週刊:今週の季語 バックナンバー 2007年1〜3月
2007年3月25日

木の芽(このめ・きのめ)

 大好きな喫茶店がある。ドアを開けると、冬中燃やした暖炉の薪の香りが沁み込んでいて、ふっと懐かしい匂いがする。私の好きな場所は、ガラス張りのテラスだ。そこから樹齢二百三十年の大欅に会える。空に手を広げた梢が、ぼんやりと紅色になって、又新しい春が来た。三十年前出会ったとき、樹齢二百年と聞いた。あとは私の中でひと春ごとに齢を重ね、今年はおよそ二百三十歳のはずだが、ほんとうのところはわからない。
 木の芽晴れのテラスで、今日は紅茶とスコーン。ゆっくり、とっぷり淡い光に浸る。欅の紅色の芽は梢で太り、濃くなり、そのうち若緑の小さな葉を開く。するとたちまち風が光る。ああ、今日は井上陽水の歌う「青空、ひとりきり」が似合う日。
 ここは大欅と話ができるから、淋しがり屋が一人来ても淋しくない喫茶店だ。

(火箱游歩(船団の会 会務委員))


2007年3月18日

春のメダカ

 メダカを飼いたいと思った。ちょうど陶芸をしていたので、メダカを飼う器を作った。作っている最中に仲間がアサザ(水草)と浮く陶器の亀をプレゼントしてくれた。でも、肝心のメダカがいない。メダカを飼ってる人にもらう予定だったのだが待ちきれなくて、近くのペットショップで10匹買った。しばらくすると4匹になってしまった。寂しくて琵琶湖のメダカを20匹買った。
 そして二年目の冬が過ぎた。先日のぽかぽかと暖かい日に覗いたら、水面すれすれに大人と子供のメダカが元気に泳いでいた。歳時記でメダカは夏の季語だという。でも暖かで水も温むころにはメダカも元気なのだ。春の季語でもいいのではないかしら。

(陽山道子(船団の会 会務委員))


2007年3月11日

春場所(はるばしょ)

 昼過ぎ、2時か3時頃。仕事が早く終わったのでいつもの銭湯に行った。ここの銭湯は春場所(大阪場所)が近づくとお相撲さんがよく来る。木瀬部屋と馴染みがあるのか体重計の横に部屋の判を付いた番付表が貼ってある。
 湯槽に浸かっていると慈姑頭のお相撲さんが、本当にざんぶりこんと入ってきて、湯がざんぶりこんと溢れ出た。湯気のせいで鬢付け油の匂いがいっそう濃い。洗い場では一人のお相撲さんが柔軟体操をするようにのびのびと身体を洗い、一人のお相撲さんは銭湯のあの小さな洗い椅子に座り、もう一人のお相撲さんの背中を泡だらけにしている。小さな椅子に大きなお相撲さん。お尻に二つ三つ吹き出物が出て、見ているだけだけど、なんだかシアワセ。

(南村健冶(船団の会 会務委員))


2007年3月4日

春泥(しゅんでい)

 2年前のある船団句会に「春泥」という兼題がでた。そこで2月の雨上がりのとある日、裏の山に分け入ってみた。
 神戸の山手の住宅街というところは、北へ真っ直ぐ上がると、舗装道が突然終わってすぐに山道になる。そこにも、春泥がたっぷりあった。思う存分運動靴で踏みしめて、帰りの道では木履(ぼっくり)をはいた舞妓さんのような姿勢で坂を下った。
 玄関を土だらけにして家内には怒られたが、その土はしばらく掃かないで、そのままにしておいた。

(早瀬淳一(船団の会 会務委員))


2007年2月25日

山笑う(やまわらう)

 山はどう笑うのか、で二派にわかれた。
 Aさん: それは大笑いしてるんですよ、春真っ盛りの頃に。
 Bさん: まさか!! 春めいて、ほっ、と口もとがほころんだ感じでしょう。
 歳時記ではBさんが正解。でも、山の朗笑もいいですね。

