2016年12月25日

セーター

 セーターが好き。セーターという言葉が好き。かつては、また、セーターを編むことも好きだった。編み進めるうちに少しずつ姿を現してくるセーターに充足感を覚えながら、ただただ、無心に編んでゆく時間が好きだった。
 いつの頃からか、無心になる時間が極端に減ってきた。いつも脳内に言葉を満たしている感じ。本を読んだり、考え事をしたり。そして、無心になると、次の瞬間には眠りに落ちている。これは自分自身が無心になることに耐えられなくなっているのか、あるいは無心になるための時間を持てないほど余裕がなくなっているのか、どちらなのかしら。
 久しぶりに毛糸を買ってきて編み物をしたい気分だけれど、セーターなんて編み始めたら、きっと数年はかかることだろう。
 
(工藤 惠、「船団の会」会務委員)


2016年12月18日

師走(しわす)

 若者やら外国人やらが闊歩する喧噪の街から少し離れて、そして猥雑な家からは遠く離れて、一人、無神論者のように、海鼠でもかじりながら、どこかの止まり木(なんと昭和的な響き)で、酒でも飲んでいたい。もちろん熱燗で。猪口はちょっと大きめの素焼きで。師走の男たちはいつもそんな気分だ。
 しかしこんな、高柳重信のようなのがそこら中にいたら、それはそれでちょっと興ざめだろう。
 
(木村和也、「船団の会」会務委員)


2016年12月11日

牡蠣(かき)

 私は忠臣蔵で有名な播州赤穂で討ち入りの日に生まれました、と言ってもピンと来ない人が増えてきた。それより近頃は、出身は牡蠣の美味しい赤穂市坂越(さこし)です、と言ったほうが話が弾むようになってきた。坂越の牡蠣は加熱しても身が縮まないとのことで、和洋問わず市場では引っ張りだこらしい。お品書きにわざわざ坂越産牡蠣と書かれていると、自分が褒められているようで嬉しい。地元では海の駅と称して剥きたての牡蠣を直売したり食せたりするので、休日は他府県ナンバーの車で静かな過疎の漁村が賑わう。今年は例年になく大粒で美味しいと前評判が高い。吐く息が白くなるほど寒くなったら、本当に美味しくなる。好物の牡蠣フライを食べる日が待ち遠しい。
 
(尾上有紀子、「船団の会」会務委員)


2016年12月4日

炬燵(こたつ)

 炬燵の恋しい季節となった。炬燵に入ると、ついついうたた寝をしてしまう。これがまた気持ちいい。
 小学生の時の話。姉より先に学校から帰宅した私は、帰って来る姉を驚かそうと炬燵に潜り隠れた。田舎の炬燵は堀炬燵。ゆっくりと足を下ろす場所があり、真ん中に練炭を入れていた。姉が帰宅し、炬燵に足を入れて「キャ〜!」。炬燵に潜っていた私に驚いたのでない。炬燵から這い出た私に驚いたのだ。炬燵に隠れていた私は、いつの間にか眠っていたらしい。姉が威勢よく炬燵に足を入れて私を蹴った拍子に、私は目覚め炬燵から這い出た。私の意識は朦朧としており、顔面は蒼白だった。一酸化炭素中毒にかかっていたのだ。姉とは時々喧嘩もしていたが、あの蹴りは私を救ってくれた。今思うと、ぞっとする。
 
(岡 清秀、「船団の会」会務委員)


2016年11月27日

顔見世(かおみせ)

 会社でせっかく取れていた顔見世の切符が余ったので、誰か行かないか?ということだった。若夫婦には決して安くない金額ではあったが、かねてから憧れていた世界。思い切って行くことにした。京都四条の南座はちょうど改修したばかり。席は午後の部で一等席。花道のすぐ脇だ。普段は絶対に買わない二段弁当とお酒。否が応でも期待は高まる。
 演目も最高だった。幸四郎の弁慶に孝夫の富樫の勧進帳。そして圧巻は義経千本桜。源九郎狐が満開の桜の中を消えて行く。まさに目もくらむような豪華絢爛な世界。しばし酔いしれて外に出た。あっと声をあげた。入場した時とはうって変って、一面の銀世界。まさに狐に化かされていたような。
 あれから20年以上の月日が経った。毎年、まねきを見るたびに心躍る。が、今は行くまい。またそんな余裕もない。いつか出かける気になるのだろうか。精一杯生きてきた自分にご褒美をあげる気に。
 
