週刊:今週の季語 バックナンバー 2009年4〜6月
2009年6月28日

楊梅(やまもも)

 小学生の頃は、野山を駆けまわって遊んでいた。学校でも時々、午後からの授業を中止にして、「山登りをしよう!」という先生がいた。のんびりと昭和の時代を過ごしたなあと思う。ままごと遊びや人形遊びなどしなかったし、漫画は少年マガジンを愛読していた。今頃の季節は、同級生の正文君や雅巳君たちと山へ、楊梅を採りに行くのが楽しみだった。ちょっと酸っぱい味と赤い色が良かった。今、大阪市内の花博記念公園にある楊梅の木は赤い実がいっぱいで、つい手を伸ばしたくなる。

(小枝恵美子(船団の会 会務委員))


2009年6月21日

梅雨(つゆ)

 午後11時頃玄関の戸ががらがらと開いた。「はあい、今ゆきます。」しわしわのパジャマのうえにシャツを羽織って小走りにゆく。しかしはげしく降る雨の音の他は静かだった。「空耳だったのか、へんだね。」と言いながら母は床についた。そして午前3時頃電話のベルに起こされ枕経の連絡が入った。昨夜の玄関の音はお葬式をよろしくお願い致します≠ニ仏さんから挨拶があったのだと父(住職)は言った。
 お寺の門の西側は1区画が6畳くらいの立派な墓地が6区画ある。そのはずれに親戚の家があり、近道をしてお風呂を借りにゆく。小走りで卍のような墓地を通り抜ける。梅雨最中はリンが燃えて火の玉に見えると聞いていたが、1度もお目にかかれなかった。

(藏前幸子(船団の会 会務委員))


2009年6月14日

葵(あおい)

 毎朝、車で山手幹線を20キロほど西へ西へと通勤している。今年は新型インフルエンザ騒動のため、思いがけず5月の後半が非日常となってしまい、気が付いたら芦屋川や六甲のバス停、三ノ宮のパン屋の近くなど数ヵ所の白やピンク、レモンイエローの立葵が雨に濡れていた。一般に葵とは立葵のことをいうらしい。中国が原産で、唐代以前は「蜀葵(しょくき)」と呼ばれていたそうだ。そういえば父が庭に植えに来てくれた紅蜀葵(こうしょくき)という真夏に咲く立葵に似た真っ赤なハイビスカスにも似た花があるが、名前からしても立葵の仲間にちがいない。銭葵や双葉葵というのもあるが、花は似ていない。花としては、木槿や芙蓉の方が似ている。気温の上昇にともない、背丈以上にすっくっと伸びる姿は頼もしい。紫陽花とともに、梅雨時のじめじめとした鬱陶しさを癒してくれる。街全体を洗う雨。雨上がりはすべてがくっきりと浮き上がり美しい。

(尾上有紀子(船団の会 会務委員))


2009年6月7日

時鳥(ほととぎす)

 もう10年近く前のことであるが、深夜に、我が家の前の山でその年初めて時鳥が鳴き始めた。いわゆる初鳴きである。まだメール友達が10人くらいの頃で、メールを送りたくてしかたなかった。アドレスを知っているその人達全員に「今、我が家の前の山で今年初めて時鳥が鳴いています」と送った。ほとんどの人から喜びや、うらやましいといった返事が返ってきたのを覚えている。どんな鳴き声か知らないというものもあった。メールの送受信にドキドキしていた頃が懐かしい。
 毎年船団の初夏の集いの頃に鳴き始める時鳥の声は「東京特許許可局」「テッペンカケタカ」などと説明されているが私には「キョッキョッキョキョキョ」としか聞こえない。

(小倉喜郎(船団の会 会務委員))


2009年5月31日

苺(いちご)

