2016年6月26日

お花畑(おはなばたけ)

 今年も夏山登山のシーズンとなった。夏は高山が好きだ。好きな理由の一つに高山植物との出会いがある。高山植物は厳しい条件に耐えながら、雪解けを待って一斉に咲き誇りお花畑となる。且つその山だけの固有種に出会うと心がときめく。可憐な花を愛でていると、ザックの重さも足の疲労も解れていく。夫は高山植物の名前を教えても、「綺麗だね」と言いつつ「見て聞いて下りて忘れる山の花」とうそぶいている。槍ヶ岳、北岳、白山、白馬岳のお花畑は格別で今も目に焼き付いている。また北海道の大雪山のお花畑はカムイミンタラ(神々の遊ぶ庭)の言葉のとおりであった。因みに伊吹山、乗鞍岳の畳平、立山の室堂、白馬八方尾根、木曽駒ヶ岳の千畳敷カール等はバスやロープウェーが利用出来、ハイキング程度でお花畑を満喫出来るのでお薦めである。

(鶴濱節子、「船団の会」会務委員)


2016年6月19日

ジューン・ブライド(6月の花嫁)

 6月に結婚した花嫁は一生幸せになるという。日本のホテルは、このヨーロッパの伝説を梅雨の時期の挙式を増やす策として取り入れたらしい。
 私の妻は6月に結婚した。私も。新婚旅行は格安ツアーでカナダへ。バンフの街からバスに乗りカスケード・ロック・ガーデンへ行ったとき、公園を散策してバス停に戻ると既にバスは終わっていた。公園事務所も閉まり、周りに人影はなかった。
 途方にくれていたとき、アベックの乗った車が通りかかり、身振り手振りで何とかホテルまで乗せてもらった。お礼に日本の硬貨500円から1円までの全ての種類をあげた。穴があいた50円玉と5円玉は珍しいと喜んでくれた。穴があったら入りたい三十数年前の6月の失敗談。

(岡 清秀、「船団の会」会務委員)


2016年6月12日

日傘(ひがさ)

 この年になって突然、紫外線アレルギーを発症してしまった。以来、晴れの日は日焼け止めクリーム・マスク・日傘が必携になった。職場では最初のうちは変な人、ひどい場合はあいつオカマだったのか、とか言われたが、少したつと風景にとけこんでいる。慣れるとこんな快適なモノはない。日陰を探す必要がない、にわか雨にさせる、会いたくない人と目を合わせずにすれ違える。帽子が趣味でいくつか集めたが、これからはフリマなどでおしゃれな日傘をいくつか集めようと思っている。

(早瀬淳一、「船団の会」会務委員)


2016年6月5日

短夜(みじかよ)

 最近、首のヘルニアのせいなのか、夜中に右腕のしびれで目が覚める。態勢を立て直すため、寝返りを打つと右横の長女が目を覚ましている。聞くと、夜中によく目覚めるらしい。と、今度は左横の次女がとんとんと肩をたたく。聞くと、お父さんのいびきがうるさくて眠れないという。たしかに、先ほどから、夫のいびきの轟音で眠りたいのに眠れない。次女が夫の背中を押し、横を向かせる。でも、しばらくすると、横を向いたまま、やっぱり轟音。夜中、母娘三人で寝がえりをうちつつ、溜息をつく。
 いつの間にか寝入っていたら、耳元でけたたましい音。慌てて起き上がると、これは目覚まし時計だった。一升炊きの炊飯器のご飯はもうすぐ炊きあがる頃。今日も、朝からお弁当を三つ入れて、一日がスタートする。ある短夜の話。

(工藤 惠、「船団の会」会務委員)


2016年5月29日

ナメクジ(なめくじ)

 体長20cm、ヒョウ柄、ヨーロッパ原産、のナメクジ目撃情報をツイッターで募る日本の女性ナメクジ研究者がいる。小学生のころ、畑に8cmほどの黄色い肉厚のナメクジがいた。少女漫画に、ナメクジを食べて声の良くなった女の子の話があり、読んで気を失いかけた。このトラウマから、今、主流のちっちゃなチャコウラナメクジさえ苦手。ナメクジの駆除方法として、飲みかけのビール缶に誘引し溺死させるというのがある。しかし最近は酒に強いナメクジもいる。酒に強い、体長20cm、ヒョウ柄、ヨーロピアン、のナメクジが勢力を伸ばすなどということは絶対にあってはならない。

(小西雅子、「船団の会」会務委員)


2016年5月22日

青葉風(あおばかぜ)

 「衛藤っていい苗字ね。漢字がいいわ」
 「主人の出身が小倉で、福岡や大分に多い苗字です。津島って青森に多いですか」
 「青森に多いのは対馬なの。先祖が九州の島津に憧れて、同じ音だから、対馬を津島に。苗字って辿っていくと面白いわよ」
 そう言って、津島佑子先生は紫煙をくゆらせた。頬から顎にかけての線がお父様を彷彿させ、思わず見惚れてしまいそうになりながら、こんなたわい無い話をして頂いたことが懐かしい。今年の二月、突然の訃報。青葉ゆれる五月にお別れの会。先生を偲んで、「寵児」を読みなおしてみよう。青葉風に吹かれながら。

(衛藤夏子、「船団の会」会務委員)


2016年5月15日

五月(ごがつ)

