2013年3月31日

桜(さくら)

 つんのめるようにして歩く。耳元で風がごうごうと鳴っている。傘がさせない。風に抗いながら、必死の形相で歩く。と、階段にさしかかったその時。シフォンのスカートが捲れあがる。鞄で懸命に押さえる。人の視線が気になる。が、どうすることもできない。少し収まった風の中。ふいにマリリン・モンローを思い出し、一人でクスリとする。これは、たわいない或る日の出来事。春嵐。嵐のような出来事といえば。
 先日、勤務先から届いた一通の御手紙。「このたびの雇用期間は平成25年3月20日をもって終了いたしますので、御礼傍々御連絡申し上げます」と、結びの一文。一年ごとの更新で、30年余り勤めたG学院。つんのめるような気持ち・・・・・・でも、でも、桜が咲いている!

 さくらさくらさくら咲き初め咲き終わりなにもなかったような公園     俵 万智

(村上栄子、「船団の会」会務委員)


2013年3月24日

春北斗(はるほくと)

 香川県からの帰り道によく使うのが瀬戸内海沿いに続く道。この海岸線沿いを、海を横目に東に向かってひた走る。私はいつだって助手席専門。太陽とさよならしたら、助手席側の窓の向こうは海の闇。どこまで海でどこから空なのだろう。闇夜の海と空はすっかり溶けあっている。たまに遠くの方で船の光が見える。それからお星様。立ち止まって空を見上げるときより車に乗りながら星を眺める方が、お星様は見えにくい。それでも闇夜と隣り合わせの夜はやけにお星様を見たくなる。今の時期なら春北斗が浮かんでいるだろう。別に持つ船星という名のように闇夜に浮かびながら。

(舩井春奈、「船団の会」会務委員)


2013年3月17日

春休み(はるやすみ)

 この春、中学を卒業した孫娘と春服を買いに梅田に行った。日頃、無縁の売り場なので、着いて廻るしかない。あっちの建物、こっちの建物、上がったり下がったり、前だけを見てお目当ての服や靴を見て廻る。「少しは後ろを見てよ」などため息をつきながら着いて廻る。そしてついに見失ってしまった。ベンチで座って待つことに。歩くお財布としては携帯での呼び出しを待つしかない。そして何着かの服と靴を買わされてしまった。「ああ、今日は楽しかった!」この言葉に弱いのである。

(陽山道子、「船団の会」会務委員)


2013年3月10日

春野(はるの)

 十年ぶりに洛北市原の小町寺へ出かけた。雑然としたお堂の小さな「小野小町老衰像」(鎌倉時代作)と再会する。あばらの浮いた胸をはだけ、遠い眼差しをした静謐な像だ。私は十歳年取りましたよとご挨拶。外の日溜りには、犬ふぐり、酸葉のやわらかな赤い葉、まだ産毛のような棘の薄緑の薊の葉がきらきら光っている。切り株に腰をおろし、この地で義父や母、猫と暮らした日々を懐かしむ。時折の風に杉の花粉がふわと立つ。小町は西暦900年ごろ、この市原で亡くなり野晒しになっていたと伝わるが、わが猫は火葬にして市原野の土にもどした。人も動物もその時代を生きるしかなく、自然はまた気の遠くなるような年月をくり返す。風に乗り、ふいと恋の鳥が吹き上がりもつれた。
 市原野にまた新しいいのちが孵る。

(火箱ひろ、「船団の会」会務委員)


2013年3月3日

雛祭(ひなまつり)

 空襲は東京を焼き名古屋、次は大阪だとひそかに伝わり母は疎開を断行した。病気の姑と子ども三人を連れての移動だ。幸い小さなトラックが調達でき、最小限の生活用品を積み込み、雛人形も積んだという。それらを大人になってから聞かされ、飾ることも出来ないのにあほやなあと、その時母に言った。雛人形は戦後の混乱の中で、結局手放したが心残りは無かった。或る時、芥川龍之介の小説『雛』を読み、言いようのない悲しみを感じた。それ以後、雛の季節には母の話と小説『雛』の悲しみを思い出す。

