週刊:今週の季語 バックナンバー 2006年1〜3月
2006年3月26日

摘み草

 春の遊びはなんといっても摘み草。れんげ畑を一日駆け回る。一年のほとんどを水に浸かったままの田んぼをのしのし歩くと足元から小さな虫達が慌てて飛び出す。川原の土手に顔を出したつくし。あとで袴をとって佃煮やごはんのまぜものに。おばあちゃんと取りにいった芹。冷たい水がはねるのを見ながら、足元を濡らさないよう気をつけて手を伸ばす。蓬の新芽をたくさん摘んで草餅に。
 そういえば高血圧にいいと聞いた我が父は毎朝蓬を摘んでジュースにしていた。元祖青汁、実にマズイ!それでも毎朝父と並んでの蓬摘みが日課だった時期もあったけ。

(わたなべじゅんこ (船団の会編集部))


2006年3月19日

紅梅

 先日、テレビで北野天満宮界隈の中継を見ていたとき、西陣で「梅染め」を試みている染色家がいることを知った。その人は何年か前、紅梅の咲く直前に剪定した小枝の切り口が鮮やかな紅色に染まっているのを見て、なんとか紅梅の枝で染められないものかと工夫してきたという。小さく切った枝の皮を削り落とし、煮出した液に、梅の枝を焼いた灰を溶かした上澄み液をまぜたものに布をつけると、しっとりと落ち着いた紅梅色に染まった。使う枝は梅の咲く直前のものでないと駄目だという。花を咲かせるためにどれほど紅梅の木が準備しているかを思い、自然の持つ生命力に圧倒されるようだった。
 さて、今年は寒くてやきもきさせられた我が家の紅梅も、今満開である。

(水上博子 (船団の会 編集部))


2006年3月12日

石蕗の芽

 暖かになった斜面の草むらで、石蕗の根元から、赤紫の芽が綿毛に包まれてのぞいている。その芽を郷里では“石蕗(つわ)の子”といった。葉がまだ綿毛に包まれている状態で、14,5センチくらい伸びた、丸々としたその芽を抜き取り、皮を剥き軽く灰汁ぬきをして、油でいため、味醂と醤油で煮る。蕗のように歯ごたえはないが、香りも穏やかで、もっちりとして柔らかい。
 なかなか手に入らなかったのだが、最近、和歌山産の“石蕗の子”が売られるようになった。丸々としていないのが不満なのだが、見かけると必ず買って食べる。

(陽山道子 (船団の会 編集部))


2006年3月5日

春キャベツ

 その日の兼題は「鬼」だった。「春キャベツしずかに煮込む鬼ごこち」という句を出したら2点入った。と、「春キャベツはフツー煮込まないと思うけど。やわらかいから、さっとお湯をくぐらせて、歯ざわりも楽しむものだから・・・」という声が。うーん、またも料理音痴がバレたか。そう言えば、とってくれた人も私と同類らしい若い人だ(ごめんね、恩知らずなこと言って)。
 いつだったか、テレビで「新しいことを思いつくコツ」を教わった。朝起きたら、見たもの、触ったものを片っ端からメモして、それに「おかしな」とつけてみる。それから「おかしな○○って?」と考えるのだそうだ。これって「おかしな春キャベツ」の句になって、いないですね。

(中原幸子 (船団の会 編集部))


2006年2月26日

貌鳥(かほどり)

 吾輩は「かほどり」である。正体は忘れた。
 予の別名は「かほよ(貌良?)鳥」。それで小野蘭山はオシドリと言うし、伴信友はカワセミの事と言うし、會占春は雄キジと言った。
 名の「貌」からフクロウ・ミミズク・ヨタカという者がいるし、「かほ」を鳴き声と取ってヒバリ・カラスという者もいる。定家には既に「これを知らず」と諦められた。芭蕉には「春の小鳥のいつくしき」とおおざっぱに言われた。少なくともこの800年は自分でもさっぱり自分が誰かわからない。
 賀茂真淵や釈超空は『万葉集』の「間なくしば鳴く」という「記憶」から「カッホ」という鳴き声の「カッコウ」であると決めてくれたので、そんな気もしてきているが、まだしっくりこない。吾輩の他にも春の鳥は「呼子鳥」「箱鳥」などが自分の記憶を失っている。

(塩見恵介 (船団の会 編集部))


2006年2月19日

春浅し

 迷子になった。この年で。しかも家からすぐ近くで。
 あんまり天気が良かったから、いつもはバスで行く所だけど自転車で行ってみようと思った。
 コンビニの横の道を真っ直ぐいけば大きな通りに出るはずだった。
 その方が近道だ。ぐんぐんペダルを漕いだ。
 パン屋があった。公園があった。お墓があった。工場があった。
 目的地の図書館にはなかなか着かない。
 パン屋があった。公園があった。お墓があった。工場があった・・・・。
 結局いつものバス道をたどって行くことにした。
 見上げると早春の青空が広がっていた。

(黒田さつき (船団の会 編集部))


2006年2月12日

早春

 病気見舞いに俳句の結社誌とチ−ズを貰った。チ−ズは珍しい味で長方形の箱に納まっていた。その人は横浜で遠洋漁業の船に乗っているので、久しぶりの故郷に帰って幼なじみのわたしを訪ねてくれたのだ。
 置いていった俳句雑誌の雑詠欄にその人の俳句があった。
 「早春の干潮はまだ君を抱く」。これって現実・虚構。 見舞って下さったお礼と俳句を詠んだ感想の手紙を出した。返事は妹のようだと書いてあった。貰ったチ−ズは硬くて半分は捨ててしまった。若い頃のある日の出来事。神戸港のコンテナ船が並んでいる岸壁に立っているわたしに早春の風はまだ冷たい。

