週刊:今週の季語 バックナンバー 2007年7〜9月
2007年9月30日

月(つき)

 幼い頃に母から、月にはウサギが住んでおり、だから餅つきをしているウサギの影が見えると聞かされた。確かにそう見えた。夜道を歩くときどこまでも着いてくる月は、まるで生きているようで不気味でもあった。中学2年の夏休み、アポロ11号に乗ったアームストロング船長が月の上に立った。クラブ活動を中断し、みんなで職員室のテレビに見入った。
 時はたち、近未来。地球で子ウサギと母ウサギが月を見ている。子ウサギは母ウサギに尋ねた。「お母さん、月には何が住んでいるの?」母ウサギは答えた。「月には人間が住んでいるのよ。」既に地球に人類はいなくなっていた、というお話。

(岡 清秀 (船団の会 会務委員))


2007年9月23日

台風(たいふう)

 以前は台風に名前が付いていた。「キティ台風」とか「ジェーン台風」。「洞爺丸台風」はボクが7歳。「伊勢湾台風」の時は12歳だった。現在は「号」が付いているだけだが、名前が付いているとその惨事の記憶がいくらかリアルに残る。「洞爺丸台風」は母親と一緒に銭湯のラジオニュースでその悲報を聞いた。「伊勢湾台風」は新淀川の堤が濁流に削られてゆくのを自分の目で見た。
 現在、日本では、台風はその年の発生順に番号が付けられ、例えば8月に九州を襲った「5号台風」は「0705号」(2007年の5番目)と気象庁では数字で表記している。一方では「台風委員会」というのがあり、14の関係国が10個の名前を出し合い、2000年から台風にアジア名を付けている。その年の1号にはカンボジアが出した、「象」を意味する「ダムレイ」が付けられ、以後発生順に140個の名前が順番にあてられている。ちなみに「5号台風」は日本が出した名前、「ウサギ」(星座名)があてられた。以上のことは気象庁のHPで知った。140個の中には、日本語で「瑪瑙」とか「オウム」、「たんぽぽ」、「すもも」という意味の名前もある。

(南村健冶(船団の会 会務委員))


2007年9月16日

里芋(さといも)

 先日、実家で“母の芋煮“を食べてきた。91 歳の父と88歳の母が健在なのだ。まだ人の手を煩わすことなく暮らしている。帰省するたび食事を作り、夜具を出して待っていてくれる。「なにもご馳走はないよ。田舎だから、こんなものしか作れないし」「これが最後かもしれないよ」と言いながら。 食事の後片付けをしようとすると、「いいよ、せんでもいいよ」という。さすがに足の悪い母に気兼ねして、後片付けはする。座ってしゃべって、食べて飲んで。そのために帰省する。なんだかほんわか里芋になった気分。

(陽山道子(船団の会 会務委員))


2007年9月9日

菊膾(きくなます)

 旧暦九月九日は、重陽の節句だ。菊の節句ともいう。実際はまだ暑さも残り、秋の気分ではないが、秋を見つけに鞍馬へ出かけた。家々は表も裏も戸を開け放ち、玄関先から裏山が見える。まだまだ今年の残暑は厳しい。
 お昼どき、たのんでおいた精進料理を食べにゆく。通された二階には緑濃い鞍馬の山がせまり、お山に抱かれた気分。ほっと一息つく。まもなく朱の器に盛られた料理がきた。
 とろろ汁、麦ご飯、冬瓜の葛煮、ずいきの酢の物、胡麻豆腐、刺身蒟蒻、じゅんさいの寒天寄せ、山菜の白和え・・・。刺身蒟蒻と一緒についていたのが、菊膾。どれもこれも京都のおばんざいで馴染みのものだ。色彩的にぱっとしないが、菊膾の黄が秋を誘う。田舎風に、いま崩したばかりの大ぶりな花びらがぱらぱらとのせてあった。その花びらを噛むと新しい秋の香りが口の中に広がった。

(火箱游歩(船団の会 会務委員))


2007年9月2日

毬栗(いがぐり)