 母は、春になるとよく「向こうの山がぶどう色になった」というハガキをくれた。私は「そうかあ?」と玄関に出てみる。ビルの5階に住んでいて、ドアを開けると名もなき山々が目の前に半円を描いているのだ。わたしは、わたしの山々もぶどう色に煙っているのを確認し、ああ、山が微笑んでいるなあ、と思う。母は老い、ハガキをくれなくなったが、山はことしもぶどう色にふくらんだ。

(中原幸子 (船団の会 会務委員))


2007年2月18日

よもぎ餅

 私のベストオブ「おふくろの味」は、よもぎ餅。我が家のよもぎ餅作りは、よもぎを裏山から採ってくることから始まる。よもぎを茹で、すり鉢ですりつぶす。餅粉と米粉(どちらも自家製の米)を混ぜたものを水でこねて茹であげ、そこによもぎを加えて、混ぜる。すると白い餅がみるみるうちにきれいな緑に。その餅をちぎって平べったくのばし、あんこをくるんでくるくる丸めていく。最後にきなこをまぶして、できあがり。
 よもぎの青い香りと、あんこの甘さと、きなこの香ばしさが絶妙のハーモニー。母と一緒に作りながらたくさんつまみぐいをしたものである。
 ここ数年は春に帰省することがなかったので、よもぎ餅を一緒に作ることも、母のよもぎ餅を食べる機会もなかった私。
 だが、つい最近、体調を崩してさみしく寝ているところへ、実家から妹が、母の作ったよもぎ餅を持って来てくれた。なんという幸福。母手作りのよもぎ餅をもりもり食べて私は元気を取り戻した。

(中谷仁美(船団の会 会務委員))


2007年2月11日

河豚(ふぐ)

 一番の好物はと聞かれれば、私は河豚と迷わず答える。ふぐの身は刺身や鍋物にしてもよく皮を細かく刻み、さっと湯に通した湯引きもゼラチン質を豊富に含み、健康にも美容にも良いと私は思っている。鰭は鰭酒として飲むと体が温まり、ふぐ刺しやふぐ鍋との取り合わせが絶妙である。
 我が家のふぐを食べるときの自然発生的かつ必然発生的作法をご紹介したい。我が家は四人家族であるから、ふぐ刺しを食べるときは大皿盛りにされた刺身にまず皿の端から端まで大きく十文字の印をいれる。おもむろに「いただきます」を言ったあとは、黙して喋らず、ひたすらふぐを味わうことに没頭する。キチンと十文字の仕切りがあるので、ゆっくり味わっていても自分の分がなくなってしまうということがないのである。
 あとのふぐ鍋は一転してワイワイガヤガヤ「ふぐのだしの染みた白菜が一番おいしい」「骨のついている身がうまい」などといいながら和気あいあいと食す。冬の一番の楽しみである。

(角田悦子(船団の会 会務委員))


2007年2月4日

球春(きゅうしゅん)

 立春というが寒い日が続く中、連日の新聞をにぎわすプロ野球のキャンプ情報。都市生活者の僕にとっては最も早春を実感する風物である。テレビに映る選手の練習風景は、ときに僕を野球少年だったころに帰す。背番号「23」の非力な左打者、出場試合、5年間で5試合。これも毎日練習に行ったご褒美でライトを守らせてもらったもので、打席では必ずバントのサインが出た。
そういえば昔、阪神タイガースの実物のユニホームが我が家にあった。背番号は「68」。「NISHIURA」と背中に名があり、デカかった。左膝の部分には大きな穴が二つあいていて、それぞれ丁寧にミシンが掛けられてあった。「この人、きっといつか一軍に出てくるわ」と言っては母はその膝のミシン目をなでていた。僕の前にいる母はその穴がいつもお気に入りだった。母の予想は見事にはずれたが、彼も今は球春にときめいているのだろうか。ちなみに「23」と「68」のユニホームは12年前の震災以来、どちらも行方不明である。

