週刊:今週の季語 バックナンバー 2008年4〜6月
2008年6月29日

蝙蝠(こうもり)

 Yさんと私は細長い竹竿を持って夕暮れの広場に立っていた。Yさんの提案で蝙蝠を捕まえてみることになった。間もなく空を蝙蝠が飛びだした。Yさんの案はこうだ。蝙蝠は超音波を出し、その反響を耳でとらえ、位置や距離を認識する。だから、暗闇の中でも迷わずに飛ぶことができる。竹竿を振ってこの超音波を遮れば蝙蝠は飛べなくなり落ちてくる。Yさんと私は空に向かって竹竿を振りながら、広場を走り回った。行き交う人たちは異様な目で見ていた。Yさん26歳、私23歳の時である。蝙蝠は飛び続け、落ちてくる蝙蝠はいなかった。先日、職場で懐かしくYさんとその話をした。Yさんは、私達の竹竿の振り方が未熟だったからと言うのだが。

(岡 清秀 (船団の会 会務委員))


2008年6月22日

寝茣蓙(ねござ)

 寝付いて程なく、暑くて目が覚める季節になった。真夏日が続くようになると、連日、クーラーをつけて寝ることになる。こんなとき、寝茣蓙があったらと思うが、ベッドの暮らしには似合わない。 夏の帰省の時、母は今でも敷布団の上に茣蓙を敷いて寝るように用意をしてくれる。寝返りをするたび、カサカサと音がしてうるさいのだが、いつのまにか眠りに陥ってしまうのだ。新しい茣蓙だとイグサの匂いが心地よい。そこではクーラーなどはなく、廻りの森が空気を冷やしてくれる。帰ろうかな。この夏。

(陽山道子(船団の会 会務委員))


2008年6月15日

ソフトクリーム

 実は、あの大きなソフトクリーム形の看板や旗が見えると、小学生にもどったように、平静でいられなくなる。特に、北海道とか○○高原とか○○牧場とか付くと、是非、どうしても、何がなんでも食べなくちゃと心が騒ぐ。ソフトクリームは食べるのだけど、「舐める」という動作を外せない。いい大人が、大人げもなく、人前で舐める。先日、大人10人「一ノ瀬牧場の生乳ソフト」を揃って舐めた。私は、クリームの上部をぼとんと落し、小学生みたいに落胆したが、落しどころよく三分の二くらいをコーンに押し込んだ。やっと冷たく濃いクリームに満足してコーフンがおさまり、ぐるりを見渡すと、みんな別々のことを思い、遠い眼をしてポリポリとコーンを噛んでいた。

(火箱游歩(船団の会 会務委員))


2008年6月8日

夏草(なつくさ)

 関空には仕事柄よく来る。しかし、5月30日の朝のそこは、いつもと雰囲気が違っていた。何も知らずに1階の国際線到着ロビーに下りると、4千人のおばさんで埋め尽くされていた。そう、ヨン様が到着する日だった。  おばさんたちは、お互いをヒジで牽制して前に出ようとしながら、みな顔は笑っていた。怖さを感じながらも、うらやましいような気もした。少女の心を持つおばさんたち。
 帰りのリムジンバスの窓から見る道ばたには、名も知れない夏の草が、排気ガスで薄汚れながら、延々と続いていた。

(早瀬淳一(船団の会 会務委員))


2008年6月1日

笹百合(ささゆり)

 ササユリは日本固有のユリで学名をLilium japonicumという。淡いピンクの花にほのかな香り。
 小学校4年生だったと思う。実家の裏山で「あ、ユリ」と手をのばした私の目の前を一匹の蛇が横切った。わあーー、と逃げ延びてふと見ると、ふくらはぎから血が出ている。「ハビに噛まれたー」と家に駆け込んで、途端に腰を抜かした私を自転車に積んで、父がペダルを漕いだのなんの。医者は「ハビやない。竹が入ってた」と2センチばかりのきれっぱしをピンセットで摘まんで見せた。ハビは蝮のこと。一年後、その傷跡が化膿してぷくぷくと膨らんできた。センセイは傷跡の近くにもう一つ穴を開けてトンネルを作り、探りを入れて、残っていた竹のきれっぱしを取り出した。今も2つの傷跡がある。

(中原幸子 (船団の会 会務委員))


2008年5月25日

翡翠(かわせみ)

 幼小中高の国語の授業を通して好きな作品ベスト5に入るもののひとつが、高校時代に習った白居易の「長恨歌」。玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋の詩だ。当時の私は驚くほどこの漢詩に夢中だった。この長い長い漢詩の中で、私にとっていちばん印象的だったフレーズは、なぜか「鴛鴦瓦冷霜華重 翡翠衾寒誰與共」。マニアックなのだが、ここは政治的理由によって楊貴妃が殺されひとりになった皇帝が、宮殿で長い夜の寂しさをかみしめる場面。「鴛鴦」は夫婦仲良しの鳥、そしてこの夏の季語「翡翠」は翡は雄、翠は雌で雌雄相離れぬということを意味し、ひとりぼっちの皇帝の姿を鮮明に浮かび上がらせる。この部分を授業で習った時、一語に込められた意味の奥深さにめちゃくちゃ感動した。「言葉ってすごい!」と思った。歳時記で「翡翠」を見つけたとき、とても懐かしかった。

(中谷仁美(船団の会 会務委員))


2008年5月18日

青葉(あおば)

 桜が散ったかと思うとみどりが一斉にひろがり、あたり一面緑の世界となる。 朝目を覚ますと緑の匂いがしている。窓の外を見ると家の前の桜の木がまるで歌って踊ったり、遊びに来た小鳥と話をしているように揺れている。その木を見るだけでハッピーな朝になる。
 青葉をわたる風の音はその時々によって微妙に違う。一定のリズムも決められた音階もないが、それはとても心地よい音楽だ。それぞれの木立は一杯の太陽を受けて木漏れ日はそれぞれの形に移り行く。この季節、どこにも行かずに家に引きこもり、青葉の音楽を聞いていたい。

