週刊:今週の季語 バックナンバー
2011年6月26日

流しそうめん(ながしそうめん)

 先日行きつけの喫茶店「ハッピータイム」でピザパーティをした。店の人にピザ生地、ソース、具を準備してもらい、私が陶芸用の耐火煉瓦で即席のピザ窯を作った。60個程度の煉瓦を5段に積み上げて、直系35センチのピザが焼ける窯だ。燃料は炭で、窯をあらかじめ十分に暖めておけば、220℃、10分程度で焼きあがる。オーブンで焼くよりもワイルドで、カリッと焼きあがり、たいへん好評であった。この窯はナンやパンにも転用できそうである。
 この喫茶店ではときどきイベントをする。3年前の夏には、竹を切り出して、流しそうめんをした。これも好評で、そろそろまたやりたいと思っている。

(小倉喜郎、「船団の会」会務委員)


2011年6月19日

蠅取りリボン(はえとりりぼん)

 懐かしい蠅取りリボンを見つけた。仕事帰りに寄った阪急塚口駅北側のたこ焼屋。路地に面し、持帰り用に焼いているが、店内にも5人が食べる程度のカウンターがある。その奥に、雑多に積まれた箱と食器棚があり、その上にはキューピーと七福神の人形が置かれている。その手前に蠅取りリボンが天井から下がっていた。決して蠅が飛び交っている訳ではない。「客を捕まえて、逃がさない」らしい。たこ焼は5個100円。親子に見間違う夫婦が焼いている。演劇を職とするアベックと隣席になり、互いにビールを飲んで会話が弾みだしたとき、店主が外のお客に言った。
 「おばあちゃん、もう今日は売らないよ!」
 聞くと、今日だけで8回目。買ったことを忘れて、毎日、何度も来るらしい。私も蠅取りリボンに見放される日が来るのだろうか。

(岡 清秀、「船団の会」会務委員)


2011年6月12日

金魚(きんぎょ)

 歌川国芳の「きん魚づくし ぼんぼん」という浮世絵を見た。擬人化されて描かれた金魚たちが、手をつないで歌いながら、お盆の町を立って歩いている。金魚のお姉さんに手を引かれた、蛙になりかけのおたまじゃくしがかわいい。団扇はよく見ると、たも網やなまず。しだれ柳のように見える枝も、子どものころキンギョグサと呼んでいた梅花藻だ。赤と白のまだらのぷっくり金魚たちは、ユーモラスで国芳の遊び心に見入ってしまった。 金魚の養殖が盛んなわが町・大和郡山は、一年中金魚すくいのできるお土産屋、マンホールのふたにも金魚、図書館にも金魚、市役所の玄関にももちろん金魚、金魚検定に金魚すくい選手権、我が家のすぐそばにも養殖田がある。ゆったり泳ぐ金魚を見ていると、子規の言葉が浮かんでくる。「痛い事も痛いが綺麗な事も綺麗ぢや」。

(山田まさ子、「船団の会」会務委員)


2011年6月5日

六月(ろくがつ)

 今年は春の花の季節をやや言葉少ない日々の中に過ごしたような気がする。いつしか花は葉になり、若葉のキラキラ輝く新緑から青葉のうるおう六月になった。ベランダから見える近所の学校の庭には色々なたくさんの樹木がある。時々の選挙の投票所にもなる学校なのでなんとなく少し親しい庭。今の時期、このベランダからの眺めは緑の青々とした小さな森のような感じ。その心地よい緑の風に吹かれながら洗濯物を干している時など、ふとチャイムが鳴って溌剌とした校内放送が聞こえてくる。青梅雨の合間、子規の「六月を奇麗な風の吹くことよ」の句のようなこんな日もうれしい。

(藪ノ内君代、「船団の会」会務委員)


2011年5月29日

黒鯛釣り(ちぬつり)

 甲子園球場のライトが点灯するのを横目に車を走らせ、武庫川の河口近くの浜でまずは弁当を開く。夜釣では危ないから止めろと言われていても、下戸の運転手以外はビールが必須。食べ、飲み終わって仕掛を作り出すころ、薄暮となる。心地よい潮風。浜の近くや遠く六甲山中腹のマンション群には灯がまたたき出す。潮は上げ潮。電子浮子がゆっくりと流れて行く。そうして暗い水面をすべっていた浮子が少しだけ水中に入って、停止する。じっと待つ。沈みこんだ浮子がさらに水中へ、今度はいきおいよく引き込まれる。待望の二段引き!竿を立てると、生き物が抗う強烈な力が海の中から手許に伝わる。