(おおさわほてる、「船団の会」会務委員)


2016年11月20日

紅葉賀(もみじのが)

 源氏物語の姫君の中で、第七帖の紅葉賀に出てくる源典侍は異色だ。六十近い歳でありながら、十八、九歳の光源氏とわたりあう。恋人である修理の大夫からは、「数数の恋が典侍を磨くのを見守るのが楽しみ」と愛される。「私は修理の大夫の心境には一生なれないな」と光源氏は帝の五十歳を祝う紅葉を愛でる宴(紅葉賀)の準備をしながら思う。紅葉賀では、光源氏の子を身籠った藤壺と、帝、光源氏の思惑が交錯する。
 京都市内は、今、紅葉の見ごろだ。 人が人の存在を最も意識をするのはどんなときだろうと考えると、恋愛の最中じゃないかな、と思う。そして、その思い方もいろいろだな、と赤く染まった紅葉を見ながら、愛憎に富む紅葉賀を思い出した。
 
(衛藤夏子、「船団の会」会務委員)


2016年11月13日

枯葉(かれは)

 枯葉は、もの悲しくあまり美しいとは言えない。大学1年生のとき流行った、歳が同じ南沙織の『色づく街』(1973年)のなかに「ああ青い枯葉かんでみたの〜」という歌詞があり、とても気になっていた。「青い枯葉」とは、少女が大人になる通過儀礼のメタファーだと当時は考えていた。しかし、のちに「青い枯葉」は実在したと知った。南沙織は、作詞:有馬三恵子/作・編曲:筒美京平コンビで、CBSソニーの酒井氏の「少女から大人へ成長過程を曲ごとに変える」路線の実験アイドルだったから、19歳のあたりで女になることを受け入れることにしたのかもしれない(そのあとの歌詞を聞くと余計そう思う)。
 
(秋山 泰、「船団の会」会務委員)


2016年11月6日

草紅葉(くさもみじ)

 「はるちゃーん!どこまで行くの〜」
 千里の丘は一面の草紅葉。ある年の秋。
 私は転げるように草紅葉の丘を駆けていったそう。
 そう、友人と平日休に、ワイン、ビール、ピザ、焼きうどんを持って秋を楽しんでいた。なんか、アイスも食べたいね、となり、私買ってくるわ、と駆け出したところが、この冒頭のこと。もう15年以上前のことだけど、よく覚えている。楽しかった友との秋の日。爽やかな空気。一面の草紅葉。丘を駆けていったこと。美味しかったビールとアイス。
 もう、今、駆け出したら、本当に転がっちゃうこと必須だけど、駆けたいな。丘を。駆けたいな、草紅葉を。駆けたいな、秋の日を!
 
(朝倉晴美、「船団の会」会務委員)


2016年10月30日

鷹(たか)

 名古屋にて同窓会があり、翌日解散後、私は同級生10人と渥美半島の伊良湖岬迄足を延ばした。恋路ケ浜に着くと巨大な望遠レンズを構えた人達がタカ(サシバ)の渡りを撮る為に待機していた。私達はハマゴウの花を愛でつつ砂浜で砂の感触を楽しんだ。真っ青な空と海、白亜の灯台の彼方には姿良き神島(三島由紀夫の「潮騒」)が見える。散策しながら空を見上げると、来た来た。サシバがどんどん増えている。ここ伊良湖岬は太平洋側の各地に散らばっていたサシバが集結し南下する中継地点の一つらしい。上昇気流を利用し高度を上げて滑空している。これが「鷹柱」かと、偶然の出会いに心がときめく。鷹柱の下をトンビがゆっくりと旋回している。傍らには同級生達の笑顔があるのが嬉しい。
 私は鷹で好きな句「鷹に聞く空のもっとも青い場所」(水上博子句集「ひとつ先まで」)を口ずさんだ。ここには芭蕉の句碑「鷹ひとつ見つけてうれし伊良虞埼」もあった。
 