 新型インフルエンザが流行っている。経験したことのない病の流行りは不安と共に幾分かの気持ちの高ぶりをもたらす。
 小学3年生のとき麻疹にかかった。2日ほどはおとなしく寝ていたが、やがて時間を持て余し、押入に基地を作った。段ボール箱を持ち込み、懐中電灯も着けた。漫画を読んだり、宿題をしたり。食事も基地で食べた。麻疹が治り、翌日から学校に行く予定にしていた日、近くの村に住む叔母が莓を持って見舞いに来てくれた。苺は珍しく、病み上がりの僕は一人で殆どを一気に食べた。翌日、腹痛で学校を休み、一日を基地で過ごした。

(岡 清秀(船団の会 会務委員))


2009年5月24日

亀の子(かめのこ)

 幾筋かの川沿いの道を徒歩で通勤している。川を覗くと亀がいる。歳時記の亀の子は銭亀のことだが、この近くのは緑亀かもしれない。小亀も30センチくらいの大亀も、亀はとにかくたくさんいる。この間は草を食べていた。クロールの息継ぎのように口をあけて一口、二口、三口目の口をあけた時、私が見ているのに気がついた。「えっ!」。亀は何度もぶつかりながら方向転換して、来た川底を戻り、擁壁の下の穴に潜ろうとしたが、甲羅がつかえて入れない。すっと入るのを何度も見かけた穴だ。私は何だか悪いことをした気がして大急ぎで帰宅した。
 次の朝通ると、穴から前足を突っ張って外を眺めていた。よかったね、と見ると素早く首を引っ込めた。今朝は、大きな亀の周りに小さな亀が3匹まつわりついて泳いでいた。1匹は甲羅にのっておんぶのようだ。泳いだり、潜ったり浮かんだり亀にも色々予定があるらしい。

(山田まさ子(船団の会 会務委員))


2009年5月17日

山若葉(やまわかば)

 林道からわきにそれて老鶯が鳴き交わす小道伝いに10分も歩くと、周囲は緑一色の世界となった。渓谷沿いの道は杉の植林へとつづき、尾根にとりつく急坂の登りとなる。小鳥のさえずりにまじってどこか遠くからポンポン、ポンポン、ポポポポポと筒鳥の声。杉林を抜けると、明るい落葉樹林の中の尾根道の直登。やまつつじが頭上を彩る。どんどん展望がひらけてくる。中国山地のやさしい山並。ほととぎすが時々何かをとがめるように鳴く。やがて岡山県の最高峰、後山(うしろやま)1,345メートルの山頂に出た。古ぼけた小さなほこらがある。360度の眺望。郭公の声が眠気をさそう。

(宮嵜 亀(船団の会 会務委員))


2009年5月10日

蜜柑の花(みかんのはな)

 下り坂を自転車で急いで登校していた。その道路を5、6人の男子中学生がいたので、ベルを鳴らし道を開けてくれるよう合図をした。ところが右往左往するばかりで道を開けてくれない。避けきれなくて1人とぶつかってしまった。あっ!と思った瞬間、私は体が浮き上がり、気がついたら3mほど下の蜜柑畑の中だった。見上げると自転車が道路から半分覗いている。柔らかい畑の上で良かった!と思いながら道路へもどり、また自転車で学校へ行った。かすり傷ひとつなかったのだ。
 帰るとき、落ちた場所を覗いてみたら蜜柑の花が甘い香を漂わせていた。白くて甘く、爽やかな蜜柑の花はいつも深呼吸するほど好きな花だ。

(陽山道子(船団の会 会務委員))


2009年5月3日

金魚(きんぎょ)

 洗いものをしていたら、目の前の水槽で、まつりという名の金魚の産卵が始まっていた。砂利の上に薄黄色の小さな卵が散らかっている。次から次から産卵するのだが、驚いたことに、その卵をパクパク食っている。産んでは食い産んでは食い…。わー!そんなに腹を空かせてたのか、ムゴイことをしたと思ううちに、食い尽くしてしまった。
 以前テレビで深海魚のオスが、大きな蛸から受精卵を必死で守る姿をみた。産卵後死んでしまう魚もいる。うちの金魚は変ではと調べる。すると金魚は産卵後すぐ隔離しないと食べてしまい、6月頃までこれが数回続くそうだ。魚もいろいろ。金魚のまつりは、あっけらかんと小石を吸ったり吐いたり、食後の歯磨きでもしているようだ。

