週刊:今週の季語 バックナンバー 2005年4〜6月
2005年6月26日

半夏生

見た? 知ってる? ハンゲショウって
そう 歳時記に載ってるあれ あの半夏生
見たのよ  一面よ  一面
アッ! コレッ!!  ハンゲショウ!!!   って感じ
今週が見ごろなんだって
俳人でしょっ
すぐよ すぐ
見ればわかるって
アッ ごめん 草津市立水生植物公園みずの森
琵琶湖大橋の東の袂
湿生植物なんだって 半夏生
そうそう 公園のすぐ傍の琵琶湖は日本一の蓮の花の群生地よ
湖面がもうすぐ真っ赤に染まってしまいそうだったわ
じゃあ すぐよ
すぐにね

(岡村和子(船団の会 編集部))


2005年6月19日

源氏蛍

 ガラスと陶器のちょっとしたグループ展をする。そのため時間があれば工房に籠もっている。工房といっても農作業小屋を占拠しているだけで、裸電球ひとつの小さな工房である。窯の燃料は灯油で、本焼きにはおよそ16時間かかる。休日に早朝から火をつけて、午後には1000℃を越え、火を見る穴からはオレンジ色の火が吹き出る。ちなみに英語でこの場合の動詞「焼く」は“FIRE”を用いる。  日も暮れて、いよいよオレンジから白い炎に変わる頃には、田んぼ1枚隔てた前の川に源氏蛍が舞い始める。今週が見ごろのようだよ。

(小倉喜郎 (船団の会 編集部))


2005年6月12日

アイスクリーム

 我が家の冷蔵庫では、チョコレートとアイスクリームが大きな顔をしている。「おめざ」や「おやつ」として欠かせないのだ。母(私)の影響で子どもたちも大好物となり、当初はあきれていた夫も今はあてにしている?ようだ。
 さて、アイスの季節がやってきた!チューペットもハーゲンダッツも好きだけれど、子どもの頃食べた「白バラアイスクリン」の味が忘れられない。クリームと違ってザラッとした、和風シャーベットといったような氷菓の類だった。学生時代に旅行先の雲仙で食べたアイスがかなり近い味だった。しかし「昔なつかし〜」と銘打ったアイスに出合っても糠喜びさせられてばかりいる。今となっては幻の味だ。

(尾上有紀子(船団の会 編集部))


2005年6月6日

時の日

 ある日、70歳くらいの男とバスを待っていた。男は3分ほど遅れてきたバスにいらだち、バスが出発しても運転手の横に立ち執拗にバスの遅れを責めたてた。あまりのしつこさに私は男に言った。「あなたは今までかなりの時間を過して来られていると思うが、この3分はそんなに取返しのつかない時間ですか。」男が70歳だとすると36792000分間を生きて来たうちの3分間である。男は少しむっとしたようだったが、だまって椅子に座った。確かに時間はどんな時間も取返しはつかない。私は子どもの頃から宿題など間際にならないと行動が起こせなかった。母は時間を無駄に使い計画性のない私をよく叱っていた。そんな母も平成8年の6月10日にこの世を去った。私の計画性の無さはいまだに直っていない。

(岡 清秀 (船団の会 編集部))


2005年5月29日

日傘

 パラソル、という響きもステキ、でも私には胸痛む響きでもあるのです。
 ずっと探しているのです。数年前失くした紺色の日傘を。何年も愛用していた一本。濃紺の綿生地に白の木綿糸で刺繍が入っているもの。柄は白木。決して置き忘れたりしないように注意していたのに・・・。それは、句友との楽しい一時の後、H急線梅田駅でのこと。やっぱりお酒が入っていたのがいけなかったかしら。その後、私は日傘を求めていない。願掛けと教訓だから。亡き祖母のパラソルを使いながら、あの日傘が幸せでいることを信じて。

(朝倉晴美 (船団の会 編集部))


2005年5月22日

イサキ

 若魚はウリン坊と呼ばれ、体に黄色の縦縞がある。成長するほどに縞は消え、濃褐色となる。地方により呼び名は多彩。東京では和名のまま、イサキ。関西では一般にイサギ、と濁る。イサキの「イサ」は磯。磯にすむ魚(ギ)だからこの名で呼ぶ。漢字を当てると「鶏魚」。背鰭の形が鶏の鶏冠に似ているからか。旬は麦の熟れる頃。この頃は「麦わらイサギ」と呼ばれ、抱卵期なので脂がのって旨い。ちなみに、マダイのことを「麦わらダイ」と呼ぶ時期もあるが、こちらのはストローの麦わら。桜の頃に産卵を済ませ、身がスカスカになった時期のマダイをいう。
 釣りは船から狙う。和歌山の中南紀に船を出すことが多い。この時期、民宿に泊まると塩焼きで皿にのる。明日釣る魚を前夜に食べるのは間が抜けている、というか厭味。白崎、田辺あたりではカジヤゴロシ(鍛冶屋殺し)の渾名で呼ばれることもある。イサギの背のトゲは硬くて鋭い。かつて、そのトゲを喉に立てて死んでしまった鍛冶屋が居たのかも。物騒な一件だが、骨までしゃぶるほど旨いことは、旨い。

(南村健治(船団の会 編集部))


2005年5月15日

蠍座(さそりざ)