(塩見恵介(船団の会 会務委員))


2007年1月28日

寒の内(かんのうち)

 この時期は寒くて、前屈みで歩いてしまうことが多い。近所の橋を渡っていたら、川の中で、胸まで浸かって仕事をしている人を見た。今頃の季節に何をしているのだろうと覗き込んだら、川に溜まった汚泥の量を調査していたのだった。すると、通りがかりの人が「今日はまだ暖かいからマシだよね」と、声をかけた。川の中にいる男性は「はい、今日は暖かいから大丈夫です」と、笑顔で答えたのだった。寒の内とはいえ、日差しが明るかったが、きっと川の中は冷たいに違いない。さわやかな笑顔がとても印象に残った朝だった。私はその日のお昼ごはんに、たんぽぽオムライスを作った。

(小枝恵美子(船団の会 会務委員))


2007年1月21日

山茶花(さざんか)

 友人の絹ちゃんが三十代で亡くなった時のことである。若い頃職場の同僚だったが故郷へ帰っていった。手紙を書く事を趣味にしていた彼女は絹糸のような柔らかい文字で故郷の四季を書いてよこし、なかでも山茶花のはなの咲く様子などを短歌にして送ってきたりもした。
 山陰地方の観光の時、彼女の墓参りを思いたち立ち寄る事にした。JRの駅に降りると彼女が迎えにきてくれたような錯覚をした。墓地へゆくと、山茶花の木が墓の一角を覆いつくし、散ってしまった山茶花は見事な紅色の絨毯となっていた。存命なら歌を詠み自慢していたかも知れないと思いつつ墓をあとにした。

(藏前幸子(船団の会 会務委員))


2007年1月14日

とんど

 正月が終わりという1月15日の未明、半鐘が鳴り響き、緊張が走る。神妙な顔で村人が集まり、高さ10mはある「とんど」に火が付けられる。パンパンと竹が弾けながら一気にてっぺんまで燃え上がる。「おおっ」と歓声があがる。私が育ったわずか60軒ほどの漁村の年始行事である。ところにより、「とんど焼き」「どんど」「どんどん焼き」「どんと」などというらしい。成人の日が15日でなくなった今は、その年の成人の日に行われているが、伝統行事はやはり毎年変わらず同じ日に行ってほしいものだ。
 さて、とんどは前日、村の男達が総出で山から切り出した木や竹を組み合わせて大小2つ、村の広場に設えた。土台の周囲は藁で覆われ、その中に女達と子どもは去年のカレンダーやお札、正月の注連縄などのお飾りを入れた。村中の人が燃え上がる炎に無病息災を願いつつ、全身を真っ赤に染めた。時折上達を願った書き初めが竿の先に付けられて火の中を舞った。辺りが明るくなる頃には残り火で砕いた鏡餅や芋を焼いて食べるのが楽しみだった。

(尾上有紀子(船団の会 会務委員))


2007年1月7日

薺粥(なずながゆ)

 もう30年くらい前の話だが、私のクラス(10人)の先生が「七種粥を家でする人」と訊かれて、手を上げたのは私1人。消防団の活躍する丹波の田舎の地域でさえこうであった。もっともわが家では七種粥でははく、薺粥である。母が裏の畑で薺を摘んできて粥にし、年末に搗き丸く揉んだ餅を人数分だけ入れて7日正月に食べるのである。もしかしたら現在の方がイベントとして薺粥又は七種粥を食べる家族が増えているのではと思いつつ、今年も薺粥をいただくのである。
 ちなみにわが家では15日には小豆粥をし、やはり餅を入れて食べるのである。これも訊かれたがもちろん手を挙げたのは私1人であった。

(小倉 喜郎 (船団の会 会務委員))