2016年9月25日

生姜(しょうが)

 ジンジャーエールは外国のお洒落な飲み物だと思っていたのに、ジンジャーとは生姜のことだとわかり、とてもがっかりした覚えがある。生姜は日本が原産地だと勝手に思い込んでいたので外国人があの苦辛い味を好むのは意外だった。
 子どもの頃は生姜が苦手だったが、大人になってからはその苦辛さが好きになった。でも娘は私と違って紅茶に冷奴、そうめん、ざるうどん、揚げ浸しと生姜を入れて美味しそうに食べる。豚肉生姜焼きも大好きだ。子どものクセに生姜のクセがわかるとはなかなか頼もしく、羨ましい。
 極め付けはニューヨークのホテルで食べたジンジャーヨーグルト。みじん切りの生姜がカップの底にたっぷり入っていた。あのヨーグルトの日本上陸を母娘で願っている。
 
(尾上有紀子、「船団の会」会務委員)


2016年9月18日

村芝居(むらしばい)

 青森県はむつに住んでいた。木造校舎の小さな学校は、全校生徒300人足らず。不思議なことに、兄弟姉妹が必ずいた。「おめ、◯◯さの弟け?」下の子はいつもこんな聞かれ方をした。村の田んぼを埋めて建てた待望の学校だった。それでも、遠いものは毎朝40分以上歩いて通った。
 生来、目立ちたがりで、笑いを取るのが好きだった私は、学芸会でいつも主役だった。今年は猿が二匹、夢が叶う装置を手に入れて、色んなものを出すという劇だった。勿論、私は一方の猿。「君は何が欲しいの?」猿の私は得意になって「おにぎりの缶詰!」
 すると、後ろからストンと缶詰が飛んで来る。
 みんな笑った。上級生も下級生も。先生も用務員のおじさんも。おじぃもおばぁも、おどもおかも。村中みんなが来ていた。突然、弟が叫んだ。「あれっ!ぶーちゃんだ!」ぶーちゃんとは当時の私のあだ名。また、みんながどっと笑った。
(おおさわほてる、「船団の会」会務委員)


2016年9月11日

秋の声(あきのこえ)

 秋は「もの悲しい季節」だ。それは、眩しくにぎやかだった夏のざわめきが過ぎ去った季節だからかもしれない。ボードレールの「秋の歌」(『悪の華』)にも、「やがて冷たく暗い季節がやってくる/さらば、短かった夏の光よ…」とあるくらいだから。
 さて「秋の声」とは、「虫の声」ではなく、「秋の気配」の感じだと歳時記にはある。秋の気配は、やはり過ぎ行く夏との別れが前提なのだろうか。秋は自分という存在を今さら考えてしまう季節だ。私は「秋の声」に他者性(自己でないものの存在性)を意識する。しかし、よく考えてみると、自己と他者に境界を引くことは存外難しいものである(具体例は長くなるのでやめておく)。
(秋山 泰、「船団の会」会務委員)


2016年9月4日

秋(あき)

 同居している86歳、認知症の母。主人と二人でその母を時々スーパーに連れてゆく。母にやさしくしているのではない。少しの時間でも93歳の父を休ませるためである。母は父に一日中くっついて、文句を言ったり笑ったりするから。スーパーへの往復の車の中で母の好きそうな音楽を流す。母のお気に入り第3位は「月の法善寺横丁」、第2位は「りんごの歌」、そして第1位は「上を向いて歩こう」。この歌の歌詞の1番は「春の日」、2番は「夏の日」、3番は「秋の日」。冬の日はない。秋の日の「一人ぽっちの夜」で終わる。母は家族がいても一人ぽっちなのかもしれない。
(小西雅子、「船団の会」会務委員)


2016年8月28日

二学期(にがっき)

