子のちんぽをみな/曲っテイるよ」。
 蛙たちは芭蕉の句についてどのように見ているのだろう。聞いてみたい。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1999年4月26日)


2004年4月18日

亀鳴く(かめなく、kame_naku)

 江戸時代、スッポンはスポン、スポンと鳴いた。また、亀はお経をよむ感じで鳴く、とも言われていた。そんなことが、たとえば18世紀に活躍した伴蒿蹊(こうけい)の随筆「閑田耕筆」に書かれている。
 亀が鳴くという現象は、『新撰六帖』の「河越しのをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀の鳴くなる」(藤原為家)にもとづく。河向こうの遠い田の中で鳴く声がする。あれは何かと尋ねたら、亀が鳴くのだ、という答え。以上のような意味の歌だ。『新撰六帖』は、13世紀半ばに成った類題歌集。
 亀には発声器官がなく、実際は鳴かないらしい。だが、晩春の季語として今なお人気が高い。正体のわからない音を亀が鳴くとみなす、そんな見立ての面白さを俳人たちは愛しているのだろう。「亀鳴くや母を愛する齢(よわい)にて」は岸田稚魚の俳句。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1998年4月20日)


2004年4月15日

藤の花(ふじのはな、huji_no_hana)

 少し離れて藤棚を眺めることが好き。眺めていると、たとえば次のような情景に出会うかも。「白藤や揺りやみしかばうすみどり」(芝不器男)。白い藤の花房、それがかすかにうすみどりを帯びている。今、風に揺れて止まったばかりなので。以上のような意味の俳句だ。
 少女は激しく動くとほおが紅潮する。そのように、不器男の俳句の白藤は風にもまれてうすみどりに染まった。まわりの新緑に染まったというよりも、美少年のような白藤の内なるみどりがにじみ出たと思いたい。
 不器男は今の愛媛県北宇和郡松野町に生まれた。白藤の句が代表する繊細で抒情的な俳句を残し、昭和5年、27歳で死去した。松野町の生家が芝不器男記念館として保存されているが、今ごろ、その生家での藤の花が揺れているだろう。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1999年4月19日)


2004年4月11日

頬白(ほおじろ、hoojiro)

 「あっ、頬白(ほおじろ)だ」と立ち止まって櫟(くぬぎ)のこずえを見上げていたら、いつも出会う人が、「鶯、いい声になりましたね」と言って通り過ぎた。「ええ」と応じたものの、聞こえるのは、「源平つつじ白つつじ」という鳴き声。私は思わず自分の耳をひっぱった。先日、散歩の途中での出来事。  頬白は雀より少し大きい小鳥。いろんな聞きなしがされており、さきの「源平つつじ・・・」のほかに、「一筆啓上仕候(つかまつりそうろう)」「しとどの睾丸(こうがん)七分二朱」「でっち鬢(びん)つけ、いつつけた」などが有名。
 大正4年の春、京都市伏見の丘陵に一泊した夏目漱石は、翌朝、次のような頬白のさえずりを聞いた。「チンチラデンキ皿持てこ汁のましょ」。
 ちなみに、以上の頬白のさえずりは一声が約1、2秒。とても早口だ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1998年4月13日)


2004年4月8日

えんどうの花(えんどうのはな、endo_no_hana)

 えんどうやそら豆の花が大好きだ。今はちょうどえんどうの花が咲いており、朝の散歩はあたかもえんどうの花をたどる具合。
 「むの字には○がありますその○をのぞくと見えるえんどう畑」というのは私の作った短歌。えんどうの花はこんな楽しい気分にさせる。
 楽しい気分がさらにつのって俳句も作った。「えんどうの花に泊まって来たと言う」。この句、句会に出したら読み方が分かれた。
 20代の女性は童話的な愛の世界と読み、50代の男性はえんどうの花をラブホテルの名前と読んだ。  『万葉集』(巻8)に山部赤人の「春の野にすみれ摘みにと来しわれぞ野をなつかしみ一夜寝にける」がある。すみれに泊まったこの歌を踏まえ、「すみれもよいがえんどうの花もいいよ」というのが作者の気分。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1999年4月12日)


2004年4月4日

仏生会(ぶっしょうえ、busshoe)

 4月8日は釈迦の誕生日の仏生会(ぶっしょうえ)。寺院では花で飾った花御堂を作り、そこに安置した誕生仏に甘茶をかけて祝う。
 灌仏会(かんぶつえ)、花祭などとも言う。
 釈迦が誕生したとき、天から竜が降りてきて香水を灌(そそ)いだ。その伝説にちなみ、香水として甘茶を灌ぐのだという。甘茶は産湯なのだろう。  奈良の法隆寺の場合、大講堂に誕生仏を安置し、まわりを花で飾る。午前10時からの法要のあと、寺僧たちが甘茶を灌ぐ。
 ちなみに、法隆寺の誕生仏は明治44年に盗難にあい、昭和18年に新しく造られた。造ったのは香取秀真(ほずま)。秀真は文化勲章を受けた鋳金家だが、正岡子規門の歌人でもあった。子規の「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は法隆寺のコピーのような超有名句。その子規の門下が誕生仏を造ったというのは仏縁か。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1998年4月6日)


2004年4月1日

花吹雪(はなふぶき、hanafubuki)

 桜のころには強い季節風が吹く。それでいっせいに花が散るのだが、そのさまが花吹雪。花の散るようすはまた、「花の滝」「空に知られぬ雪」ともたとえられている。「山ざくら天にも滝のあるごとし」(角川春樹)。
 大阪府南河内郡の弘川寺(ひろかわでら)は西行法師の死去した寺として知られるが、ここの山桜の花吹雪は見事。高いこずえを見上げていると、花びらに誘われて遠い別世界へ行ってしまいそうな気になる。
 ちなみに、西行も花吹雪に魅せられた人。「春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり」と詠んでいる。
 ところで、私が格別に愛する花吹雪は各地の動物園のそれ。ことに河馬(かば)舎付近の花吹雪だ。「全国の河馬がごろりと桜散る」「桜散るあなたも河馬になりなさい」は私の句。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1999年4月5日)


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