 この夏休み、家族で兵庫県但東町のログハウスに行った。シルク温泉という温泉施設があるだけの田舎である。
 三年前にもここには来た。その暑い日、妻、娘とレンタサイクルで、二〇分程離れた「なんじゃもんじゃの木」に会いに行った。
 今年は娘と二人で、同じくらい暑い日、自転車を漕いでいった。同じような神社を見つけ、同じような裏山があった。しかし、二人で裏山へ登った、あの道をいくらさがしても見つからない。キツネに摘まれたような気持ちで、しょうがなく二人で、脇にそびえていた栗の木の根元にたくさん落ちていた、青い毬栗を六つ拾って帰った。
 いまそれは、玄関の横におかれて、皆に忘れられている。

(早瀬淳一(船団の会 会務委員))


2007年8月26日

野菊(のぎく)

 「この春、上野の『セザンヌ展』を見て『ゾラの家での朗読』という絵の前に立った時、私はすぐに『根岸の子規の家での山会』という風景を頭の中で空想した。セザンヌとゾラは故郷の中学での同窓で、ゾラの家ではモーパッサンやアレキシスらが集まって、互いに自作の詩や小説を朗読したらしい。」(荒垣秀雄「明治を代表する人物」(『子規全集』第十七巻月報))
 ゾラは子規と同じ1902年に、セザンヌはその4年後に亡くなった。山会は子規の没後も続き、伊藤左千夫は「野菊の墓」を朗読して、自分で感極まって泣いたという。 ノギクという名の植物はなく、キク科のキク属、シオン属、ハマベノギク属、ヨメナ属、ミヤマヨメナ属のものまで含めて野菊と称される(『四季花ごよみ』)。

(中原幸子 (船団の会 編集部))


2007年8月19日

稲の花(いねのはな)

 実家は兼業農家。米を作っている。田打ち、田植え、早苗、青田など、米作りにまつわる季語はいくつもあるが、今の時期はなんと言っても「稲の花」。お盆に帰省した折に見たところ、我が家の田の稲にも白い小さい花がちろちろちろと咲いていた。かわいらしい。これから、稲はぐんと育つのだろう。稲穂の実りが待ち遠しい。来月の稲刈りにはもちろん帰省の予定。そういえば、母が新しい炊飯器を購入していた。美味しく炊けるものが欲しかったらしい。早くおいしい新米を食べたい!ちなみに実家の近く、私が通った小学校の辺りの地名は生穂(いくほ)という。地名の由来は「稲の生育の良い土地」らしい。なんだか嬉しい。

(中谷仁美(船団の会 会務委員))


2007年8月12日

西瓜(すいか)

 西瓜をきると水の匂いがする。あたり一面水の匂いがほとばしる。それは青く透き通った水の匂い。その水の匂いは、子供のころの夏休みの記憶に繋がっている。
 夏休みの始まる頃、西瓜が好きな私のために父は毎年五十個程の西瓜を買ってくれて、それは玄関の隅の大きな笊籠に積まれてあった。いつも夕方になると、家族五人で縁側にならんで西瓜を食べた。縁先の庭には、きのうまでに食べた種から芽生えたすいかの小さな双葉が、いっぱいに、カンナやダリヤの花々と、夕明かりの中に並んでいた。
 ある時その双葉を見て、父が「すいかの種を飲み込むと、お腹の中にすいかが生えてくる」と言った。 そうなったらどうしようと心配しながらも、私は、でもちょっとうれしいかも・・・と思ったりした。そして西瓜と夏休みは毎日ひとつずつなくなっていった。

(角田悦子(船団の会 会務委員))


2007年8月5日

捕虫網(ほちゅうあみ)

 受け持ちの生徒に半端でなく虫好きな男がいる。蝶やカブトムシというオーソドックスなものの標本は数知れず。筆箱の中にはカマキリが入っているし、先年の夏休みの自由研究では、さまざまなゴキブリを標本化して持ってきて僕を飛びあがらせた。 つねに鞄に『ゴキブリ図鑑』を忍ばせており、沖縄に行ってオオルリゴキブリを実際に見るのが夢だそうだ(確かにこのゴキブリは美しい)。国語がからきしダメなので夏休みも補習に呼んでいるが、先日、「閑かさや岩にしみいる蝉の声」の蝉はニイニイゼミらしい、という話をした。通説の斎藤茂吉と小宮豊隆の「蝉論争」を下敷きにしてである。授業が終わると彼は僕の所に来て「アカエゾゼミではないか。山形の地 だしこの蝉は松が大好きだから(「松柏年ふり」という文を根拠にしている)」と問うてきた。エゾゼミとアカエゾゼミは違う種類で、新説かもしれぬ。立石寺にアカエゾゼミはいたのだろうか。一考を要するところだが、彼は話すだけ話すと学校裏の霊園へ虫取りに飛び出していった。15歳の好奇心は風通しのよい捕虫網である。