 鮮やかな緑の季節。街路樹や車窓から眺める青葉若葉の緑がとてもきれい。先日はふと思い立って信楽高原鉄道に乗った。山あいの雑木林の所々に咲いている藤やつつじの紫色、そして左右に広がる田園風景を眺めながら、二両編成のワンマンカーで伸びやかに走り抜けた。終点の信楽駅前の広場では陶器祭りを開催していて、愛嬌たっぷりの狸の置物や薫風、蓬餅も迎えてくれた。ちょっとした贅沢な日だった。「五月は好い月、花の月、芽の月、香の月、色の月……」と与謝野晶子の詩を口ずさみたくなる五月。素敵な五月を楽しみたい。

(藪ノ内君代、「船団の会」会務委員)


2016年5月8日

睡蓮(すいれん)

 睡蓮が好きだ。あの、パックマンのような切り込みのある葉も、和菓子の練りきりのような花も。(あっ、和菓子が花のようだ、だ。)それから、睡 蓮という表記も、未草という異名も。
 作家長野まゆみは、『夜啼く鳥は夢を見た』で、

  「何か聞こえたかい?」
  「うん。ルリルリルリって。」
  水の溜まりで、半ば沈むようにして咲く睡蓮の白い花と、重たげな頭を揺する蓮の大輪とが、どちらも睡そうに咲いていた。
  「それはね。睡蓮の果(み)が水の中で溜め息をつくからさ。」
  「どうして。」
  「水の底にいることを誰かに気付いてもらって、其処から連れ出してほしいんだ。」

 私の睡蓮好きはここから始まったのかもしれない。うちの睡蓮は、まだ甕のなかで眠っている。花ことばは「純潔」。

(朝倉晴美、「船団の会」会務委員)


2016年5月1日

双葉葵(ふたばあおい)

 子どもの名前を「ふたば」としたのは自分の「葵」という名前と“つい”にしたかったからだった。子どもの親権が元夫に渡ることになって、彼女の周りはいろんな言葉で彼女のことを元気付けようとしたが、それでも誰の言葉も彼女の気持ちを和らげてはくれなかった。葵が一番悔やんだのは「わざわざ名前を“つい”にしたがために我が子と引き裂かれる羽目になってしまったのではないか」ということだった。
 京都・出町柳から南に、鴨川沿いを歩きながら僕は彼女の話に耳を傾けた。柔らかい日差しは川底に落ちたままそこに溜まり続け、川沿いの道は草の萌えた匂いが立ち込めていた。もう少し歩こう。彼女がそう言ったとき三条駅が見えて来た。

(山本皓平、「船団の会」会務委員)


2016年4月24日

山笑う(やまわらう)

 東海道新幹線の車窓から見る山が笑っている。
 東京ではお祭り騒ぎのように人々があらゆるものを楽しんでいた。静岡、愛知の地方の生活を知っているのだろうか。名古屋ではビジネスマンがちょっとしたジョークを言いながら乗り込んで来た。「あっ、やられちゃいましたね。」
 京都に近づいたころのA席の車窓からは、心がほんわか。なだらかな優しい顔をした山が見えて来る。

(藤井なお子、「船団の会」会務委員)


2016年4月17日

タケノコ(たけのこ)

 連れ合いの実家が広島の山村だったので、この時期になると毎年タケノコを送ってもらっていた。根っこに湿った土のついたタケノコを米ぬかと赤トウガラシで下茹でをして、木の芽和えや若竹煮、たけのこごはんにお吸い物とフルコースでタケノコ料理が続く。春の野菜はあくが強い、でも慣れてくるとそのあくが春の生気そのもののような気がしてきて懐かしくなる。最近は山から下りてきた猪が収穫前のタケノコを掘り起こして食べてしまうらしい。土の上に芽を出すかどうかというタケノコは柔らかくほんのり甘い。竹林を管理する側は大変だろうけど、太い鼻づらで掘り起こして食べるタケノコはさぞおいしいだろうと猪が恨めしくもうらやましい。

(三宅やよい、「船団の会」副代表)

2016年4月10日

桜蕊ふる(さくらしべふる)

 「薬飲んだか」「飲んだ。ありがとう」「それより青汁飲まなあかんよ、私が入れな飲まへんねんから」「わかった、昼にでも飲むわ」「そうそう、Tさん今年の夏ハワイやて」「ふうん、リッチやな」「私らもどっか行きたいね」「上野の国立西洋美術館にカラヴァッジョが来てるらしいで」「10年以上前に岡崎の美術館に観に行って以来やね」「めったに観られへんし、上野の『桜蕊ふる』もええかも知れへんな」「そうやねえ、いつまでやってるか調べといて」「よっしゃ、調べとくわ」。還暦を過ぎたある夫婦の朝である。

(長谷川博、「船団の会」会務委員)


2016年4月3日

いぬふぐり

 合宿に付き添い奥琵琶湖の湖畔にいて、朝の散歩をする。いつの間にか朝は生徒より僕の方が早起き。湖の見える道よりも、一筋離れた人の匂いのする民家の路地を選び、草花をつついて歩く。いぬふぐりもその一つ。気の毒な名前を背負っているのに同情した植物学者が「ホシノヒトミ」と改名を試みたようだが、そんなことは知ったことない顔で4つ5つ、側溝のコンクリートの裂け目に寄り添って小さな花をつけている。すごいところに咲くものだが、植物の幸せは、水と栄養と適度な通風と陽光。都会の隙間はライバルとの競争もなく彼らにとって楽園である、とは植物学者の塚谷裕一氏の「スキマの植物図鑑」(中公新書)の言。
 〈われは草なり/伸びんとす/伸びられるとき/伸びんとす/伸びられぬ日は/伸びぬなり/伸びられる日は/伸びるなり〉
 高見順の詩を口ずさみつつ、自分のスキマを探しながら歩くと、ちょっとイヌフグリの幸せが羨ましくなる。

(塩見恵介、「船団の会」副代表)


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