 今も街には映画館がない。映画が好きな人たちがこの街で映画を上映したいと思った。由布岳の裾野、美しい自然と温泉、美味しいお酒ととり天、たご汁のある湯布院で。
 今年で四十一回を迎える湯布院映画祭。夏の終わりの五日間だけ、街の公民館やホール で選ばれた映画が上映され、上映後に作った人も観た人も懇親会や質疑応答で語り合う。 「良い物語があって、語り合う人がいるだけで、人生は捨てたもんじゃない」映画祭中、街 は、「海の上のピアニスト」の名台詞さながら、映画愛に溢れる。去年参加した私は、映画 祭を支える街の人の優しさ、常連客の博学さ、業界人の夢に魅せられた。映画祭が終る と、街は秋の色に染まる。二学期が始まる。
(衛藤夏子、「船団の会」会務委員)


2016年8月21日

ツクツクボウシ(つくつくぼうし)

 母の実家は山の向こうにあった。子供の頃、母と妹と年に数回、行った。お盆には毎年 のように同じ場所でツクツクボウシの鳴き声を聞いた。祖父母の待つ家はバスを降りてか らが子供心には遠かったが、途中に一軒ある小さな何でも屋さんみたいな店に寄るのが うれしかった。妹とアイスキャンディーに駆け寄った。店を過ぎるとまた山と川と田畑の道 をてくてく歩いた。いつもの岩清水の水飲み場では手に水を掬ったりして少し休憩。やが て祖父母の家までもう少しという曲がり角まで来ると、決まってツクツクボウシが鳴いてい た。林の中で小鳥のように鳴いた。昭和40年前後のこと。ツクツクボウシの声を聞くと 遠いあの頃の情景が胸に広がる。
(藪ノ内君代、「船団の会」会務委員)


2016年8月14日

初盆(はつぼん)

 「ごめん、その日はおっしょさん(和尚様)来る日やわ」 「あっ、初盆やったね!」 「そや、親父のな」 「おじちゃん、春やったね」。
 7月の幼なじみとの会話。地元にいるその彼とは、帰省の度に美味しい魚で乾杯するから。
 「さびしくなったね」 「うん、さびしくなったけど、なんとかやってるよ!」
 いつの間にかに、友のご母堂ご尊父が鬼籍に、という年齢に。さびしいけど、みんなさびしいけど、40代はみんながんばってる!
 今夏、私は母の七回忌を迎える。
(朝倉晴美、「船団の会」会務委員)


2016年8月7日

夜濯ぎ(よすすぎ)

 茨木市のある高校のOB句会に、毎月富山から90歳の牧羊さんが出席される。終戦時19歳の海軍特別幹部候補生でいらしたのを知ってから、いろいろ質問をしている。暗号を解読したり作ったりしていたという。
 今日の句会終了後に聞いてみたことは、「軍服の洗濯は何日置き程度していましたか?」戦争の記録フィルムを見ていつも気になっていたことだ。画面では白黒に映っているけどきっとカーキ色の軍服。「何日置きか?覚えてないな〜。」記憶を手繰るようにひと呼吸置いてから、思い出したように「でも、自分で洗っていたことは覚えていますよ。」牧羊さんの目は、句会の時より輝いた。
(藤井なお子、「船団の会」会務委員)


2016年7月31日

蟻(あり)

 おそろしく暇だった夏休みの午後、裏庭にしゃがんでせかせか歩く黒蟻を見つけては潰したり、巣穴に水を流し込んだりした。トカゲやカエルは怖くて触れなかった代わりに蟻を虐めていたわけで、地面にしゃがんだ私の周りをうろついていた蟻はいい迷惑だったろう。調べてみると蟻は長寿の昆虫で働き蟻は一年から二年、メス蟻は十年近く生きるという。今は炎天下を歩く蟻の列を、踏みつぶすようなことはしないけど、畳の部屋に現れる小さな赤蟻を見つけては指で捻り潰している。家族の中で私だけ赤蟻に刺されるのは、子供の頃の悪行も含め蟻の報復を受けているのだろう。反省するどころかせっせと今日もアリコロリを仕掛ける私は一生蟻に恨まれる。
(三宅やよい、「船団の会」副代表)


