週刊:今週の季語 バックナンバー 2005年7〜9月
2005年9月25日

あきこ

 私が幼少の頃、「あきこ」は2階で育てられていた。小学生になる頃には2階の改築にともない離れが建てられ、「あきこ」はそこで育てられるようになった。毎年9月の下旬になると、絹のように白く丸くなった「あきこ」は、知らないおじさんのもとに売られていった・・・あきこ〜。そう、「秋蚕」。秋に飼う蚕、「あきご」。
 夕暮れ時に離れに行くと、静かな中に、蚕が桑をたべる音と、暖をとるためにつくられた炉に寄ってきた蟋蟀の鳴き声だけがしていた。そしてやがて桑をたべる音がしなくなる。っと、父と母は蚕がのせられている1メートル四方の竹網をガタガタと揺さぶっていった。満腹になりかけた蚕がドキッとしてまた桑をたべ始めるらしい。
 マンネリ化をしそうなときに適度に場を揺さぶる、私たちにもありそうだ。

(岡 清秀 (船団の会 編集部))


2005年9月18日

運動会

 高校時代、運動会の〆はフォークダンスでした。共学でしたので、ちょっとしたトキメキの場でもありました。特に思い出深いのは、まだ私も初々しかったであろう一年の秋、先輩方と踊ったことです。母校は男子の比率が少しだけ勝っているため、毎年、籤で負けた一年男子の数クラスは客席で見学!という憂き目にあうのでした。その逆に、恩恵に浴すのが、籤で負けたクラスの女子なのです。彼女らは、ふつうならば同学年と踊るところを、二年三年の男子と踊れるのですから!その強運(?)に当たった私は、今でも鮮明に覚えています。二年の先輩は照れながらも楽しく踊ってくれて、三年の先輩はしっかりとリードしてくれて踊りも上手であったこと。失礼ながら同級生にはない魅力でした。もう名前とかは忘れましたが、お顔は何となく浮かびますね。そして、高校の一年二年の差ってこんなに違うんだ、と実感したフォークダンスでもありました。多少美化されているのかもしれませんが、結構いい思い出です。
それから、歳月は流るる如し。この秋は初めて母として娘の運動会に出ます。

(朝倉晴美 (船団の会 編集部))


2005年9月11日

糸瓜(へちま)

 久し振りに風呂屋にいった。子供の頃はよく行ったが、越してきてからは初めて。半世紀振りはオーバーだが、まだやっていたのです。懐かしさもあってキョロキョロしていると、ヘチマを使っている人がいる。しかも3人並んで、腰掛けて。湯舟の壁には富士山が鄙びて、下町だからワイワイと煩い。じっと見ていると、なかの一人と目があった。「これか?」と言うので頷くと、そのヘチマで背中をこすってくれた。痛い、痛い。ボディシャンプーを使っていたのが、なんだか可笑しかった。
 金田一春彦は糸瓜の語源を「言葉の歳時記」でこうといている。これはもと「糸瓜」と書いて、イトウリと言っていたものが、いつの間にかイが省かれて、トウリとなった。ところがトは、イロハで言えばへとチの間にある。そこでこれをヘチマと言うようになった、というのがあると。なんだか、怪しい。

(南村健治 (船団の会 編集部))


2005年9月4日

鬼灯(ほおずき)

 鬼灯の実には子供の頃からとても不思議な魅力を感じてきた。あの鮮やかなオレンジ色の実はとても美しく、食べられない(地方によっては子供の癇の薬として食べさせるらしい)ということは知っていても、食べたいという欲求を感じてしまう、そんな不思議な魔力を持った実である。
 鬼灯の語原は「頬突き」という説と、ホオという名のカメムシの一種が葉につくので「ホオつき」、果実が火のように赤いところから「火々付」という諸説があるが、このホオズキに当てられている「鬼灯」「鬼橙」という名前が僕にとって不思議な魔力を持つ一因になったのかもしれない。
 この鬼灯、実の中味を楊枝か何かで出し、皮だけにしたものを口に入れて、舌と頬の内側で圧迫して鳴らして遊ぶ。最近の子供たちは鬼灯で遊ぶことなどはないだろうが、このような自然のものを使う遊びを是非知って欲しいものだ。

(徳本和俊 (船団の会編集部))


