2017年 3月26日

春風(はるかぜ)

 「辛いときや哀しいとき、私、高いところに登ります。下を見て、人間があまりにも小さいことを知ると、自分の悩みって、なんだか馬鹿馬鹿しくなります」そういって、後輩は、私をあべのハルカスの展望台に誘ってくれた。58階から見下ろす眼下、人間は小さく、意外とみどりが多い。心を傷つけるのも人間なら、心を癒すのも人間だと思った。
 プランターで黄色の花が揺れた。風がでてきた。
 「風、少しあたたかくなったね」
 「もう春ですぞ。春の風は春風ですぞ」
 彼女の茶化した言い方がおかしくて、私もつられて笑った。

(衛藤夏子、「船団の会」会務委員)


2017年 3月19日

彼岸(ひがん)

 「彼岸」は、俳句では春の彼岸を指し、秋の彼岸は、「秋彼岸」と呼ぶ。ただ、「彼岸花」(曼珠沙華)は、秋にしか咲かないから、秋の季語である。やはり「春の彼岸」にプライオリティ(優位性)があるのだろうか? 春分の日を彼岸の中日といい彼岸は3日間とされる。
 なお、3月21日生まれの私は、春分の日に生まれたそうだが、3月21日が春分の日になるとは限らない。また、閏年は20日が春分の日だと思っていたが、そういう法則でもないらしい。21か20が今のところ休みになるので(もうしばらくすると18日頃が彼岸になる場合もあるようだ)、気になるところである。
 ちなみに、近年の春分の日を表にすると、以下のようになる。
 みなさん、この法則ってわかりますか?

   2010年(平成22年) 3月21日
   2011年(平成23年) 3月21日
   2012年(平成24年) 3月20日
   2013年(平成25年) 3月20日
   2014年(平成26年) 3月21日
   2015年(平成27年) 3月21日
   2016年(平成28年) 3月20日
   2017年(平成29年) 3月20日

(秋山 泰、「船団の会」会務委員)


2017年 3月12日

卒業(そつぎょう)

 最近、いや少し?だいぶ?前から、学業に限らず「卒業する」という表現がつかわれている。例えば、レギュラーをもっていたアナウンサーが「番組を卒業する」など。かるーく違和感を感じてしまうのは、私が教職だから?
 言葉は生き物だから、とも思わなくもないけれど、やっぱり、ちょっと好きじゃないかも。なんでもかんでも「卒業する」「卒業させる」ってどうなのかしらん。「卒業」という言葉に頼っていると思うから。良い印象を与えたいという心理を感じるから、かも。
 と、愉快じゃないお話はここまでで、世は卒業シーズンですね。学校や園、地域や時代によって、卒業式もいろいろですが、涙がつきものなのはどこもいっしょ。私の涙は、教え子との別れが寂しいということは全くなく、彼、彼女たちの未来を思うときに泣けてくるのです。どの子たちにも、平等に無限に広がっている未来を思いながら、毎年、卒業式は粛々と進行していくのです。

(朝倉晴美、「船団の会」会務委員)


2017年 3月5日

春の川(はるのかわ)

 生まれ育った家が川の近くだったせいだろうか、川が好きだ。草や木が茂っている川を見るのも橋を渡るのも。時に川面に映る遠くの山など眺めながら歩くのは心地よい。
 いつもの日常を何気なく歩いていると、通りすがりの小さな橋が昭和の初めの竣工だったり、大正の終わり頃だったりする。父母の生まれた年代に近いなと思う。当たり前だが、自分が今いるこの橋をその頃も歩いていた人がいるのだなと思う。
 春三月になった。気ままな春の川の旅にひょいと出掛けたい気分。

(藪ノ内君代、「船団の会」会務委員)


2017年 2月26日

卒業旅行(そつぎょうりょこう)