2016年7月24日

素足(すあし)

 16年前、クラスに休学生を預かった。向こうからの指名である。ブラバンでベーシストだった彼は明るい男で中学から女好き、だから男にももてる。学校には来ない。毎週、配布物を届けるのは僕の仕事で、母親だけがいる彼の家に行く。彼は骨髄の白血病で入院、余命半年の宣告を受けていた。それでも母は笑顔で「この年にブラバンの先輩の先生が担任で息子は幸せです」と言った。病室で彼に会うのはつらいが、本人には病名は話せない。進路、成績、級友、クラブ、本来青春の悩みの種であるその類の話は、この状況ではとても当たり障りのないものだった。1学期が終わって夏休み、ようやくゆっくり見舞いができると思ったその日に彼は亡くなった。一報をうけ、家に行くと、母親は「よくがんばりました。褒めてやって下さい」と彼の顔を見せた。20代の僕はただただ何も言えず、彼の頬を、おでこを撫でた。胸の携帯電話が鳴った。学校からの電話で、外へ出て状況の連絡を取る。長い連絡を終えて二人の部屋に戻った時、彼の冷たくなった大きな素足を無心に撫でている母親を見た。戻ってきた僕に気づかず、「カズクン、イタカッタネー。コンナカラダニウンデゴメンナサイ」と、震える背中でつぶやいていた。
 冷たく穏やかだった彼の素足は、僕の教師業の原点である。
(塩見恵介、「船団の会」副代表)


2016年7月17日

日焼け(ひやけ)

 “小麦色の肌”が美の象徴だったころ、白い水着を着た前田美波里のポスターが盗まれ、夏休みが終わるころには各地で日焼けを競うコンクールが開かれた。日焼けが健康の象徴だったのだ。
 十軒ばかりの外国人住宅の近くに住み始めたら、そこの子どもたちが昼間の外遊びをしないで、きまって夕方の薄暗がりの中で集まり遊ぶことを不思議に思った。そのころから少しずつ紫外線の害について噂されるようになり、今ではすっかり大人も子供も日焼け防止に励み、“小麦色の肌”は見かけなくなった。時代とともに考え方が180度変わってしまったのだ。
(陽山道子、「船団の会」会務委員)


2016年7月10日

泳ぎ(およぎ)

 二十五メートルプールを、もう何度折り返したことだろう。一人黙々とたくましく滑らかな腕(かいな)で抜き手を切って、彼はゆっくり泳いでいた。
 雨が降り出して、水面に雨の打撃がつくる小さな波紋が幾重にも重なった。それでも彼はなおも泳ぎ続けていた。泳ぐ人は、どんな情熱で、どんな意志の力で泳ぎ続けるのだろう。しかもこんな雨の中を。僕はぼんやりそれを見続けていて、ふと気づいたのだった。泳ぐ人が雨に濡れるというのは、とても滑稽なことなのではないかと。泳ぐ人の孤独には気が付かないで。
(木村和也、「船団の会」会務委員)


2016年7月3日

冷蔵庫(れいぞうこ)

 ちょっといい話。先日、静岡へ行った時のこと。道を尋ねたご婦人が、改めて200メートルくらい、わざわざ追ってきて教えて下さったこと。間違えて教えたかも、ということだった。見ず知らずの方だったのに。こんな風にして下さる方が、まだおられたのだ。静岡県民。これはもう、私の中で瞬間冷凍もの。冷凍と言えば。1950年代後半「三種の神器」の一つであった冷蔵庫。かつては、夜中に目覚めるとブーンと響くような呻くような声を発していた。もたれると、思いのほか熱かった。今は、結婚後四代目の日立ノンフロン冷凍冷蔵庫。キッチンの定位置に、気配を感じないほど静かに収まっている。もたれても熱くない。が、既に10年ほどの付き合いだ。夏を、なんとか故障なく乗り切ってほしい。
(村上栄子、「船団の会」会務委員)


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