2005年8月28日

鶏頭

 近所の墓地の前を自転車で走っていたら、お墓に植えた鶏頭が勢い良く伸びているのを見かけた。供花の菊が霞んでしまい、お墓が今にも燃え出しそうだと思った。その時、子規の『仰臥漫録』の中で、明治三十三年の誕生日に虚子達を招いた時の話を思い出した。その日は庭の松の木から松の木へ白木綿を張ったが、これは前の小菊の色をうしろ側の鶏頭の色が圧するから白幕で鶏頭を隠したのだという。ところが暫くすると曇りが少し取れて日がかっと差したので、右の白幕に五、六本の鶏頭の影が高低に映ったのは実に妙だったとある。一度試してみたい光景だと思う。

(小枝恵美子「船団の会」編集部)


2005年8月21日

地蔵盆

 私は、こどもの頃、夏休みが始まると夏休みが終わるまでずっとおばあちゃんちにいた。その夏の間、ワタクシ的には三つの大きな祭りがあった。町内の夏祭り、東映夏のまんが祭り、地蔵盆だ。地蔵盆はただただ夜の花火が楽しみだった。
 親しくなった近所の友だちはいても、こども会に入っているわけではない。だから、近所の集会所でお菓子を飾って、数珠を回しているのは目撃することはあっても、中で一緒に楽しんだという事はなかった。そういう意味では親しい顔をした異邦人だったかもしれない。みんな知っている顔なのに、知らない内に人数はひとり増えている、というような……。

(わたなべじゅんこ (船団の会編集部))


2005年8月14日

秋の夕焼け

 三島由紀夫の『近代能楽集』の「弱法師」を、シアターBRAVAで観た。晩夏の午後、蒸し暑い家庭裁判所の一室、調停委員の桜間級子(しなこ)を挟んで二組の夫婦が少年・俊徳の親権をめぐって話し合っている。東京大空襲のとき、親にはぐれた俊徳を引き取り十五年間、蝶よ花よと育てた川島夫妻と、十五年ぶりに実の息子を見つけ出した高安夫妻である。ところが空襲で盲目になった俊徳は、どちらの親の愛情にも無感動であり、彼らが部屋を出ていくと、それぞれの親のことを「もう奴隷ですよ」とか「救いがたい莫迦だ」と切り捨てる。そして窓を眺めた級子が「まあ、すごい夕焼け!」と言うのに向かって、「あなたは入日だと思っているんでしょう。夕映えだと思っているんでしょう。ちがいますよ。あれはね、この世のおわりの景色なんです。」といい、自分の目の前には、五つのとき自分の目を灼いた炎、この世のおわりの焔が燃えさかっているのだ、と叫ぶのである。
 この作品の「夕焼け」は赤く燃えるような夏のものだが、私の思い出の中の夕焼けは秋。小さい頃、祭りの「だんじり」に付いていき道に迷いかけた。心細さをねじ伏せて、淡い夕焼けの中をひたすら歩き続けたものだった。

(水上博子 (船団の会 編集部))


2005年8月7日

雲海

 中学校の林間学校で、毎年2日間、その地方で一番高い海抜812mの所にある寺へ、2時間ほどかけて登った。朝夕の食事、2回分の米を持って。当時(昭和30年代)、泊りがけで行く旅行には、必ず米を持って行くのが義務付けられていた。
 寺のお勤めをして“百畳の間”で皆で雑魚寝をした。遅くまで枕投げをしたり、お喋りしたり、くすぐりあったりしてなかなか寝付けなかった。早朝、“日の出”を見に起きると一面に『雲海』が広がっていた。子供ながらに、雲の下の自分たちは蟻のようだと思った。

(陽山道子 (船団の会 編集部))


2005年7月31日

蓮(はす)

 俳画を習っている。しゃしゃーっと一筆、墨一色で描いた葉っぱ。先生のは、蕗は蕗に、蓮は蓮に見える。私のはフキにもハスにも見えない。
 俳画の一筆は綿密な写生と省略のたまものなのだ。「アジがあるわね」という先生のお言葉は、「下手やねえ」とほぼ同じなのだ。というようなことに思い至った今日この頃、先生から雅号を頂いた。「幸子って面白うないわねえ、落款にすると。子がカンタンすぎるから・・・幸苑はどう?」と。毎朝、名前の練習をしている。
 ハスはハス科ハス属、1科1属の単型科で、新大陸と旧大陸に1種ずつ分布する。インドやスリランカでは国花であり、めでたい花として結婚式で飾られる。

