2017年12月31日

賀状(がじょう)

  郵便受けにコトンと賀状の落ちる音がして新年がはじまるのはいいものだ。
 でも、そんな幸福な時代はいつまでだったろう。届く賀状が百枚を超えた頃から、元旦の淑気はずいぶん薄らいでしまったようだ。はがき全面に印刷された今年の抱負やら、顔も知らない家族の消息やら、笑顔全開の一族郎党の写真やらは、それをほほえましいと思えるには、すこし年を取り過ぎたのかもしれない。
 それでも、たった数枚の賀状でも、例えば楸邨の俳句のように、北国の雪の匂いを届けてくれるようなのをもらえば、うれしいかもしれない。
(木村和也、「船団の会」会務委員)


2017年12月24日

シュトーレン

  職場で出会った先輩が、定年より1年早く退職して神戸でキブプ(フランス語で「夢は叶う」という意味)という名のパン屋を開業した。素材にこだわり、ジャムやクリームは手作りし、季節の酵母を育てていた。毎月開かれるパン教室に誘われ、パンは食べるのが専門だった私が、娘と一緒に参加するようになり、この5年間ほぼ皆勤だった。12月の教室はいつもドイツのクリスマスのお菓子シュトーレンをアレンジしたパンを焼いた。本場ではシュトレンというらしいが、日本ではシュトーレンで通っている。教室ではパン生地で作るので正式なシュトーレンほど日持ちはしないが、失敗しても素材が良いので美味しく出来上がる。しかし、9月にキブプは突然閉店してしまった。喪失感が大きくて、パンを作る意欲がなくなっていたが、クリスマスが近づき、先輩から教わった焼き立てのシュトーレンが食べたくなってきた。せっかく教わったパン作り、忘れないうちに復習しなくっちゃ!落ち込むのは終わりにして、材料を買いに行こう!
(尾上有紀子、「船団の会」会務委員)


2017年12月17日

饂飩すき(うどんすき)

 もう30年以上前のことであるが、独身時代に神戸に住んでいた私は、出稼ぎで京都に来た父と忘年会をした。京都の南座の近くの店だったと思う。親指のような太い「うどんすき」があるからと連れて行ってくれた。鍋の準備ができると、父は仲居さんに熱燗の酒2合とお猪口3個を頼んだ。運ばれてきた酒を仲居さんにも進め、酒が少なくなると父は仲居さんに、薬を飲むからとグラス3個を頼んだ。仲居さんは怪訝そうな顔をしながらグラスを持ってきた。父は「やっと薬が飲める」と鞄から4合瓶2本を取り出した。「仲居さんも、この百薬の長をどうぞ」と勧め3人で飲んだ。「美味しいお薬ですね」と仲居さん。父は出稼ぎ先の造り酒屋から2種類の新酒を持参していた。仲居さんは、時々席を外したが必ず部屋に戻ってきた。3人はあくまで薬と言い切り飲み干した。
(岡 清秀、「船団の会」会務委員)


2017年12月10日

ポインセチア

 学生時代、グリークラブに所属していた。所謂、男声合唱団である。定期演奏会をいつも大阪フェスティバルホールで行っていた。西日本随一のホールである。民間のホールだから、その費用負担は相当なものである。先輩方が交渉に交渉を重ねて、やっと入れてもらった枠だから、その火を絶やすわけにはいかない。さりとて学生の演奏会のこと、チケット代で賄える訳もない。必然的に団員としてバイトに精を出すことになる。その最大のバイトが、これも随一の名門ホテルのクリスマスディナーショー。名だたる歌手の前座、というよりは、ショーの前の食事タイムにクリスマスソングを歌うのである。当時はホテルなんて、限られた人の行く所。去年出た先輩から、「絨毯がふかふかで、 靴が見えなくなるんやで」などと聞かされる。一番びっくりしたのは静電気。ドアを開けようとすると、バチッ!とショックが来る。誰もが初めての経験。
 さすがに五日目ともなると、みんな緊張と疲れでヘトヘトになる。待機時間、トイレから戻った私は、ぐったりしていた奴に触れた。もちろんわざと。バチッ!「何すんねん!お前!!」普段、温厚なはずなのに、いきなりの怒声。「ご、ごめん」。誰も反応する者はなく、静まり返っている。そのあとの事は、思い出せない。ただ真っ赤なポインセチアだけは。
(おおさわほてる、「船団の会」会務委員)


