2018年12月30日

年の瀬(としのせ)

 旧東海道沿いに住んでいた。名鉄の駅までは商店街となっていて三十年前はそれなりに賑わっていたが、現在は病院と薬局ばかりが目立つ。それぞれ代替わりして、それぞれ一回り大きな建物に拡張している。一方で八百屋さんを始めシャッターになっている店もぽつぽつあり、現代の典型的な地方の風景といったところだ。
 そんな商店街で生き残っている衣料品店へ久しぶりに買い物に行った。足を踏み入れるのは約四十年振りであろうか。あのころ流行っていたケミカルウォッシュのジーンズはいくらなんでも無いのは当然としても、明らかにお年寄り向きの品揃えにシフトしていた。お陰で目的の母へのちゃんちゃんこを手に入れることが出来た。年の瀬の通りを見ながら、店主と昭和のころの話を少ししてみた。
(藤井なお子、「船団の会」会務委員)


2018年12月23日

かぶす

 「かぶす」を辞書でひけば「橙(だいだい)」「回青橙(かいせいとう)」とあり「かぶす」は橙の異名とある。その木には頑丈な棘がありとても酸っぱい。だから木には近寄らず、風邪ひきのときのかぶす湯、ちり鍋のぽん酢としてのみ食した。だが子どもの口にはかなり甘くしても酸っぱくて好きではなかった。また、「かぶす」を収穫しないまま夏になると、再び緑色になるので「回青橙」と呼ばれていて縁起がよく、正月には山で採ってきた裏白とこの黄色い「かぶす」で正月のしめ飾りとして飾られていた。
 今年もあと半月で正月。いつもスーパーのしめ飾りを買って済ますのだが、ふと見かけなくなってしまった「かぶす」を思ったとき、父の作っていたしめ飾りを思い出した。
(陽山道子、「船団の会」会務委員)


2018年12月16日

焼芋(やきいも)

 蒸気の笛を鳴らしながら、おじさんがやって来る。屋台を停めて店に入ると、別々の二品を「ラーメンライス」と一息に言うのがおじさん流。ほくほくの焼芋を売るその人は秋田の人で、うちの店のラーメンを美味しそうに食べる。父や母の作ったラーメンが誰かを温めている、そのことが嬉しく誇らしく、私は店の奥で息をひそめながら、おじさんがスープを飲み干すまで見届けていた。
 農閑期の季節労働を指していた「出かせぎ」は、今では季節や国境を越えて存在するようになった。コンビニの店員の名札に異国の名を見つけると応援したくなるのは、きっと、あの時の焼芋が恋しいせいだ。
(高田留美、「船団の会」会務委員)


2018年12月9日

狼(おおかみ)

 このところ狼に縁がある。
 その一。柿衞文庫で開催中の「どうぶつ俳句の森」展で見た三橋敏雄の色紙、〈草荒す真神の祭絶えてなし〉。真神はむろん狼で、ニホンオオカミは1905年に絶滅したが、日本では古くから信仰の対象だった。
 その二。「日曜美術館」で見た、ムンクが1903年、39歳で描いた「地獄の自画像」の狼。バックに濃いグレーで描かれていて、解説がなければ見過ごすこと必至。西洋では狼は地獄の使者ということになっているらしい。
 来年は亥年。狼は猪の天敵だとか。さて、どうなる?
(中原幸子、「船団の会」会務補助)


2018年12月2日

時雨(しぐれ)

 時空を超えるのは難しい。フィクションのむこうのありそうな世界に導くのもまた難しい。ハリーポッターなら「9と4分の3番線」、『1Q84』なら青豆の下りた高速道路の非常階段、どちらもいわば入り口。「時雨」には異世界をそのまま包み込んで移動する気配がある。たとえば、能の『定家』。冬枯れの景色をながめる旅の僧は、急な時雨で軒端に身を移す。ふと現れた里女に連れられていくと、そこは式子内親王の墓所と絡まりつく定家葛。女が語る定家と式子内親王の悲恋。
 「玉の緒よ 絶えねばたえね ながらへば しのぶることの よはりもぞする」、式子内親王の和歌を唱えつつ、時雨の降る間は、二人の悲恋の物語に浸ってみたくなる。

 降る度に月を研ぎ出すしぐれかな 来山

(鈴木ひさし、「船団の会」会務委員)


2018年11月25日

蜜柑(みかん)

 夫はあまり果物を食べない。皮をむいたり、種を出したりする果物は、面倒くさいらしく、特に食べない。
 新婚時代、食後に蜜柑を出した。皮をむくのが面倒くさいから、食べないという夫に、「ほな、皮むいて、口に入れたげるわ。」と、新婚時代の私はやさしかった。赤ちゃんのこぶしほどの小さな蜜柑。皮をむき終え、三等分に割り、テレビに夢中の夫の口に放り込む。
 「(ぐぼっ)なんじゃ、こりゃ!」
 「みかんやん。」
 「そやのうて、なんで、こんな塊を口に入れるねん。蜜柑は一房ずつ食べるもんやろ。」
 「こんな小さい蜜柑、三口で食べられるのに、なんでそんな面倒くさいことするん。全然、わからんわ。」
 「面倒くさい」の相違点。それ以来、夫のために、蜜柑の皮をむいたことはない。
(工藤 惠、「船団の会」会務補助)


2018年11月18日

湯婆(ゆたんぽ)