(火箱游歩(船団の会 会務委員))


2009年4月26日

躑躅(つつじ)

 阪急岡本駅からすこし南にいったところに、東西と南北の歩道に、躑躅が約五十メートル咲き乱れる一角がある。連休が近づく頃、そのあたりを通ると、また今年も躑躅の季節がやって来たんだなと思う。
 さまざまなこと思ひ出す躑躅かな、辛いことが多い年には躑躅が哀しそうに見え、嬉しいことの多い年には華やいで見える。今年の躑躅はちょっぴりはかなげ。すこし前に近くの交差点で、バイクの右折方法違反で切符を切られたのだった。

(早瀬 淳一(船団の会 会務委員))


2009年4月19日

花水木(はなみずき)

 転勤したら小学校1年生の担任になった。入学してしばらくは、地区ごとに集団下校。バス通りが通学路の子ども達を率いて下校指導をした。バス通り沿いには何本もの花水木。白に、ピンクに、美しい。先頭を歩く子に「この花知ってる?」と聞いてみた。「しらなーい」とちびっこは言う。「ハナミズキっていうねんで」と私。そのやりとりを聞いていたとなりの子が「えーはなみずの木?」「ちがうよ、ハナミズキだってば」。そのやりとりを聞いた後ろの子たちが「わーはなみずだって」「鼻水の木!」「は・な・み・ず・き!」「鼻水の木!!」・・・。最後にやっと納得。春、心地よい風の中の楽しいひととき。
 ここで花水木豆知識。花水木の花と言うと、白やピンクの花びらだと思いがちだが、実はあの部分は総苞と呼ばれ、花ではない。本当の花は中心部分で小さく小さく咲く。
 歌人の吉川宏志氏の「花水木の道があれよりも長くても短くても愛を告げられなかった」はたいへん好きな短歌のひとつ。花言葉は「私の想いを受けとめてください」。ロマンチックだ、実に。

(中谷仁美(船団の会 会務委員))


2009年4月12日

風船(ふうせん)

 モンマルトルの丘は大道芸人や物売りで賑わっていたが、サクレ・クール大聖堂に一歩足を踏み入れると、そこには別世界の静寂があった。
 丘では人垣が輪になり、その中心に美しい女性が舞っていた。まるで天女のようだ。かたわらに風船を持った少年が彼女にやさしいまなざしを送っていた。母親なのだろう。夕暮れの闇の中を彼女は弧を描いて舞った。闇は不思議と時間をはやく感じさせる。
 やがて、少年は観客の方へ走りより自分のかぶっていた帽子を差し出した。丘にコインの音が響いた。観客はあっという間にその場を離れていった。どこにいたのだろうか。濃いメークをした男が近づくと、少年は黙ったままその帽子を差し出した。少年の眼は静寂の闇をさらに鈍く進行させた。
 風船が漂う夕刻の帰路、ふとあの時の少年の眼を思い出した。

(田 彰子(船団の会 会務委員))


2009年4月5日

入学式(にゅうがくしき)

 人は人生において何度入学式に参加するのだろうか。入園式まで入れると 多い人で5回は経験することになる。私は1年生の担任として今年で8回入学式に出る。今年は担任としては最後の入学式になる。
 入学式は新しい学校への期待や不安で胸が高鳴る。気になるのは担任の教師。私は野球のルールも知らないおじさんの数学の教師が担任でがっかりしたことを覚えている。大学の教育概論で「生徒の心が理解できる教師になれ。そのために生徒の読むマンガを読め」と教授に言われた。マンガは読めていないが、いつまでも精神的に若い教師として新1年生と対したい。

(近藤千雅(船団の会 会務委員))