 トレビの泉。泉に背を向けてコインを1枚投げ入れると再びローマに来られるという。「また、来ようね。」と言いながらコインを投げた。あれから41年。コインのご利益?は、まだない。
 シンシアこと南沙織さんに似ていた。大学時代の無二の親友。その彼女の後押しがあって、卒業時に決行したのが語学研修を兼ねてのヨーロッパツアー。オックスフォードに3週間。その後、ローマ・ジュネーブ・パリと巡る旅。モンマルトルの丘・シャンゼリゼ通り・モンブラン等々。傍には、いつもシンシアこと郁子さん、イッコちゃんがいてくれた。還暦を迎え、これから私たち、楽しもうねって言っていた矢先。先に人生を卒業してしまうなんて。
 写真のトレビの泉のまぶしすぎること。

(村上栄子、「船団の会」会務委員)


2017年 2月19日

光の春(ひかりのはる)

 二週間前に白内障の手術をした。もともと先天的に水晶体に濁りがあったのが加齢とともに症状が進行していた様子で、手術を勧められていた。しかし見えづらくとも日常はこなせるので渋っていたが、いよいよ景色が白っぽくなってきたので手術を決断した。目の眼帯を外したとき、若い看護婦さんの頬のツヤ、待合室の観葉植物の緑、取り出した巾着袋の花模様すら信じられないぐらい色鮮やかだった。眼鏡やコンタクトで矯正してはいたが、どれほどの光と色が失われていたか気づかされた。俳句を始めたころ黒い屋根瓦や石ころに跳ね返る早春の光に新鮮な感動を覚えたものだけど、いまの私は人工の眼内レンズを通して輝く「光の春」を満喫している。

(三宅やよい、「船団の会」副代表)


2017年 2月12日

浅利(あさり)

 潮干狩りで採って来た浅利は、深夜のバケツの中で砂を吐く。その音はキュウと哀しい声に聞こえた。朝までに生息していた場所の砂を一粒残らず捨てなければならない。そんな時は14才で他国へ嫁いだマリー・アントワネットのことが思い出される。国境のライン川の中州の館で行われた「皇女引渡しの儀」。そこでは、オーストリアで所有してきたものをすべて、髪飾りの一粒も置き去っていかなければならない。
 かつて潮干狩りに行った海岸は、現在リゾート施設に開発されてしまった。近所のスーパーで浅利の入ったパックを手に取ると、これがまさか砂の中の生き物だとは思えない風情だ。

(藤井なお子、「船団の会」会務委員)


2017年 2月 5日

梅林(ばいりん)

 いつもの散歩コースをすこし変えてみると、知ってるつもりになっていた近所の意外な風景に出合い驚く。その日の気分で東西南北を適当に歩くのが常だが、先日は北へ向かって歩いた。国道171号を渡り勝尾寺参道を少し行くと小さな橋があり、その傍に梅林見学のビラを見つけた。いつも車で素通りするのだが歩いてならではのこと。
 箕川という小さな川の土手に沿って梅の木が植えてあり、こんな所に梅!と見て歩くと、それぞれの木に梅の種類と寄付した人たちの記念樹になっているのが分かる。梅はチラホラ咲いてただけなので、思わず記念樹の入学祝、結婚記念、米寿祝、引っ越し祝い、健康願いなどのコメントに目が行く。中学校のクラスごとの木もあった。そんな散歩道が二キロほどもあっただろうか。少し寒い日だったが新しいわが町を発見して心がホカホカになった。

(陽山道子、「船団の会」会務委員)


2017年 1月29日

海鼠(なまこ)

 昨年末東京に行った。念願だった根岸子規庵や深川芭蕉稲荷神社、両国吉良邸などを巡った。なかでも深川、小名木川周辺は三度も行った。隅田川、小名木川の堤防はもちろんコンクリートだが、気にならない。目を虚空に向ければ周りは俄かに元禄の江戸になり、芭蕉、其角、嵐雪、杉風が歩いてくる。御徒町のガード下の居酒屋で海鼠酢を食べながら、江戸の人たちもこの感触を味わったのかな、と思った。