(宮嵜 亀、「船団の会」会務委員)


2011年5月22日

梅酒(うめしゅ)

 スーパーのちらしに「梅の予約」の広告がでていた。梅を漬け込む季節になってきたのだ。
 1年前に職場の人から教えてもらって、初めて自分で梅酒を漬けた。もうそろそろ飲み頃だ、と御飯もそこそこに小さいグラスに少しだけ入れて試飲した。液体が黄金色をしたら飲み頃なのだそうだが、果たしてこの色はそうなんだろうか。と疑問に思い、光に当ててみると、やや茶色がかった色だった。そうか、これが琥珀色なんだと感じた。梅のよい香りがして、いい具合にほろほろと酔った。原酒では少し喉が焼けそうになったので、今度は水割りにしてゆっくり味わおうと思っている。
 さて、梅酒の中に漬けている梅は活用できるのだろうか?捨てるなんて勿体ないと思っていたらこんな方法をみつけた。いわしを煮るときに梅酒につけた梅を加えるとまろやかな味わいで、いわしのくせがなくなるのだそうだ。梅をくずしながら食べるとさらにおいしさが倍増するそうだ。いろいろ工夫して味の幅を広げたいと思う。
 今年は梅ジャムや梅ゼリーにも挑戦してみようと思っている。

(藤田亜未、「船団の会」会務委員)


2011年5月15日

みかんの花(みかんのはな)

 その家のシンボルツリーとして植えられた文旦の花が今年も咲いた。
 先日、孫とその前を通った。「今年はいくつ生るだろうねえ」と言ったら「いや、もういい!」と言う。先年、二人の孫と散歩をしたとき、子どもの顔が当たるくらいの高さのところで文旦が生っていたので「ほら、大きいねえ」と言ったら、二人がそれぞれに触り、手を離したとたん文旦が転がり落ちてしまった。「あああ!」と悲鳴。孫に1個づつ持たせ、持ち主に謝ったのはいうまでもない。持ち主は「ああ、いいですよ。持って帰って食べてください」とのこと。美味しくいただき、ホッとしたのだが、子どもにとっては苦い経験だったのだろう。でも「もういい!」ではなく、「ふふっ」と笑える逞しさが欲しいのだが・・・。

(陽山道子、「船団の会」会務委員)


2011年5月8日

あいの風(あいのかぜ)

 丹後半島の伊根に行った。伊根湾をぐるっと囲むように舟屋が並ぶ。おだやかな海、おだやかな日和。お爺さんが母屋の玄関先で攩(たも)網の繕いをしていた。湾を囲む道の海側が舟屋で、山側が母屋だ。酒屋さんの舟屋を風が抜け、小さな鯉幟が尾を上げる。
 風にのってくる魚を煮る匂いにつられて、鄙びた食堂に入り、煮魚定食をたのむ。鯛の尾頭が皿からはみだして胴だけ煮汁につかっていた。皿が小さ過ぎる。煮汁はこってり濃く懐かしい味だ。腹ごなしは高台にあがり湾を見下ろす。きらきらと海を渡り雑木林に汐風が届く。ああ!これが「あいの風」だ!と、しばらく風を楽しんだ。

(火箱游歩、「船団の会」会務委員)


2011年5月1日

麦秋(ばくしゅう)

 俳句を知ることで麦秋や麦の秋という言葉を知り、麦のその様に目を向けることができるようになった。 ある日の新幹線の窓から、麦秋の美しいそして淋しい風景をみたことを思いだす。それは見渡す限りの麦畑の、そこに小さく人の姿のある葬送の時であった。先頭は旗のような白い布を棒にひらひらさせ、その後ろから柩がゆく。老人らしき人と黒いドレスの女性、そして小走りの子どもが続く。熟れた麦が、この世の音を吸収してしまい、無音の世界を作っていると感じさせた。そんな寡黙な絵のような風景を、麦秋と口にしたとき脳裏に浮かぶのである。

