週刊:今週の季語 バックナンバー 2007年10〜12月
2007年12月30日

去年今年(こぞことし)

 年末年始ほど時間の経過にその意味を持とうとする時期はないだろう。大晦日から元旦への移り変りを、ある人は動から静へ、またある人は地獄から天国へと喩えた。皆さんはどうだろう。
 先日、友人が細木数子の六星占術の本を届けてくれた。別に信じている訳ではないが、私は金星人の(+)とかで、平成20年は〈立花〉という運気になり、なかなか良いらしい。数日後、もう1冊を届けてきた。どうも金星人(+)でも申年生まれは霊合星人という運命も持ち、両方を読む必要があるらしい。そうなると私の平成20年の運命もなかなかややこしそうだ。こんな話を飲み仲間の神主さんとしていると次のような話をしてくれた。初詣などでおみくじが引かれるが、悪い運の時は再度引き、「なぜ、二度引くと内容が違うのか」と神主さんに言い掛かりをつけることがあるらしい。そんな時、こう答えると言う。「運命は刻々と変る」

(岡 清秀 (船団の会 会務委員))


2007年12月23日

睨み鯛(にらみだい)

 年の瀬が近づいてくると「鯛釣りに行こう」という誘いが多くなる。正月の睨み鯛を自前で確保するためだが、ことはそう上手く運ばない。30〜40センチほどのが理想なのだが、一匹も釣れないこともある。今年は贔屓目に見て25センチほどのをお膳に飾った。「こ睨み」である。これでは悪神に太刀打ちできない。いつもは十日戎に仕舞うのだが、永く睨んでもらって、小正月に近くの神社のとんど祭に焼べた。労をねぎらったのである。
 さて、来る年のめでたさは我が家にとって如何ほどのものだろう。晦日の30日には大勢が決まる。

(南村健冶(船団の会 会務委員))


2007年12月16日

年用意(としようい)

 十二月もいよいよ半ば、暖かい冬で助かっている。結婚した頃は十二月にはいると大掃除を始めた。アパート暮らしから始まったから、狭いのはそれなりに、箪笥の裏から畳干しと天気のいい日にせっせと掃除した。正月を迎えるための予定をたてて、一つ一つこなした。新年を迎えるための菜箸や下着なども揃えた。ところが十年、二十年、三十年と年を経るごとに箍が緩んできたのか、そこまでしなくてもとか思うようになってきた。掃除を少し念入りにするだけ。新年を迎えるための新しい服を誂るなどまったく。“おせち”なども必要最小限度作るだけだ。最近、豪華な“おせち”を買う人が増えてきた。わたしも少し食指が動いている。そしてますます箍が緩む。

(陽山道子(船団の会 会務委員))


2007年12月9日

冬暖か(ふゆあたたか)

 坪内さんのソウルへの俳句ツアーに同行した。総勢18名。ソウルは日本より随分寒いと聞き、全員着膨れて仁川空港に降り立った。意外にもさほど冷え込んでいなかった。
 毎日、起きては吟行、旨いもの食うては句会、暇があれば句相撲で、頭も体も血の巡り良く、暑い。私は疲れてバスの中でうとうととしてしまった。いざ出句というとき、句帖と電子辞書がない!。慌てておぼろげな言葉を俳句にする。モノに執着しない生き方をしようと思ってきたが、なくした電子辞書は夫のプレゼントであり、俳人に句帖は3番目くらいに大切なもので、内心残念でたまらなかった。
 帰国翌日、この「今週の季語」を書くべく思い出を繰っていたら、ソウルから電話があった。何と、その忘れ物があったという知らせ。ああうれしい。忘れ物は近々、空を飛んで帰ってくるだろう。人々の親切にふれ、私は12月の暖かなソウルを今も実感している。

(火箱游歩(船団の会 会務委員))


2007年12月2日

枯れ野(かれの)

 時々、おもしろいTシャツを目にする。小学3年の息子が、「杉浦太鼓店」とやや小さな古い字体の漢字でプリントされた、渋い紫色のTシャツを着て、家の中を走り回っていた。家の中に職人の小さな丁稚がいるような気がした。
 6年生の娘はというと、「再起動」とデカデカとプリントされたTシャツを持っている。それを着て学校の廊下を歩いていると、すれ違った2人が「あ、再起動の人」と小さな声で言う。ついには、一時「再起動の人」というあだ名をもらっていたらしい。
 季節の神が再起動のボタンをそっと押すまで、じっと待っている枯れ野が好きだ。枯れ野の内部は赤々と燃えているような気がする。

(早瀬淳一(船団の会 会務委員))


2007年11月25日

冬の月(ふゆのつき)

 京都の妙満寺で開かれた「雪の会」に参加した。「俳諧の祖と仰がれる松永貞徳(1571〜1653)の造営」(同寺パンフレット)という「雪の庭」。白砂と水と緑とが程よく按配され、紅葉が日暮れと共にライトアップされて美しく映える。それを雪見障子越しに眺めながら稔典さんの話を聞き、懐石風のお弁当。ボーンと暮れ六つの鐘。うふふふふ。
 貞徳?名前は知ってるけど、俳句までは、ねえ、と顔を見合わせていた参加者一同が、〈かきくけこくはではいかにたちつてと〉とか〈酒や時雨のめば紅葉(もみぢ)ぬ人もなし〉など、貞徳の楽しい言葉遊びの句を覚えて庭に降り立ったとき、頭上には、まーるい冬の月が昇っていたのでありました。

(中原幸子 (船団の会 会務委員))


2007年11月18日

十一月(じゅういちがつ)

