週刊:今週の季語 バックナンバー 2004年6〜9月
2004年9月26日

鯊(はぜ)

 鯊は頭と口が大きく、目は頭の上の方に寄っている。とぼけているというのか、ひょうきんなというのか、信用できるというのか、なんとも味のある顔立ちだ。電車の中に鯊はいないが、いるときもある。つい、マジマジと見てしまい、目が合いそうになると慌ててあらぬ方を見、頃を計って再び目をやると、目鼻の引き締まった黒鯛に代わっていて、それはなんだか損をした気分。
 新淀川(大阪)の河口、赤い浮きがピョコンと沈んで鯊を釣った。天麩羅にして食べた。
 家内は躊躇していたが「シーズンに二、三度食べるくらいどうもないで。それにナ、出るとこに出たらこの鯊ナ、注文するん止めとこ云うぐらい高いんやで。早よ食べ。」

(南村健治(船団の会編集部))


2004年9月19日

葡萄

 先日、夕陽丘にある小さな喫茶店に入った。店の窓を覆い隠すように、前庭には葡萄棚があった。夕日の中で葡萄は赤紫の半透明に輝いていた。窓際の席に腰を下ろして、外を眺めながらコーヒーを飲んでいたら、突然友人がノートを取り出し、葡萄の絵を描き始めた。すると、お店のマスターがにこにこしながら、白い皿に葡萄を載せて持って来てくれた。その一粒を口に含むと、日の温もりがして、ほんのり甘く、種もあった。今は種無し葡萄が主流だけれど、とても懐かしい気分になった。「のちの月葡萄に核のくもりかな」(夏目成美)という、美しい句があったのをふと思い出した。成美は寛延二年、江戸に生れた。浅草蔵前の札差だったが、十代の頃から俳諧を嗜んでおり、化政時代の江戸俳壇で活躍した。「撫子のふしぶしにさすゆふ日かな」「秋の日は雁の羽風に落にけり」なども繊細な感覚で光を捉えている。

(小枝恵美子(船団の会編集部))


2004年9月12日

台風眼

 忘れもしない4年生の秋。折からの台風と秋雨前線による大雨。学校は気象警報のため、お休み。「宿題は?」「あとでする」お決まりの母との会話。だって、こんなに雨が降っているんだモノ、あしたもきっと・・・。のんきに晩御飯を食べていたら、ニュースで一言。「兵庫県南部の警報はすべて解除されました。あすはお天気も回復するでしょう」。ご飯を食べ終えて、速攻2階に駆け上がったのは言うまでもない。泣きそうになりながら3日分の計算プリントB4用紙3枚に取り組んだ。宿題で悲惨な思いをしたのはこのときだけ、というわけでもないが、まあ、今でも台風の眼と目があうと、何かし残している気がして落ち着かない。

(わたなべじゅんこ (船団の会編集部))


2004年9月5日

撫子(なでしこ)

 来年は国民学校一年生、という昭和18年の夏、私は富士山麓の病院に入院した。  手術室に入るのを嫌がって、両親の膝でぐずる私の肩を両手で抱き、看護婦さんはやさしく「きれいになってきましょうね」と言った。学齢を迎えて、私は兔唇の整形手術を受けるために入院したのだった。
 かすかに、だがしつこく記憶にしみつき、折にふれて蘇るその匂いが、全身麻酔のためのエーテルだった、と知ったのは18歳で薬科大学に入ったとき。ほかには、富士登山から帰ったという大男が玄関で脱いだ泥だらけの靴、毎朝運ばれてきた固い白粥、同室の着物のお姉さんが折ってくれた千代紙の鶴。そして、庭いちめんに散りばめられた淡いピンクの撫子の花。

(中原幸子 (船団の会編集部))


2004年8月29日

毬栗(いがくり)

 家の近くに、1本のひょろひょろとした高い栗の木がある。7年前、今の家に越してきて見つけた木だ。その木が、今年は成り年だとみえ、たくさんの実をつけた。梅雨のころ自然に落果したものもあるが、高い木の梢に、青々とした毬栗がまだまだ、たくさん太っている。毎朝、犬の散歩で見上げる。熟してその実が落ちるころ、夜明けの薄暗くて、人があまり散歩に出ない時間、犬を連れてその場所に行く。そして拾い始めるのだ。あった!あった!竹薮にも落ちている。そこで、やぶ蚊に刺されながらもその嬉しいこと。 子供の頃、家の栗林で栗拾いをして、両方の足で栗の実を押え付け、はさみでひょいと実を取り出す、そんなことを、子供の仕事として手伝ったものだ。そんなことを思い出しながら、毎年、この栗の実の皮を丁寧に剥ぎ、親指ほどの実で栗ご飯を3回ほど炊く。今年は何回炊くことが出来るだろう。