(中林明美、「船団の会」会務委員)


2011年4月24日

葉桜(はざくら)

 帰省した折、ようやく生まれて3ヵ月になった息子を連れて、妊娠中の入院で仲良くなった人のおうちに遊びに行った。お互い、大きなお腹を抱え、点滴を引きずりながら励ましあって長期入院していた、いわば戦友である。その戦友も今はいわゆるママ友。
 彼女の御主人は住職をされているので、おうちはお寺のすぐ隣にある。お寺の境内には大きな大きな桜の木が何本も植わっていて、葉桜が風にやわらかく揺れていた。
 彼女と会うのは、私の出産翌日、小さな赤ちゃんを抱えて病院に駆けつけてきてくれて以来。入院中の思い出話や子育てのことなど、あれやこれやと話は尽きず、楽しい時間はあっという間に過ぎた。来年は、桜が満開の頃、入院仲間で集まってお花見ができたらいいね。そんな話をしておひらきとなった。
来年か・・・大の字でぐうぐう寝ている息子を見ながら、にやっとしてしまう今日この頃である。

(中谷仁美、「船団の会」会務委員)


2011年4月17日

躑躅(つつじ)

 ここ数年、この季節は躑躅を求めて信州、四国、九州の山を楽しんでいる。信州の高原や山では蓮華躑躅。一昨年は全山ミヤマキリシマに染まった霧島連山縦走。縦走路の新燃岳は今年1月に噴火し、多大な被害に心が痛む。昨年は同じミヤマキリシマの九重連山。四国の石鎚山では初めて曙躑躅に出会った。それは淡紅色で愛らしく、あたかも乙女のような初々しさに感動した。今年はまた曙躑躅に会いに行きたいなぁ。
 今日は我家から徒歩10分程の万博公園を散歩。太陽の塔の背後を見ながら、つつじヶ丘にてネーミングの面白い「老いの目覚め」「摩耶夫人」「火の国」等々、多くの品種がある久留米躑躅を楽しんで来た。首に巻いたタオルで汗を拭き万歩計を見ると12,000歩であった。

(鶴濱節子、「船団の会」会務委員)


2011年4月10日

臍蜜柑(へそみかん)

 明治39年4月11日、一人の新任教師がいた。月給八円。「無論自分はこれで一生を教壇の人となるといふのではない。・・・教育を職業として居る人であつたならば、これは恥かしい額であるかも知れぬが、自分はもともと詩人であるのだ。」と嘯き、一方で高等科(12〜16歳ぐらい)の生徒を相手に人格陶冶を行いたいのに、尋常科2年(8歳ぐらい)を相手にさせられる。その教師は石川啄木。故郷、岩手・渋民村で、代用教員になったころの「渋民日記」。青年らしい野心きちきちの明るさと切なさ。それは、柑橘系のような香しさ。
 紹介した季語、臍蜜柑は、ネーブルのこと。皮が美しく、果物嫌いの僕もついつい今、日記を読みつつ、剥いている。啄木は少年に英語を教えたりして、勉学熱心に関わったようだ。我が家の息子二人は、父親が蜜柑に手を出すたびに「あれやってよ」と『あたらしいみかんのむきかた』(岡田好弘著、小学館。詳しくはこちら)の本を持ってきて、皮むきを楽しみにしている。父親は啄木から遠ざかる年齢を思いながら、今日も臍蜜柑を剥かされる。

(塩見恵介、「船団の会」会務委員)


2011年4月3日

春昼 (しゅんちゅう)

 その日は知人に会いに行く用があって、ある私鉄に乗った。大きな川を過ぎて、二つ目の川も過ぎ、三つ目の川の上でいきなり電車が止まった。アナウンスが流れて、人身事故が次の駅で起きたので停車します、ということだった。つい三日前も別の私鉄に乗っていて人身事故に遭遇したばかりで、そのときはすぐにJRに乗り換えることが出来、目的地に遅れることはなかった。春の昼の、眠くなるような日差しを受けているにもかかわらず、三〇分以上も川の上で止まって水の流れを見ていると、だんだん不安な気分になってきた。まわりの人達もなぜか静かで、一分一分が長く感じられた。四十一分が過ぎたときに、ようやく電車が動き始めた。

(小枝恵美子、「船団の会 」会務委員)