(早瀬淳一、「船団の会」会務委員)


2017年 1月22日

スキー

 雪が降ると、スキーの記憶が蘇ってくる。
 野沢温泉スキー場は、お気に入りでよく行ったものだ。宿に着くとお茶と野沢菜漬けが出てくるのが楽しみだった。先日の寒波で山頂エリアの積雪は300p越えとなったそうだ。
 岐阜県の新穂高温泉スキー場も好きだった。山々を眺めながらの露天風呂は最高だった。ある日のこと、リフトで上り今まさに滑ろうとした瞬間に追突された。失神して、顔に降りそそぐ雪で気がついた。どれほどたったのだろうか、救急隊員が「乗ってください」と、背中を差し出した。てっきり橇にと思っていたのでびっくり。背負われて急斜面をストックもなしで、あっという間に病院へ。入り口には車いすが待ち受けていた。そのゲレンデは、平成15年3月30日に廃業した。
 カリフォルニア州とネバダ州にまたがるレイクタホでは、山道を曲がり切れずに谷に落ちた。七転び八起きというが、よく今まで無事にいられたものである。
 スキーは私の人生に似ている。

(田 彰子、「船団の会」会務委員)


2017年 1月15日

魴鮄(ほうぼう)

 今日はいつもの魚屋に魴鮄の大きいのがいたので、刺身に下してもらった。このお刺身が実に美味である。魴鮄は伊勢志摩にて焼き魚は食した事があったが、一昨年迄は調理した事がなかった。
 近所に魚屋が開店して珍しい魚が入った時は、お兄さんが声を掛けてくれる。時には少々高くつくこともあるが、魚介類の好きな我が家は調理方法等も聞けて重宝している。
 魴鮄は個性豊かな魚で、赤いボディにコバルトブルーの大きな鰭、胸鰭が発達し6本の細い足で海底をヨチヨチ歩きし、浮き袋が発達して「ボーボー」と鳴くおめでたい魚らしい。鮮度が良くて、35cm程の大きさだとお刺身に。中くらいだと焼き魚、煮付けに。小さいのは唐揚げに。洋風だとブイヤベース等で食したら美味である。

(鶴濱節子、「船団の会」会務委員)


2017年 1月 8日

障子(しょうじ)

 幼少の頃、正月は父方の郷里の丹波で過ごした。今とは違い、雪深い正月である。とはいえ、三が日をひたすら飲んで過ごす大人たちにつきあっていられない。従兄弟らと、外に出て小さな竹をくりぬき、空気鉄砲(「くす玉鉄砲」と呼んでいた)を造る。竜の玉をつめて打ち合った。それにも飽きると、障子に外から打ちかける。世話好きの伯父を呼び出す合図である。赤ら顔の伯父が出てきて、かまくらを作る。そりをひかせる。雪だるまを作る。正月の真新しい障子は遠慮ない子どもたちでいつも穴があくことになった。婆さんは紙をちぎってひとつひとつ穴をふさぐ。結局つぎはぎだらけの障子で一年を過ごすことになる。正月が明けてから障子を張り替えるべきとも思ったのはずいぶん後だが、婆さんのそれはいつも正月前であった。そしてくす玉鉄砲用の小さな竹がたんと用意されていた。

(塩見恵介、「船団の会」副代表)


2017年 1月 1日

年の初め(としのはじめ)

 「蒲団から首出せば年の明けて居る」。正岡子規の句である。今年は子規生誕150年だ。子規が生まれて、まだ、わずか150年しか経っていない。我が家の93歳の父がまだ普通に生きているので、子規のほうから近寄ってきたという気がする。人生は不思議だ。思い通りにいかない。捕虜となってシベリアに抑留された経験のある父は、90歳を越して認知症の妻を介護するという人生。そうこうしているうちに眠り、朝が来て、蒲団から首を出せば数え年がひとつ増えている。
 みなさま明けましておめでとうございます。
(小西雅子、「船団の会」会務委員)


トップに戻る