(陽山道子 (船団の会編集部))


2004年8月22日

朝顔

 文楽の演目の一つに「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」がある。秋月家の息女である深雪は、宇治川の蛍狩りで宮城阿曾次郎に一目惚れ。二人は恋仲となるが、阿曾次郎は深雪の扇に「露の干ぬ間の朝顔を、照らす日影のつれなきに〜」の唱歌を書き、主家の急用のため別れていく。恋しさ募る深雪は家出をし、目を泣きつぶして盲目になるが、「朝顔の歌」を唄って門付けをしながら阿曾次郎の跡を追う。各段の中でとりわけ心をうたれるのが「宿屋の段」。目の前に恋しい人がいるのに盲目ゆえに気付かない深雪、一方、阿曾次郎も同輩を警戒してその場で言い出せない。客が夫であったことを知った深雪が髪振り乱して追いかける場面は、人形遣いの見せ場でもある。
 作者は「恋しい」「逢いたい」と願う深雪に意地悪をするように、あらゆる場面で二人のすれ違いの趣向を工夫するが、それに耐えて深雪は男を追い続ける。実に深情けの女であるが、これほど惚れられたら男も本望じゃないでしょうか。

(水上博子(船団の会編集部))


2004年8月15日

終戦記念日

 むかし、男の児ありけり。年ごと葉月中頃、丹後なる祖父母のもとに往けり。その祖母なる人、この男の児に種々のことを語りしが常なれどこの月は定めて政市の話をぞしける。政市は祖父の異父弟にて、前の戦の折、南京入城直前に彼地城外にてはかなくなりし人なり。一九三七年冬夕暮、小隊長にて突撃の合図一声、先頭に立ち山の中腹から顔をあげにし所、突如敵軍の鉄砲玉飛来せり。頭部を貫通、即死したるとか。祖母、この件を話せば落涙して「やさしく聡明なる人、疾く逝きにけり」と嘆くこと限りなし。後は語らずして彼の遺書、日記を男の児に示すのみ。遺書、日記いづれも武人たるもの些かもなし、寧ろ気弱な風情なり。孫、笑ひののしりていはく「彼は愚かなり。我は真に聡明にて、小隊長なれば我は突撃といひて部下に指示し、さだめて己は殿軍に居るべし」と言へり。祖母目頭抑へ「さあらまほしき。前をな走りそ」とニツコリ言ひて男の児の頭を撫でき。何処よりか風湧く夕べ、庭をきちきち跳ねゆく。キツネノカミソリ淡く揺れをり。
 さて、二旬を過ぎてこの孫いつしか二児の父となりしが、当時の我が言葉に自信なし。この男、八月十五日の生まれなれば、年ごとこのことを思ふ。曰く、誠実は罪。

(塩見恵介(船団の会編集部))

2004年8月8日

墓掃除

 瀬戸内海の過疎の島。盆が近づくと、帰省した人たちが海辺に近い墓地の掃除をはじめる。山がすぐそばまでせまり、木が垂れ下がるように繁っていて、墓のまわりは落葉で覆われる。先年、島で山火事があり何日も消えないでくすぶり続けたことがあった。その原因はつみ重なった落葉の下の火がなかなか消えなかったことにあった。石油やプロパンが普及して、風呂焚きなどの燃料に落葉を使う人がいなくなったのだ。墓のまわりの落葉もいまは廃棄物となる。
 墓の前には穏やかな海と向かいの島が低く広がる。一時代前の風景が残っていて、近作の映画「機関車先生」のロケ地にもなった。この鄙びた島の小さな墓地にも、前の大戦の戦没兵士の墓がある。初めのころのものはそびえるように建つが、末期になると墓も小さくなったという。

(飯塚英雄(船団の会編集部))


2004年8月1日

登山

 先日、丹波の剣尾山に登った。高さは780メートルくらい。時鳥の声を聞いたり、小紫陽花を眺めたりしながら、2時間ほどで頂上に着く。天気に恵まれ、周りの山が遠くまでよく見えた。山頂は風の抜けがよく、秋茱萸の葉が捲れ、白っぽく靡いている。枝の細く骨ばったところが清々しい。
 この山は、麓に近いところに、大きな岩がいくつかあり、志のある者が上で座禅を組んでもさまになりそうなかたちをしている。青葉時の風を受けながら、岩上で瞑想に耽るのは、修行にはならなくても、きっと値打ちがあるだろう。一帯は行者山と呼ばれているらしい。そう聞くと、訪れるにも力が入ってしまいそうだが、終始、気さくな明るさがあった。