(鶴濱節子、「船団の会」会務委員)


2016年10月23日

新米(しんまい)

 「姫路までください。」「君、一人?偉いね。」 そう言うと駅員は小人用の切符を手渡してくれた。実家で取れた新米を背負い、姉の嫁ぎ先に向かう山陰線の八鹿駅。ここまで2qの山道を下り、40分間をバスに乗った。バスの車掌も小人用の切符を手渡してくれた。これが中学生の3年間続いた。中学生だった私は、ただただ渡される小人用の切符に従い運賃を払った。
 「姫路までください。」「君は、小学生?中学生?」「僕、高校生です!」 気まずい雰囲気・・・。高校入学時、私は身長141.8cm、体重32.8kgだった。
 
(岡 清秀、「船団の会」会務委員)


2016年10月16日

鱗雲(うろこぐも)

 三連休の最終日、HAT神戸で行われた「インディア・メーラ」というインドのお祭りに行ってきた。インド・アジア好きの日本人は多く、とても賑わった。インド料理の屋台のスパイスの匂い。ステージ上ではボリウッド・ダンス、ベリーダンス、バラタナティヤムという南インド古典舞踊の演技が延々と続く。ふと気づいたのだが、一日のグループだけでも三〇以上あり、二日半演じられる。関西だけでこれだけのいや以上の数の日本人女性が熱心にインド舞踊の練習をしている。日本人って不思議な民族ですね。空に広がる鱗雲が、身をくねらせる女性の真っ白なおなかに見えてきた。
 
(早瀬淳一、「船団の会」会務委員)


2016年10月9日

運動会(うんどうかい)

 私が通っていた小学校の運動会は、毎年9月23日と決まっていた。運動会の練習で特に思い出深いものといえば、六年生の時の組体操と鼓笛隊のマスゲームでひたすら歩いたり走ったり、膝をついていたこと。ところが、肝心の運動会本番の思い出となると、騎馬戦で逃げまくっていたら、後ろから帽子を取られてびっくりしたことや、リレーでこけて、あまりの痛さに涙が流れそうになってひくひくしていたら、当時、一番、仲の悪かった女の子が「大丈夫?」と声をかけてくれたことなど、ささいなことばかりで、ものすごく練習した組体操やマスゲームの記憶は、ほとんど残っていない。
 自分の記憶のいい加減さや不思議を考えていたら、「走馬燈のように」という状況になったとき、私は何を思い出すのだろうと、ふと気になった。
 
(工藤 惠、「船団の会」会務委員)


2016年10月2日

茱萸(ぐみ)

 山羊が鳴く。そろそろお乳が搾れた頃。伯母さんが竹の籠を携えて畑の方へ向かっている。尻尾を振りながら斑の犬が付いていく。籠の中は何でいっぱいになるのだろうか。
 今、私はぐみの木のかたわらで真っ赤になっているよく熟した実を一つもいでは口へ、又一つもいでは口へ。甘酸っぱい味がからだ全体に広がっていく。ここは陽あたりもよく、見晴らしがきく。だから山が近づいてくる。
 子どもの頃は、体が弱くしばらくの間田舎に預けられていた。夜になると、祖父母と川の字になって眠った。自然に抱かれ、ぐみをいっぱいもいで滋養富かな山羊の乳を飲み、ほどなく健康が回復した。
 今となってはぐみの木を見かける機会もまったくなく、その日の伯母の籠の収穫物も、記憶の中からすっかり薄らいでしまった。
 
(田 彰子、「船団の会」会務委員)


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