(藏前幸子(船団の会 編集部))


2006年2月5日

立春

 「立春朝搾り」をご存知ですか。知っている方は「通」? 節分の豆まきで邪気をはらって迎えるのが立春。その早朝に搾ったお酒が「立春朝搾り」。その日のうちに消費者に届け、蔵元、酒販店、消費者のみんなで立春を祝おうと日本名門酒会が9年前に始めたのだそうです。すぐにも飲んでみたいのが「通もどき」。通販で手に入れられないかとインターネットで検索したのですが、残念。予約期限が過ぎたばっかりでした。嗚呼。
 そういえば昔、野沢温泉の居酒屋で地元の蔵元から直接仕入れたという蔵出しのあのお酒、おいしかったなぁ。信州松本の駅前で初めて飲んだ升酒。口のあて方から教わった。塩をなめながら飲むんだとも。いい匂いがしていたなぁ。ああ。

(岡村和子(船団の会 編集部))


2006年1月29日

鼬罠(いたちわな)

 近頃はDVDも安く売られているので、懐かしの映画を買っては見ている。今日は「プレデター」を見ている。シュワちゃん主演の映画で、得体の知れない宇宙からの生物?にジャングルで狙われる話。「プラデター」とは捕食者という意味で、食物連鎖のピラミッドの一番上に位置するものである。このプラデターは人間の頭蓋骨をコレクションしているのだけれど、より完全な頭蓋骨を捜し求めて、最後にはシュワちゃんと対決するのである。
 ところで私の好きな歌手の鬼束ちひろの歌の中に「どうか完全なものたちがそこら中にあふれないように・・・」という一節がある。彼女はどうやら完全なものに怯えているようだ。季語で完全なイメージといえばやはり鼬罠だろう。

(小倉喜郎 (船団の会 編集部))


2006年1月22日

炬燵(こたつ)

 この冬、我が家に5年ぶりに炬燵が復活した。今の家は和室が1つ。リビングはフローリングなので、引っ越し当初は処分した。しかし、幼い頃から冬は炬燵に馴染んできたせいか、炬燵が恋しくなり、「出られなくなって(炬燵でうたた寝ばかりして、よく叱られた)困るぞ」という夫を説得した。そして昨春の冬物売り尽くしセールで手に入れ、押入の中で出番を待っていた炬燵様だ。やはり炬燵はあたたかい。自室にこもることが多い高校生の息子も勉強道具一式を持って炬燵にやってくる。家族4人、炬燵に入っての団欒が続く。ほのぼのした時が流れる。誰が炬燵を考えたのだろう?よき日本文化である。そう言えば妹は、アメリカに留学した時、世話になったホストファミリーに「日本のコタツが欲しいから、送ってくれないか?」と頼まれたことがあった。

(尾上有紀子(船団の会 編集部))


2006年1月15日

スキー

 「先輩、行ってきます」。「止めとけ、止めとけ、彼女に夢を見させておいてやれ」。 故郷のスキー場でインストラクターをしていた時の話。後輩のO君がスキーで知り合った彼女に誘われ、彼女の住む神戸に行くと言う。それを私は止めた。理由は三つ。一つは言葉。スキーを教える時は、スキー用語か標準語っぽい言葉であるが、普通に話すとなると方言がでる。二つ目は服装。スキースクールの制服にゴーグルはカッコいいが、日ごろの服装のセンスは都会には通用しない。三つ目はスキーそのもの。彼女が見たのは彼が一番輝いている姿であるが、神戸で彼女が目にするのは、それ以外の姿。結局、彼は神戸には行ったがしょげて帰ってきた。そう、彼女が夢から覚めてしまったのだ。スキーは時として人生をも滑らせる。ただ、全てのインストラクターがこうではない。

(岡 清秀 (船団の会 編集部))


2006年1月8日

新暦(しんごよみ)

 もう何年も、好きで求め続けているカレンダーがあります。あるイラストレーターの週めくりです。イラストと、短い言葉が書いてあるのですが、毎週めくるのが楽しみなカレンダーです。そのイラストと言葉に励まされたり、癒されたりしてきました。ある年末は買いそびれてしまったのですが、某大手おもちゃ店の店員さんの計らいで入手できたこともあり、想い出もたくさんです。それに、気のせいか、その時の自分にぴったりな言葉を、そのカレンダーは贈ってくれている気がします。今年もたくさんの言葉に出会えて、たくさんの元気を貰うことでしょう。

(朝倉晴美 (船団の会 編集部))


2006年1月1日

注連飾り(しめかざり)

 ずいぶんと昔、遊び仲間に露天商が居た。ある年の暮れ、正月用のお飾りを商うというので出かけたところ、彼は目刺しを売っていて「いまは、ちょっと、あれやねん」と言いながら、目刺しを紙袋に入れて持たせてくれた。家内は「あれやねん、て何?」とボクに訊くのだが、それは、つまり、分ったようで分らないことで「あれやねん」は全く「あれやねん」としか言いようのない状況にあるということなのだ。
 で、注連飾りだが、近頃はスーパーで買う。選ぶ基準は稲穂が付いているかどうか。それも出来るだけ立派に実っているのを探す。ここ数年、二日の朝になると雀がやって来て、注連飾りの稲穂をチュンチュンと啄むのだ。雀のための注連飾りのようだが、新年早々の事件としては、微笑ましい。一年の平穏を願うばかりだ。

(南村健治 (船団の会 編集部))