2017年12月3日

蜜柑(みかん)

 「暮色を帯びた町はずれの踏切と、小鳥のように声を挙げた三人の子供たちと、そうしてその上に乱落する鮮やかな蜜柑の色と・・」芥川龍之介の短編小説「蜜柑」は、高校生の時、初めて読んでから、好きで、幾度となく読み返した。「蜜柑」は、映像的な小説でもあり、主人公が目前で繰り広げられた光景を見て、朗らかな気持ちになり、「退屈な人生をわずかに忘れることができたのである」という言葉で終わる。「蜜柑」を読んだあとに食べる蜜柑は、なぜか一層愛しくて、わたしは小さな幸せを感じてしまう。
(衛藤夏子、「船団の会」会務委員)


2017年11月26日

ボーナス

 ボーナスは賞与の意味で使われるが、俳句では年末賞与(年末手当)ということで、冬の季語である。冬のボーナスは12月第2金曜日あたりに支給されることが多いが、年2回のボーナスは大企業では春闘時にベースアップとともに夏季・冬季の賞与が決まることが多いので(連合方式)、いまはこの言葉にあまり季感がない。昔は、越年資金とかモチ代とかいっていたが、ボーナス=賞与という言葉も、「利益が出たから誉め与えます」の意が強く、賃金の後払いという要素を考えれば「冬季一時金」かもしれない。もっと言えば、(下げることが困難な)賃金を低く抑えて、ボーナスを年10か月基準にするという経営手法もある。これはあまりお勧めではない(決算期前の税金対策のボーナスも)。
(秋山 泰、「船団の会」会務委員)


2017年11月19日

冬の月(ふゆのつき)

 最近の私の日課は、早朝の東の空を見ること。
 まだ、夜が明けていない暗い空に、月が残っています。側には、明星を従えて。
 そして、空が朱色に染まるころ、だんだん、月と明星は薄まっていきます。
 空が明るくなるまでのその時間。私の朝のお約束。月との会話の時間です。
 11月17日は爪の先のような三日月。
 冷たい空気にさらされて、それはまるでダイヤのような輝きでした。
 冷たい冷たい空気にさらされ、私も清められていく時間。
(朝倉晴美、「船団の会」会務委員)


2017年11月12日

十一月(じゅういちがつ)

  時々、道を尋ねられる。近所の横断歩道で信号待ちしている時に学校、商店街を歩いている時には病院だった。どの人も近くまで来ているのに迷っているという感じで、方向音痴な私でもなんとか道順を説明できる範囲内。道ではないが、この間は大阪の駅のホームで「蛍池に行きますか?」と聞かれ「わからないです」と答えるとちょっと怪訝な表情。「京都から来たので」と伝えると、合点!というふうに去って行かれた。でも電車が来て乗ったらその蛍池駅に停車した。ふと、その人のことが思い浮かんだのだった。先日は雲一つない空、近くの桜の落ち葉の道を歩いた。その道で去年の桜満開の頃にドラッグストアを尋ねられたことを思い出した。もしかしたら道を尋ねたり、尋ねられたりするのは好きかも知れない。のほほんとしているうちに早くも十一月半ば。
(藪ノ内君代、「船団の会」会務委員)


2017年11月5日

兎(うさぎ)

 『村上かるた うさぎおいしーフランス人』という本がある。表紙には、白いうさぎがフランスの国旗を持って万歳しているイラスト。村上春樹・安西水丸の名コンビの本。「知的とは言いがたい種類のへんてこな何か」が全開の103編。
 ところで、半世紀以上前の通学していた小学校の校庭の一角にうさぎ小屋があった。5、6羽のうさぎが飼われ、生徒で分担、当番制で世話をしていた。ぱらぱらと小屋のあちこちに散らばる丸いちっちゃな糞の清掃、餌やりなどを生徒どうしで協力してやった。ある日、1羽のうさぎが動かなくなっていた。もふもふと餌を食べ、あちこち動き回っていたうさぎが動かなくなった。死ぬということは、まったく動かなくなる事だと、この時初めて知った。
 厳粛な死と村上かるたの本。その重さに違いはあるのだろうか。
(村上栄子、「船団の会」会務委員)