 霜月、霜降月、雪待月とも言う。気候的には晩秋というイメージがあるけれど、暦の上では立冬を過ぎれば立派な冬だ。この11月、私にとってはちょっと特別な月。父母の誕生日、母方の祖父の命日、中学以来の親友の誕生日、そして大学以来の親友の誕生日があるから。
 さらに今年はそこに記念日が2つ追加された。ひとつめは船団の仲間で大の仲良しの大角真代さんの結婚記念日。そしてもうひとつは、中学以来の親友の結婚記念日。どちらも結婚式にお招きいただき、幸せをたくさん分けてもらった。こうやっておめでたい記念日が増えることはたいへん嬉しい。

(中谷仁美(船団の会 会務委員))


2007年11月11日

秋の海(あきのうみ)

 秋の海に行くことは殆どなかった。 今年は天橋立から伊根、丹後半島を巡って来た。そのとき、秋の日差しの中で、海は穏やかにきらきらと輝いていた。海には誰もいなくて、テトラポットのとんがりのひとつひとつにかもめが一羽ずつ止まって並んでいた。砂浜には鳶や青鷺が遊んでいた。
 夏のような青さは失っているけれども、時折強い日差しが照りつけると青さを取り戻すかのように輝き始める、静かで穏やかでちょっとさみしい秋の海。 鳥や魚や海草などの生命を育みながら、あたりまえのことだけど、いつもそこにある海。
 その光景をみていると、失ってしまった、あるいは忘れてしまった記憶に突如出会ったかのようなかすかな胸の痛みを感じた。あの美しい秋の海はしばらく脳裏から離れないだろう。

(角田悦子(船団の会 会務委員))


2007年11月4日

干し柿(ほしがき)

 これも明治生まれの祖母から聞いた、若い頃の話。干し柿といえばこの時期だが、その作り方である。干し柿にするため串に渋柿をいくつずつ刺していくのか。答えは10個。「夫婦ニコニコ(2・2)仲睦(6)まじく」ということで「2・6・2」と刺すのだそうだ。嫁ひとり、一日かけて、そのまじないの言葉をつぶやきつつ、丁寧に丁寧に樽一杯の柿を刺していく。終わったところで姑さん(出会えなかったが、つまり僕の曾祖母さんだ)が「ええ干し柿ができるなあ」などと声を掛けながら、その串を一個一個丹念に見たという。実はこのチェック、嫁がつまみ食いをしていないかどうかのチェックだったと気付いたのはだいぶ後だったとか。「まさかいくらなんでも渋柿なんか食わんて」と笑って婆さんの話が落ちる。食べ物の数に人の数を合わせて生きていた時代のかなしいお話。

(塩見恵介(船団の会 会務委員))


2007年10月28日

檸檬(れもん)

 毎朝、眠たいと思う。すっきり目覚めるために、レモンのジュースを作っている。
 なるべく国産のレモンを使いたいと思い、今はまだ少し青いレモンを買っている。原産地は愛媛か和歌山である。和歌山で蜜柑を栽培している友人が、「レモンを作るのは難しい」と言っていた。やはり夏は高温多湿、冬は低温の気候では育ちにくいのだろうか。今秋、近くの公園の植木市で、小さな青いレモンが2個実ったのを1本買って来て植えた。月光に濡れる青いレモンを見るのもいいなと思った。

(小枝恵美子(船団の会 会務委員))


2007年10月21日

露の玉(つゆのたま)

 琵琶湖湖畔の国民宿舎に泊まった。
 午前七時に朝食を済ませて、宿舎を囲んだ庭園に降りると真っ白な鳥の羽根が落ちていた。水鳥の羽根のようだったから傷ついて北へ渡れず琵琶湖で夏を過ごしたのだろうか。羽根は朝露にしっとり濡れていた。露虫の鳴く方向へ歩くと、たったひとつ大粒の露の玉が萱に張り付いていた。近づこうとした途端一瞬にして弾けてしまった。ほんとうは露の玉など無かったかのだろうか。いや確かにここにあった!

(藏前幸子(船団の会 会務委員))


2007年10月14日

田(ひつじだ)

 波の音を聞きながら漁村で育った私は都会にやってきたはずだったが、七年前から住む今の住まいの西側には田んぼが広がっていて、田植えから稲刈りまでじっくり観察できる。野性のタヌキやイノシシにもここに来て初めてお目にかかった。ついこの間地主の老夫婦が夜遅くまで稲刈りに精を出しておられたなあと思いながら、娘と散歩していたら、稲刈り後の株から新しい茎が出ていた。それを「ひつじ」とよび、「禾魯田」とか「稲孫田」と言うらしい。刈田が広がる光景はさっぱり気持ち良く、潔い感じがするが、切り株からぴょっぴょっと出てきた青い茎は不粋な気もするが、自然の、生命のたくましさを感じる。

(尾上有紀子(船団の会 会務委員))


2007年10月7日

山の芋(やまのいも)

 丹波篠山は稲刈りも終わり、ちょうど畦には彼岸花が咲いている。今年は少し遅いかな。そんな刈田の合間に黒豆の枝豆の青々とした畑が目に付く。道沿いにはテントや季節外れのパラソルが立ち、一束500円前後で販売されるのである。ちょうどこの時期から日中と夜の寒暖の差が大きくなり、町は毎朝すっぽりと深い霧に包まれる。学生時代はその中を自転車で通い、学校につく頃には頭も学生服も濡れたものだ。この深い霧の中、もうひとつ篠山名産の山の芋が育つわけである。そのため地元では霧芋とも呼んでいる。収穫は今月の終りごろ。

(小倉 喜郎 (船団の会 会務委員))