(中林明美、「船団の会」会務委員)


2013年2月24日

猫の恋(ねこのこい)

 実家に3匹の猫がいる。もともと納屋に棲みついて出産したのがマミチャン。そこで産まれたのがトラチャン(雄)、その後勝手に迷い込んできたのがヒョウチャン(雄)。一日の大半を家の周りの田畑や裏山、納屋の中や屋根の上などで好き勝手に過ごしていて、朝夕の食事タイムと、困ったことがあった時、そして構ってほしい時だけ、裏口の前でニャーニャー鳴く。
 3匹とも繁殖をしないように手術をしているのだが、恋の季節になると、どこからともなく何匹もの雄猫がやってきてマミチャンを追いかけまわす。手術済である上にけっこうなお年のマミチャンにしてみれば大迷惑、あとの2匹にとっても平和な毎日を乱されるのでたまったものではないらしい。いつも3匹で小競り合いばっかりしているくせに、こんな時だけは一致団結。猫の恋の季節、実家の周りでは、恋猫の切ない鳴き声、ではなく恋猫に対する怒りのうなり声と叫び声が響き渡る。猫社会もいろいろ大変らしい。

(中谷仁美、「船団の会」会務委員)


2013年2月17日

光の春(ひかりのはる)

 今朝は快晴。今日の予定は何もなく時間がたっぷりある。ベランダに出てみると近くの神社の林や竹藪、家々の屋根が陽光に包まれている。気持ち良さそうだ。思い立って紫金山公園迄散歩に行くことにした。30分程歩くと広さ7.2ヘクタールの公園にたどり着く。ここは国の史跡「吉志部瓦窯跡」や「吉志部神社本殿」、また広い釈迦ケ池などがあり、いまだ自然が残っている里山的丘陵である。頬を撫でる風はまだ冷たいが、木々の梢や池の水面は降り注ぐ光を浴びてキラキラと明るく、春を告げている。今まさに光の春を感じ、幸せな気分になる。野鳥もたくさんいて、セキレイが微妙な位置間隔を保ちながら、歩を合わせている。歩く姿がとても愛らしい。この季節好きだなあ。寒さで縮こまり硬くなった心身も春浅い日差しを浴びて解れてきた。さあ、帰りましょうか。またてくてく歩く。

(鶴濱節子、「船団の会」会務委員)


2013年2月10日

鞦韆(ブランコ)

 〈鞦韆は漕ぐべし愛は奪ふべし 三橋鷹女〉。鞦韆は春の季語だが、この句の場合、まだ肌寒い早春の風を切り裂いているような感じ。二つの「べし」が力強く、ぐんと振れを増幅させるように蹴り出す足のようだ。このブランコは明らかに立ち漕ぎだと思うのだが如何。さて、このブランコ、どう止めるのか。地に足を引きずって止めると骨折の恐れがある。前方に振り切った際に飛び降りるのはもっと危険だ。こんなときは、振り子の中点で身体を伸び上げる。漕ぐときに振れの端で身体をぐんと伸ばすように、逆に真ん中でぐんと伸びて重心を高めると面白いように止まる。ブランコの振れの両端にあるのが、道ならぬ恋や芸術なら、振れの真ん中はカレーライスの匂う我が家である。ねじめ正一氏の『荒地の恋』を読んで、そんなことを思った。

(塩見恵介、「船団の会」会務委員)


2013年2月3日

入学試験(にゅうがくしけん)

 団塊ジュニアである私が大学を受験した平成4年。関西の私立大学で願書を出した3学部の競争倍率はすべて20倍を超え、中には35倍という学部もあった。
 すさまじい人数の中での入試連続三日目。一限目の英語の試験。頭が全く働かなかった。ついには意識が朦朧としてきたため、「5分だけだぞ」と何度も自分に言い聞かせ、思い切って眠った。
 がくんと顎が落ちて目が覚める。時計を見ると長い針が数字6個分進んでいた。
 頭に一気に血が上る。血管がぶつぶつと切れた(ような気がした)。とりあえず、下敷きで頭のてっぺんから猛烈に風を送りながら問題文を読む。セーターを脱いだ。やがて涙で目がかすんできた頃、試験終了のチャイムが鳴った。
 18歳の誕生日、掲示板には私の受験番号はありませんでした。