(笠学 (船団の会編集部))


2004年7月25日

 浜松の友人から写メ−ルが届いた。
 写真の背景は新聞紙が平たくしてあり、その新聞紙に横並びの鮎が等間隔をおいて7匹写っている。香魚ともいわれている鮎は画像からも香りが届きそうだ。
 友人は鮎漁解禁日が6月1日なので6月2日に釣りに行くと、さい先よく62匹も釣れたと喜びの報告からはじまって、9月15日頃までの毎日は鮎釣りで頭がいっぱいになるという。大雨が降ると濁流で2週間は釣りが出来ない。晴天が続くと渇水で鮎がつれない。釣り仲間で会社をリタイヤした人がいて釣り人が少ないウイークデーに釣に出かけているのが羨ましい。友人は悩みの多き釣り人なのである。
 鮎は川魚の王様、以下はその王様のかかわるエピソ−ドである。ある少女達の団体が、鮎の掴み取りに出かけた。膝までの深さの堀に12匹の鮎が放流され、12人の少女が一斉に堀に入った 。一匹ずつ掴んだはずなのに、ひとりの少女は掴めず鮎も残っていなかった。その少女は掴んだ鮎を素早く堀の外へ逃がして命を救ったのだ。詩人金子みすずのような心を持っていたのだろう。

(藏前幸子 (船団の会編集部))


2004年7月18日

海の日

 ポセと出会ってからというもの、買い物が楽しくて仕方がない
 いくら荷物が重くても、ひょいと持ってくれるし、どんなに待たせても涼しい顔で待っていてくれる。夜だってもう恐くない!ポセと一緒なら何処まででも行けそうな気がする。月にぶら下がることも、夕日をつかまえることも出来そうだ。
 彼のボディは青い空をそのまま映した海のように美しい。
 強くてたくましくて優しい、私の相棒(自転車)。ポセはポセイドンの愛称。

(黒田さつき (船団の会編集部))


2004年7月11日

ビール

 ロンドンでギネスビールに出会った。夕食のためにホテルを出て、辻を曲がった最初の店がパブだった。店内は満員で店先のテーブル席もほぼ満席。立って飲んでいる人たちを除けて通りながら、その手にある黒ビールが目に入った。ハイドパークをゆっくり散策してきた後だったこともあるが、お酒には目がない方なのだ。同行しているのはツアー仲間の6人。まだツアー第1日目、散歩中に話しただけの仲である。歩く速度を緩めたものの「一杯飲んで行こう」とは言い出し兼ねた。ただ、黒一点の男性も入りたそうであったのは見逃さなかった。隣はチキンの照り焼きとフライドポテトのテイクアウトのお店。店先のテーブルで何人かがおいしそうにチキンを頬張っている。その数軒先のレストランの中も覗いてみたが、一皿に盛られている量の多さに一同げんなり。そこで相談の結果、決まったのがパブでビールを、つまみは隣からチキンとポテトを調達と。先の黒ビールの人にそのビール名を聞いたのだが、一向に通じない。結局その人に連れられてパブのカウンターへ。指差したコックが、ギネスビールだった。夏はビール、ギネスが一番。

(岡村和子 (船団の会編集部)


2004年7月4日

初蝉

 夏の太平洋高気圧が勢力を増し、梅雨前線を北へ日本海へと押し上げ、日本列島がその高気圧圏内に入いると、空気が全く入れ替わってしまう。新鮮な真夏の暑さとでも言おうか。そしてそんな状態が2,3日も続けば、まるでこの時を待っていたかのように「ニィ〜、ジィ〜〜」と、にいにい蝉が鳴き始める。梅雨明けも近い。
 私の住むあたり(兵庫県中部)では、にいにい蝉の次に鳴き始めるのは意外にも、秋の季語となっている蜩なのである。明け方に四方の山からいっせいに鳴く蜩は、歳時記にあるそれとはずいぶんとイメージが異なる。ちなみに、ここではにいにい蝉、蜩、油蝉、熊蝉、みんみん蝉、つくつくぼうしの順番に鳴き始める。都会で朝からやかましく鳴く熊蝉などはあまり耳にしない。また秋を感じるのはみんみん蝉あたりからだ。
 こんな話を俳句が好きな英会話のダイアン先生(ハワイ出身)にしてみると、あまり興味を示さない。それどころか、どうも彼女には蝉の声はどれも同じように聞こえるらしい。

(小倉喜郎  (船団の会編集部))