 皆さんは蠍座が季語であることを知っていますか? 蠍座はギリシャ神話で活躍する勇者オリオンを刺し殺した蠍がゼウスの妻であるヘラによって天に召し上げられた為に出来た星座だそうです。
この星座の中心部、ちょうど蠍の心臓部にあたる一等星『アンタレス』がとても美しく人々を魅了します。名前の由来はギリシャ語でアンチ・アーレス、火星に対抗するという意味で、非常に赤い色の星です。
僕は神戸の市街地育ちなので星を見るということは非常に困難な地理的環境にあるのですが、田舎で見たアンタレスは今でもはっきり意識に残っています。
皆さんも一度蠍座のアンタレスの下で俳句を作ってみてください。

(徳本和俊 (船団の会編集部))


2005年5月8日

狐の提灯

 狐の提灯は、宝鐸草(ほうちゃくそう)ともいう。高さは30〜50センチくらいで、山林に自生している。先日、泉佐野市の犬鳴山で見たのだが、筒の形をした白い花で先端は緑色を帯びていて、鈴蘭のように可憐である。私は初めて出あって、とても好きになった。しかし、この草花は毒草らしい。やっぱり狐と名のついた植物には、気をつけなくてはいけない。

(小枝恵美子「船団の会」編集部)


2005年5月1日

樟若葉

 神戸の湊川神社には楠正成が祀られている。七五三のお参りや初詣など、私も節目の度にお参りをしてきた。地元では「楠公(なんこう)さん」と呼ばれ、勝負事の神様として信奉が篤いと聞いたが、うっかり「楠正成って、負けてるやん」と口を滑らせて以来私にはご利益がない。崇りがなくてホントによかった。それはともかく、この境内にもたくさんのクスノキが植えられている。ここのクスノキもとても大きい。私が抱きしめてあまるぐらいのおおきな幹だ。ごつごつと地上にまで姿をみせるほどしっかりと根を張り、枝を広げる。去年の葉を惜しげなく降らし、樟若葉がきらきらと光る。きみどりの木漏れ日の中にクスノキのかおりがほのかに漂う。クスノキがひそかに自己主張する季節だ。

(わたなべじゅんこ (船団の会編集部))


2005年4月24日

花蘇枋(はなずおう)

 「陽のあたる場所から」という映画を見た。精神科の若い女医コーラは、言葉を発しない女性患者に会う。頑なに心を閉ざす彼女を救いたいと懸命に接し、まだ会話はできないものの心を通わせ始めたある日、患者の身元が判明し故郷アイスランドに送還されてしまう。名前はロア。今まで何度か失踪したことがあるという。彼女を救えるのは自分しかいないと、コーラはアイスランドへ旅立つ。ロアをこっそり連れ出そうとするが、現地の医者に止められる。結局ロアを救えなかったが、別れ際、陽だまりに坐るロアがコーラの手をかたく握り締める場面から、二人が確かに分かりあえたことが示される。ロアの心に深く関わったことで、コーラは人間としても成長したのではないかと思った。
 花蘇枋が今盛りである。紅紫色の小さな蝶形の花を枝いっぱいにつけて、春だ春だと叫んでいるみたいだ。そういえば、アイスランドには夏と冬しかないらしい。

(水上博子 (船団の会 編集部))


2005年4月17日

山帰来の花

 山帰来の葉っぱを摘む。つやつやと丸みを帯びた大きな葉っぱは、「柴餅」の餅を包むために使う。郷里(愛媛)などでは、柏の葉が手に入らないので、山帰来の葉が使われるのだ。葉っぱを取りに行くのは子供の仕事。刺がある蔓を藪の中から引っ張り出し、葉っぱを取ることに夢中だった。
 俳句を作るようになってから、「山帰来の花」が季語だと知った。かつては、小さくて白い花など目に入らなかったのは、まさに、「花より団子」ということなのだろう。

(陽山道子 (船団の会 編集部)


2005年4月10日

田鼠化して鶉となる(でんそかしてうずらとなる)

 ドラゴンクエストのファンで、ずっと「ドラクエ日誌」をつけている。ときどき読み返して、ドラクエT(1986年)のあのわくわくどきどきに浸る。主人公になりきって、命がけでモンスターと闘った。家を買う真剣さで武器や道具を選んだ。やがて、地下鉄への降り口がダンジョンの入り口に見え始めたころ、ついに「王女の愛」をゲット・・・。
 ダンジョンの原義は地下牢とか土牢。でも、ゲームの世界では謎と危険と宝物の混在するあらゆる迷宮を指すようだ。
 「田鼠化為鶉」は72候の1つで、4月10日ごろからの5日間ほど。田鼠はモグラで、あのトンネルは獲物を捕える罠ですってね。私の前世はモグラです。

(中原幸子 (船団の会 編集部))


2005年4月3日

新参

 かつて奉公人が雇用期間を終えて交代する「出代」は、1年契約では陰暦2月または3月がその時期。そして初めて「御目見得」した奉公人が「新参」。(ちなみに「出代」、「御目見得」も立派な季語)。
 そこには晴れがましい「新入生」とか新しいスーツで颯爽とした「新入社員」とは少し違う匂い。しかし自らの記憶を辿れば、節目はほとんど「新参」「御目見得」の心だったような。なかでも小学校に入学したての頃の給食の思い出は鮮明。担任の先生が休みだったのだろう、その日は厳格そうな眼鏡を掛けたオバサマ先生が来て、僕たちと昼食をともに。そして、豚カツのソースのついた皿をコッペパンで拭いては食べ、拭いては食べ・・・。「フランスではお皿に残ったソースはこうして食べるのですよ」と宣われた。雑巾のようにソースを拭き取り口に押し込んだ幼いわたしはまぎれもなく、今流行の「自己実現」とはほど遠い、異文化に適合せざるを得ない新参者だった。

(塩見恵介 (船団の会 編集部))