(工藤 惠、「船団の会」会務委員)


2013年1月27日

春隣 (はるとなり)

 書店の中をぶらついていたら、『通天閣』という本が目に留まった。作者は大阪府立大学人間社会学部准教授の酒井隆史さん。三年ほど前まで、私は府立大学へ聴講生として通っていて酒井准教授の講義を受けていた。この本にも書かれている王将坂田三吉や、てんのじ村に住みついた芸人の話などの講義を興味深く聴いた。それらを含めて新・日本資本主義発達史としてまとめられたのだ。通天閣を取り巻く新世界の様々な歴史を読むと、急に通天閣に登ってみたくなった。春めいた日差しの明るい日に、生まれて初めて登った。外の天気とは裏腹にエレベーターの中は薄暗く、天井にビリケンが星のように浮かんでいた。私はまるで過去へと旅立つ錯覚に陥った。

(小枝恵美子、「船団の会」会務委員)


2013年1月20日

霜柱(しもばしら)

 ちょっと変わったしゃべり方をする学生がいる。彼は無意識のうちに「空気が冷たいですね、空気が」「学校で先生に叱られました、学校で」「明日は単語のテストがあります、明日は」のように、最初の部分を最後にもう一度付けて話す。いわばリフレインである。3文に1文はそうであり、たいてい話がクドくなる。「マカロニにはなんで穴があるのですか、マカロニには」「空気が乾燥していますね、空気が」「ピリピリ静電気がひどいですね、ピリピリ」「霜柱を踏み踏みやって来ました、霜柱を」・・・。いつかこれを俳句にと狙っている、いつかこれを。

(小倉善郎、「船団の会」会務委員)


2013年1月13日

山眠る(やまねむる)

 この季節、近所の子供たちと近くの山々の獣道を歩く。森の中は、木の葉が落ち危険な虫も少なく歩きやすい。途中に「のた」もある。「のた」は、イノシシやシカなどが、身体についた虫を落とすためなどに泥浴びや水浴びをする風呂場のようなもの。「のたうちまわる」の語源になっている。様々な動物が来るのか、足跡も数種類か残っている。近くの杉の木には、親子で泥浴びをしたのか、その泥が高さを変えて付いている。3年前、猟を趣味にするSさんの案内で、近くにある阿武山へ二人で下見に行った。獣が通ったクマザサのトンネルを進んでいるとき、Sさんが止まった。先にバレーボールの様なものが転がっている。前に回ると、白骨化した頭蓋骨。警察に連絡をするが、獣道のため道順の説明ができない。一旦下山し、派出所からきた警官を案内する。次に刑事たちが来る。また下山し案内をする。次に鑑識官たち。最後に、付近を捜査するために動員された若い警官たちを案内する。獣道はすっかり山道になってしまった。

(岡 清秀、「船団の会」会務委員)


2013年1月6日

冬鴎(ふゆかもめ)

 ホワイトラムをベースにホワイトミントリキュール、「コアントロー」を加え、そしてアイラのシングルモルトウィスキー「ボウモア」を10ml入れてシェイク。以上がショートカクテル「シーガル」のレシピ。ホワイトラムの腰は海の広大さを表し、「コアントロー」の甘さとミントリキュールの香りは「かもめ」と題された通り、海を渡る鴎の清々しさが表されている。
 しかし、そこにアイラの「ボウモア」が加わると表情は一変する。「ボウモア」の持つピートの香りと、濃厚で複雑な味わいが加わることで、激しく波しぶき上げる荒れた冬の海峡がそこには浮かび上がってくる。
 「シーガル」はまさに荒れ狂う真冬の海を、凛と渡る鴎の姿なのである。

(山本皓平、「船団の会」会務委員)