2017年10月29日

霜降(そうこう)

 二十四節気の「霜降」は「秋の露が霜に変わるころ。北海道では初霜や初氷が観測されます」と日本気象協会の説明にある。東京では10日ほど前から冷たい雨が続き体調を崩している人がやけに多い。季節はずれの台風が過ぎ、北海道では雪が降っていると聞く。このまま深まってゆく秋の紅葉を楽しむ間もなく真冬になりそうでコワイ。寒すぎる戸外と暑すぎる電車。足元の寒い職場。寄る年波に体温調節が出来なくなり持ち歩くもの、脱ぎ着するものがどんどん増えてゆく。ショールにひざ掛け、首周りにスカーフ、寒くなった用心にもう一枚カーディガン。ええい、めんどくさい!いっそ炬燵にもぐりこんで冬眠したい季節の訪れである。
(三宅やよい、「船団の会」副代表)


2017年10月22日

刈田(かりた)

 新米が店頭に並び始めた今日この頃。今年は親の介護の為に何度も新大阪―豊橋間を行き来したが、その都度車窓から、げんげ田、植田、青田…と季節ごとに変る田園風景を眺めてきた。そんな景色が広がった安城市あたりも、今は一部の稲田を残して、ほぼ全面刈田となっている。「かつて安城は日本のデンマークと呼ばれていた」という、地理の時間に習った言葉を思い出した。明治用水により、先進的開墾が行われた土地らしい。
 それから百年後の現在、この地はトヨタ自動車のお膝元となっている。刈田の地平線は、開拓地の象徴のように見える。
(藤井なお子、「船団の会」会務委員)


2017年10月15日

南天の実(なんてんのみ)

 1.3mほどに育った南天が、たわわに青い実をつけている。小鳥の糞に混じっていたらしく勝手にあちこち生えていたものを一本だけ残したもの。姉が小学6年生の時、「大きくして床 柱にする」といって南天を植えた。小学生の女の子が床柱の木を植えるという発想も変だが、どうも金閣寺の茶室「夕佳亭」の床柱をヒントにしたらしい。それから60年あまり高さは3 mほどに育ったが幹の周りは8pほど。「なかなか床柱には使えないなあ」と諦めてしまい実家の庭に植わったままだ。南天がおいそれと育つものではないことを知らなかったようだ。 因みに南天の葉は防腐剤になり、近所へのお裾分け、たとえば赤飯などの上にあしらった。お裾分けもしなくなった今の暮らしだが、せめて冬を彩る赤い実を楽しむことにしよう。
(陽山道子、「船団の会」会務委員)


2017年10月8日

月(つき)

 新聞に『徒然草』の広告が出ていた。そのなかに次のような一説の紹介があった。「悪口を言われたからと気にする必要はありません。なぜなら、悪口を言った人も言われた人(あなた)もすぐに死んでしまうのだから。」なかなかのインパクトを受けた。そうか、おれももうすぐ死んでしまうんだ。今のうちに行きたいところに行き、会いたい人に会い、飲みたいものを飲んでおこう、といったことしか浮かばないのが凡人の凡人たるところ。てなことを、趣味(?)の洗濯の中の一作業・「取り込み」をしながら、やや太りかけの半月を見て、考えておりました。
(早瀬淳一、「船団の会」会務委員)


2017年10月1日

吾亦紅(われもこう)

 バラ科の野草である。暗紅紫色の小花が細い茎の先に密生しているのが特徴。花は葉が変化した萼(がく)とよばれる部分である。山野に生えている姿は、野趣に富んでいる。源氏物語にも登場する。また芭蕉門の俳人路通(ろつう)の句では、
 しゃんとして千草の中や吾亦紅
がある。漂泊の生活をしていた路通の眼に吾亦紅がどのようにうつったのであろうか。いろいろな草にまじってしゃんとした立ち姿の吾亦紅になぐさめられ、また元気づけられたのではないか。
(田 彰子、「船団の会」会務委員)


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