 子どもの頃、洗面の水道は狭庭にあり冬場は特に辛かった。寒暁、足下に纏わり付いてくる飼い犬を蹴飛ばしながら、歯を磨き冷水で顔を洗う。同級生の一人は湯婆の湯で朝、顔を洗うと言っていて、羨ましかった。湯婆は「佳え衆の坊」の持つものと勝手に決めていた。
 さて、この湯婆だがなぜ、「婆」なのかが気になる。中国の読みの「たんぽ」に字を当てたものだがなぜ「婆」?湯婆も正確に書けば「湯湯婆」。どうせなら朝まで温いので「湯旦保」と改めるといい。それにしても夏の「竹夫人」の艶っぽさと比べてしまうのはセクハラだろうか。江戸時代の人も気になったようで『和漢三才図会』にもこの比較がある。それを滝沢馬琴が『増補俳諧歳時記栞草』に引いている。
(塩見恵介、「船団の会」副代表)


2018年11月11日

小春日(こはるび)

 母は認知症。おそらく重度である。思えば五年ほど前からあれっと思うことがあった。買い物に行くとレジでいつも一万円札を出す。小銭を出さないので財布が膨れ上がっている。病は徐々にそして急に進行した。今、かろうじて私のことは顔と名前がわかる。六十数年一緒に暮らしてきたのだから。私の連れ合いや妹のことは少しあやしくなってきた。あと数年もすると三人ともきっと忘れてしまうだろう。まあそれでもいいか。母は母だ。日の光が差す窓辺にいると母の口癖がでる。「ちょうどころあいやなあ」
(小西雅子、「船団の会」会務委員)


2018年11月4日

冬はじめ(ふゆはじめ)

 始まりというのはどんなものでも、ある種の予感にあふれていていいものだ。季節もそのはじまりには、幸せな予兆と季節のエッセンスが詰まっているように思う。凛として何も纏わずに真っすぐにやってくる冬の潔さも、冬のはじめにこそ感じられるものだ。
 むかし、パンダなんかがまだ日本にいなかった頃、動物園でいちばんの人気ものは象だった。淋しげで小さな眼をもったそんな象が、遠い国から船に積まれてやってきたのは、冬のはじめであったような気がする。
(木村和也、「船団の会」会務委員)


2018年10月28日

行く秋(ゆくあき)

 東山魁夷の絵が好きだ。初めて見たのは、物心ついたころ、祖父の家にあった「道」の複製画だった。日本画の収集が趣味だった祖父は、とりわけ、魁夷、小野竹喬、福田平八郎を愛して複製画や図録を持っており、彼らの絵を自然と私も好んだ。
 先月、京都で開かれた魁夷生誕110年を記念した個展に行った。今回、心動かされたのは、晩年に描かれた「行く秋」だった。“祈り”がテーマのその絵から、「人間が他の動物と違うのは、だれかのために祈ることができることだ」と教えてくれた祖父の言葉を思いだした。今までの“祈り”の思い出が、「行く秋」に描かれた落葉のように積み重なっていくのを感じた。
(衛藤夏子、「船団の会」会務委員)


2018年10月21日

草の花(くさのはな)

 「草の花」という言葉を聴くと、高校1年生の時,担任の国語の先生に勧められて読んだ,福永武彦の小説「草の花」を思い出す。そして、そこに出てくる「結核の青年」「高原のサナトリウム」という設定は,堀辰雄の小説「風立ちぬ」と同じように思えた。以後、わたしは「草の花」という季語を使うとき,小説「草の花」をどうしても意識してしまうのだ。草の花≒⇒風立ちぬ≒⇒ヴァレリー≒⇒海辺の墓地≒⇒地中海≒⇒カミュ≒⇒異邦人≒生の不条理≒⇒死に至る病い≒⇒結核(当時は不治の病い)≒⇒高原のサナトリウム≒⇒草の花、というメビウスのような連想連鎖が浮かんでしまう。連想認知構造が歪んでいるのかもしれないが、こうした連想から取り合わせを考えてみるのも一興かもしれない。
(秋山 泰、「船団の会」会務委員)


2018年10月14日

蓮の実とぶ(はすのみとぶ)

 「138年の歴史に幕」とSO会会報が舞い込んだのは9月吉日のこと。30年余り勤務したS学院の同窓会総会・懇親会のご案内状だった。退職してからのS学院のこの5年間の変貌。懐かしい旧校舎、新校舎、そして自慢の記念館などすべて取り壊された。そして学園でのちょっとしたオアシスになっていたスポット、人面魚と噂された鯉もいた池は埋め立てられた。K先生が毎年胸まで雨靴のような作業着でその池の手入れをされていた様子が、にこやかなお顔ともに思い浮かぶ。あの見事な鯉たちはどこへ行ったのだろう。あの池に息づいていた生きものたちは……。そう、蓮の花も咲いていた。蜂の巣状の種の飛んだ後のその池の蓮の花托が今、家にある。ゆめかうつつか、蓮の実が飛ぶ。そして、音もなく池に沈んでゆく。
 この季語エッセーが掲載される日、私は懇親会会場の神戸Pホテルの29階にいる。
(村上栄子、「船団の会」会務委員)


2018年10月7日

柿の秋(かきのあき)

 今はもうない生家の裏庭には大きな柿の古木があった。ある秋の日、二階から庭を見下ろすと実がたわわになった柿の木の下に見知らぬ人が膝を抱くように座っていた。学生帽をかぶっていたので最初は兄の友達かと思ったけど、どうみても中学生には見えない。洗濯物を取り込みに出た祖母が話しかけていたので下に降りて「あれ誰?」と聞いた。「誰やしらんけどなんか嫌になってあそこにおるんやろ」気にするでもなく祖母は台所へ消えた。しばらくして庭を見ると学生は消えていた。高い塀に囲われている庭への闖入者を放っておくなんて度胸だと思うが、幹にもたれる人を選ばない柿の古木同様、祖母にとっては警戒する相手ではなかったのだろう。
(三宅やよい、「船団の会」副代表)


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