(中原幸子 (船団の会 編集部))


2005年7月24日

天神祭

 7月の大阪といえば、この祭。菅原道真を祀る大阪天満宮。「鉾流」「船渡御」などはいかにも川の町ならでは。「陸渡御」で陸も賑やか。今年は24日が宵宮、25日が本宮。
 子供の頃の家の裏にはちっぽけな神社があった。鳥居から30歩も歩けば、本殿の賽銭箱までたどり着いてしまう参道の石畳。毎朝、5時過ぎにいつも同じおばさんが御社の周囲を回廊し、お稲荷さんその他に柏手を打って廻る。その音で目が覚めるぐらいの裏だ。境内の真ん中にある山桃の木に登ってはその実を食べたり、その木を捕手にして三角ベースをしたり。寂れた神社の風体だったが、子供には人気があった。ここも菅原道真を祀っていた。
 一学期の終業式、小学校からの帰り道、子供らは必ずこの境内を通った。年に一度だけこの神社が町の中心になる日。昼下がりの境内、準備の屋台を遠目に覗き、あれは綿飴、あれは射的・・・。日が暮れ、ナイターを見ている父に小銭を貰い、一目散に夜店へ。2日後にはまた何知らぬ顔の神社。朝、おばさんの柏手と、水槽に増えた金魚一匹。

(塩見恵介 (船団の会 編集部))


2005年7月17日

夏休み

 今、家の近くの大学の図書館で週に3日アルバイトしている。自分が学生だった頃は、もうすっかり大人だと思っていたけれど、37歳の私から見ると20歳前後の学生達はまたまだ子供だ。
 この間もコピー用紙を補給しただけで「おーっ!」と拍手喝采されてしまった。
 ちゃんと机に向かって勉強している子もいれば、熱心にケータイでメールをしている子もいるし、いびきをかいて熟睡している子もいる。それぞれに悩みがあったりするのだろうけど、傍から見ると、何とも気楽そうで、少し羨ましかったりもする。
 もうすぐ夏休み。そんな彼らも9月には少し大人になっているのかな。

(黒田さつき (船団の会 編集部))


2005年7月10日

アゲハ蝶

 青虫の皮膚に触れると羽二重餅の感触がした。指に載せて飼育箱の金柑の枝に置く。新鮮な柑橘類の葉を与えれば脱皮を4回繰り返し蛹になって蝶になる。
 蝶の飼育にはまっている知人が2匹の幼虫をくれた。蝶のイメ−ジに酔っている私だ ったが、それがこんなにも苦労する結果と悲しみになるとは予想外だった。頂いた新鮮な青ミカンの葉に幼虫の卵が付いていた。同じ蝶を差別出来ないからそのまま育て、かれこれ12頭になった。ナミ揚羽や黒揚羽に育ち、高く舞いながら空へ消えていった。しかし翅がうまく開かない蝶が1頭生まれた。蝶は自力で飛ぼうとして何度も落ちた。そこで手のひらに蜜を作り人工的に育てることにした。ぜんまいのような蜜線を伸ばして蜜を探し飲むしぐさは神秘的だった。つかのまだが蝶の花の役目となった私。飼育8日目の夕方、私の掌で蜜を探しながら蝶は脚を閉じ動かなくなった。
 「てふてふ」と名付け、交尾が出来なかった蝶の墓はミカンの木の下にある。

(藏前幸子(船団の会 編集部))


2005年7月3日

水泳

 無気力世代の僕にもつきあえそうなスポーツのひとつは、水泳だろう。ともかく水に浮いてゆっくりと前にすすむ。これがけっこう楽しい。
 職場が学校であるため、付属の屋外プールを使わせてもらえるが、林のそばにあるのが難点だ。プールサイドには木が覆いかぶさるように迫っていて、虫も多い。無念無想の境地で、のびのびと泳いでいると、葉っぱや虫が、ときどき皮膚に触れてギョッとする。でも、あらためて考えてみると、いまどきのきれいな屋内プールに慣れているからそう感じるのだろう。海や川で泳ぐばあいは、それなりの覚悟があるが、プールについては頑固な先入観があるようだ。

(笠 学(船団の会 編集部))