2004年6月27日

紫陽花

 先日、現代文の授業中に「紫陽花と朝顔の違いがわからない」という高1の男子の発言に驚かされた。 都会っ子だからか?関心のなさゆえか?しばし考えさせられた。家に帰って中3の息子に話すと、「僕はわかる」というのでホッとして、庭のガクアジサイをガラスの器に挿しギャグにしようと思って、息子に「この花は?」と尋ねると真顔で「わからん」と言われ、ズッコケた。 どうやら手鞠状のアジサイだけを紫陽花だと思っていたらしいのだ。
 雨上がりの日曜日、大人の顔よりも大きい紫陽花をいただいた。お使いに行ったお家のご自慢の紫陽花だったようで、3本も切ってくださった。「どれがいい?」と言われてよく見ると、木陰で白猫ちゃんと三毛猫ちゃんがかくれんぼをしていた。家に帰ってガラスの器に挿して食卓に置いたが、どうもバランスが悪い。何だかヘルメットを置いているみたいで、家族からも不評であった。もっと芸術的に飾らねばならなかったのか?ともかく手鞠状のアジサイは欲しかったので、挿し木をしている。いつかお洒落に飾れる日がきますように。

(尾上有紀子 (船団の会編集部))


2004年6月20日

冷素麺

 数年前、故郷の新聞に若い女性からの投稿が載せられた。 「都会の生活に疲れて故郷に帰ってきた。帰るバスから見る山も川も出て行った頃と変わらない姿で私を迎えてくれた。いつも走っているおじさんも、いつものように走っていた。」 景色と同じこのおじさん、私の高校時代の友人である。
 6月13日、彼の提案で始まった「みかた惨酷マラソン全国大会」(兵庫県美方郡美方町)の12回大会の応援に行った。24Kmの距離で標高差700mの山岳コースを走る。まさに「残酷」であるが、人口2600人の町へ全国からランナーとその応援者、約2000人が訪れる。町を挙げてのこの大会、幼稚園児から老人まで、みんながそれぞれの役割でこの大会に係わっている。
 ゴールでは、婦人会がランナーと応援者に冷素麺を振舞う。食べやすい冷素麺の振舞いは走り疲れたランナーに大好評。マラソン大会のゴールでの冷素麺は、この大会から他の大会へも広められたそうだ。小さな町へ多くのランナーが訪れるのは、こんな心遣いのアイデアと町を挙げての手作りの応援。台風一過の一日、心地よく過ごした。

(岡清秀 (船団の会編集部))


2004年6月13日

風蘭

 軽やかなタッチで、楽しくって、それでいてちょっとしんみりしたり、ほんわりした気持ちにさせてくれたり、、、そんな文章が書けるといいなあ、とずっと思っています。そう、例えるなら、風蘭のような。姿もいいですが、香りも良くって、さり気ないのにあの存在感!それでは、私の好きな文章を書く方を何人か。現代作家では、原田宗典氏、故遠藤周作氏、もう少し前では、寺田寅彦。寅彦の「竜舌蘭」という随筆は個人的に秀逸。竜舌蘭といえば、巨大サボテン(というより巨大アロエ?)のような姿とテキーラの原料として有名ですが、残念ながら季語にはなりません。風蘭、紫蘭が夏の季語ですね。「蘭(秋蘭、蘭の花、蘭の香など)」は秋の季語になります。ちなみに私は、西洋蘭よりも東洋蘭の方が好き。もちろん、風蘭は東洋蘭。

(朝倉晴美 (船団の会編集部))


2004年6月6日

 口の大きさは70センチほど。高さもほぼ同じ。ふっくらと張った胴には龍が暴れている。えっ、なんのことって? 実はこれ、我が家の裏庭にある甕のこと。ボクが中学生だった頃、梅田(大阪)の古道具屋から父と二人で担いで帰った、甕。何に使うつもりだったのか、父が死んで三十数年経って、今もナゾの甕だ。
 で、その甕で蟹を飼っている。
 蟹は、住まいの近くを流れる新淀川でつかまえた。数日前の雨上がり、家内と川岸を歩いていると、ゴロタ石の隙間から蟹が出てきた。赤茶色の甲羅が2センチほど。一匹つかまえると、また同じ様なのが横歩きで出てきた。子供の頃のように3,4匹つかまえて、さて、どうするとなって、ナゾの甕に飼う事となった。川の泥付きの石も甕の底に置いたが、いつ覗いても、蟹がいない。小さ過ぎたのか。今度は大きいのをつかまえよう。
 もうすぐ、梅雨に入る。雨季は蟹がよく動きまわる。

(南村健治 (船団の会編集部))