(角田悦子(船団の会 会務委員))


2008年5月11日

毛虫(けむし)

 グランドの縁のスタンドに腰を下ろし、長男が所属する少年野球の試合を見守っている。まだ幼稚園の次男は、背後の藤棚に遊ばせておく。「おとーちゃん!はち、いっぱいおるでー」「ああ・・・、あまり近寄るなよ」。控え選手の長男が監督に呼ばれている。次の回は代打で出るかもしれない。「おとーちゃん、来て!葉っぱとけむち落ちてきた」「けむ『ち』じゃなくてけむ『し』やろ!」5歳になろうというのに、未だに「し」が「ち」になる、困ったもんだ。「おとーちゃん、来てごらん!けむ『し』さんのうんち。」「・・・ふうん、それはすごいな」。正直、今、父は忙しいのだ。お前もそれぐらいの空気は読め。やっと静かになった。お、いよいよ背番号44の出番だ。と、背後に気配。「ほら、おっきい、けむし!」次男のてのひらに真っ赤な体に黒々とした毛の毛虫がむにょむにょ。お茶当番の妻が薬缶を放り出して、駆けよってくる。

(塩見恵介(船団の会 会務委員))


2008年5月4日

立浪草(たつなみそう)

 少し歩くと汗ばむ季節になったが、風は爽やかだ。連休に入ると、いつも和歌山市にある和歌の浦に出かける。片男波から眺める海がとてもまぶしい。ここは、赤人の歌が有名で歌碑も立っているが、海水浴の時期を除くと今は訪れる人も少なくなった。家族で近くの温泉に入ったり、丘の上まで散策したりもする。坂道を歩いていると、立浪草が群れて咲いている。薄紫のちいさな花が穂のようについているが、波が打ち寄せてくるときの波頭の様子に似ているから、この名前がついたという。そばに腰をおろして眺めていると、立浪草は片男波の波音と呼応しているかのように風に揺れている。

(小枝恵美子(船団の会 会務委員))


2008年4月27日

葉桜(はざくら)

 その頃の私は少女小説を宝物のように大切にして、友人の由美ちゃんと交換をしながら読みふけっていた。本の中の少女に憧れて、現実の由美ちゃんが他の友達と仲良くすると面白くなかった。土筆摘みに由美ちゃん一人が誘ってくれると喜んでついて行き、仲間がいるとその日は何かと理由をつけて断った。 姉のように慕っていた片思いの恋は私の成長と共に消えた。生涯読み続けようと自分に誓っていた少女小説は中学生になって夏目漱石に変った。由美ちゃんは全寮制の東京の学校へ転校をして行った。本を読んでいた部屋の窓からいつも枝垂れ桜が見えていた。今ではその窓を越えて大きく成長し、今年も花が終り葉桜となって風に揺れている。

(藏前幸子(船団の会 会務委員))


2008年4月20日

蚕(かいこ)

 娘が通っていた保育所では、年長組になると蚕を飼うことになっていた。そして週末は当番制で家に持ち帰るのが、子どもたちの楽しみになっていた。当番の日、田舎育ちの私だが蚕を飼った経験はないので、興味津々でお蚕さまを迎えた。桑の葉を絶やさないように、と言われてはいたが、いやぁ、食べる食べる、家族みんなが箱の中のお蚕さまに「食べ過ぎじゃない?」と声をかけるほど、ずーっとむしゃむしゃと音を立てて、ひたすら食べ続けていた。食べたら出る糞を掃除するために、真新しい割り箸で(素手で触ると死んでしまうと聞いたので)そっと移動させた。もこっ、ぷよっとした不思議な感触だった。日曜の朝には、脱皮をしていたので、「パンツ脱いでる!」と、娘は喜んだ。

(尾上有紀子(船団の会 会務委員))


2008年4月13日

種蒔き(たねまき)

 縦30センチ、横60センチ、高さが3センチが苗箱である。これに土を2センチくらい平らに入れて、その上から手動の機械を使って均一に準備した種籾を落としてゆく。その後、ムラのあるところに種籾を手で補充する。この苗箱に水を与え、育苗機に入れて発芽するまで32℃で2昼夜。少し温度を落として3日間。その後ハウスを作りゴールデンウイークごろまで毎日水を与え育てるのである。
 実は手間とコストを考えると、農協から苗を買う方が早いのである。しかし我が家のような小さな兼業農家であっても止めるに止められない、一種の儀式的な農作業があるのだ。我が家の春はここから始まると言っていい。ちなみに、田植えも稲刈りも近所のおじさんにやってもらっている。

(小倉 喜郎 (船団の会 会務委員))


2008年4月6日

山葵(わさび)

 出稼ぎから帰ってきた父と石を拾いに行った。小学6年生の頃である。拳が二つほどの大きさの石を集め木箱に入れた。長野県の出稼ぎ仲間に山葵の苗を貰った父が、山葵田を作るという。場所は冷水が湧き出る我が家の水田の近く。水の湧き口の辺りを3畳ほどに広げ、水がゆっくりと適度に万遍無く流れるよう、拾った石を敷き詰めた。1年目はあまり育たなかったが、2年目からはサイズも見た目もバラバラの山葵を父は出稼ぎ仲間に送った。長い年月が経ち、主のいない山葵田を気にもしていなかったが、先日、「荒れた山葵田に久しぶりに行きました。」と、故郷の姉から山葵漬が届いた。

(岡 清秀 (船団の会 会務委員))