(塩見恵介(船団の会 会務委員))


2007年7月29日

蝉(せみ)

 午前5時半頃から蝉が鳴き始める。早朝から鳴くのはやめてほしい、もう少し寝たいのに。いつもそう思いながら、夏の朝が始まる。大阪府には12種類の蝉がいるらしいが、街中には、クマゼミ、ニイニイゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシが見られる。今はクマゼミが喧しい。昨日の夕方、家の外壁に空蝉と羽化したばかりのクマゼミが並んでいるのを発見した。クマゼミはまだ胴体が肌色に近く、羽はさ緑、本当に生まれたての瑞々しさで、夏の妖精だわ、と思った。その夜、古本屋で買ってきた長谷川素逝の句集『暦日』に「蝉しぐれま青と降らせ樹下の土」という句を見つけた。明日からは、蝉の声を「喧しい」と、思うのはやめよう。

(小枝恵美子(船団の会 会務委員))


2007年7月22日

グラジオラス

 パソコンに古いメ−ルが残っていて、誤ってクリックすると反転して過去のメ−ルが先頭にくることがある。友人はその勘違いで、旅先の私に笑うに笑えない電話をかけてきた。
 「今夜のお通夜に行きますか」
 「え?!誰が亡くなったんですか」側にいた友人と息を呑む。
 「Sさんのお父さんです。メ−ル届いていませんか」
 「???それって昨年の出来事ですよ!!」
 一年前の夏、斎場にはお父様の写真の前にグラジオラスの緋色が燃えるように飾ってあった事を思い出した。 

(藏前幸子(船団の会 会務委員))


2007年7月15日

蠅(はえ)

   「蠅取りリボン」や「蠅取り紙」をご存じだろうか?子どもの頃、うっかりして天井からぶら下がったあのガムテープみたいにねとねとした「蠅取りリボン」が髪にくっついて、取るのに痛い思いをしたことがある。食卓では蚊帳のミニチュアみたいなものを置き、食品を守っていた。ある時、重たそうに飛ぶ銀蠅を見つけて潰したら、ぷちゅぷちゅっと白いものが出てきた。くにゅくにゅと動き出したそれは蛆虫だった。残酷なことをしてしまったというより、すんでの所でこの世にはびころうとしていた害虫を退治してやったという満足感を抱いた。しかしいつ頃からだろうか?蠅を見かけなくなった。かつて一家に一つはあった「蠅叩き」も見かけなくなった。絶滅品種に加わる日も近いのだろうか?セットで扱われた蚊は依然として活発なのに・・・。

(尾上有紀子 (船団の会 会務委員))


2007年7月8日

涼しい(すずしい)

 馴染みの陶器専門のギャラリーのオーナーは学生時代に考古学をやっていたという。考古学から器を見ることとギャラリーのオーナーとして器を見ることとの違いを尋ねたら、彼はしばらく考えた後、煙草に火を点けてこう言った。「考古学は破片を集め、そこから焼物の共通点を探すのである。現代の陶器を見るということはその反対の作業で、数ある中から違いを見出すことである。」
 このギャラリーにいると、森の中にいるようで涼しい気分になる。

(小倉 喜郎 (船団の会 会務委員))


2007年7月1日

泳ぎ(およぎ)

 高校時代の話。授業で水泳があった。プールは男子と女子のコースにロープで分けられた。私の通った小学校、中学校にプールはなく、近くに泳げる川もなかったので初めての水泳。男子で一人、ビート板を与えられ女子コースで一緒にバタ足から練習をした。最後の授業は、男子コースでクロールと平泳ぎのテスト。まず、クロール。勢いよく飛び込み、腕を回し足をバタつかせ、25mのゴールを目指した。手が壁に着いた。顔を上げると大歓声・・・。飛び込んで3m程で横に曲がり、横壁に着いていた。次は、平泳ぎ。手で水をかき足で水を蹴り、必死に泳いだ。プールの底に腹が付いたが、それでも息の続く限り何とか前に進もうとした。とうとう息が続かず諦めて顔を上げた。みんな静か。先生の顔は青かった。私が溺れ、底に沈んだと思ったらしい。今、まだ泳げない。

(岡 清秀 (船団の会 会務委員))