2019年12月29日

去年今年(こぞことし)

 自分の骨折したレントゲン写真を見ると、骨折部にチタンのボルトが三本貫いていた。二つに分かれてしまったものを固定し、仮骨が形成されて元の一本に戻るようのするためのものだ。これは現在の私の歩行にとって、なくてはならない貫く棒である。
 去年今年貫く棒のごときもの    高浜虚子
 こちらの棒はチタンの棒のような細いものではなくて、日にち全体を覆うような太くてぼんやりとした棒のように感じる。
 この句は、当時鎌倉駅の構内にしばらく掲げられていたのを川端康成が見て、随筆に書いたことで有名になったそうだ。「禅の一喝に遭ったようでした」と書かれている。康成はどのような棒を想像したのだろうか。もうすぐ迎える新年を前にこそ、想像してみたい。新年になれば、そんなイメージは消えてなくなってしまうだろうから。
(藤井なお子、「船団の会」会務委員)


2019年12月22日

石蕗の花(つわぶきのはな)

 鄙びた港町の山々をぐるりと見渡せば遠くても蜜柑がなっていると分かる。山は蜜柑で出来ている。そして海岸や道端には石蕗の花が咲き乱れていた。この中で101歳の母の命が静かに枯れようとしていた。看取りの一夜「月光にいのち死にゆくひとと寝る」という橋本多佳子の句を思い出し、夫と母の違いはあるが多佳子もこんなふうだっただろうかと思いを重ねた。そして命の果ということを目に焼き付けた。
 会うときはいつも笑顔で穏やかだった母には、“石蕗の花”が似合うと思い「母が逝くまだまだ石蕗の花盛り」と詠んで母の死を弔った。
(陽山道子、「船団の会」会務委員)


2019年12月15日

片時雨(かたしぐれ)

 片時雨は、ここには居ない他者を思う季語。晴れた空の下にあって冷たい雨に打たれる誰かを思い、雨に濡れながらも光を意識する。
 昨夜は、THE MANZAI のネタに大笑いした。自分でも驚くほどの大声で笑い続けた。中村哲さんが凶弾に倒れたことを知り涙したのが、つい何日か前のことだから、我ながら不謹慎だと思う。それでも無性に笑いたい私がいた。泣きながら笑いたいと思ったり、大笑いしながら心の中で泣いていたり。どうやら人間は単純ではないようで。
 時は師走。原付バイクは今、濡れるか濡れないかギリギリのところを走っている。後方の空は暗いが、目指す方角は明るい。ベランダに干した洗濯物を気にしながら、この数日のことを思いながら、時雨の最前線をひた走る。
(高田留美、「船団の会」会務委員)


2019年12月8日

茶の花(ちゃのはな)

 生家の裏手の山をちょっと登ったところに、ごうしんさんと呼ばれる小さなお宮さんがあった。母は庚申さんと書いていた。近所の人たちは、何か珍しいものが手に入ると、とことこと坂を上って供え、小さなローソクを灯して手を合わせた。ローソクは常備されていた。
 その登り口に、毎年いま頃になると茶の花が咲いた。白いほわんとした五枚の花弁が、黄色い雌蕊をしっかり抱きかかえて、鼻を寄せるといい香りがした。
 私はまだ小学校へ上がる前、祖母と手をつないでよくそこを通った。いまも茶の花を見ると、祖母のがさがさに荒れた大きな掌を思い出す。背中が痒いとき、その掌で撫でてもらうと、とてもいい気持ちだった。
(中原幸子、「船団の会」会務補助、e船団担当)


2019年12月1日

湯豆腐(ゆどうふ)

 湯豆腐と若者はあまり結びつかない。俳句なら、久保田万太郎の「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」、むしろ、老いのイメージだ。  泉鏡花のエッセイ「湯どうふ」には、「この味は中年からでないとわからない。」とある。このエッセイには、鏡花の師事した尾ア紅葉のことが出てくる。紅葉は、若いころ嫌いだった湯豆腐を、からだが弱くなってから「古人は偉い。いいものをこしらえておいてくれたよ」と言ったという。鏡花は、次のように、婦人雑誌の投書欄につっこみを入れる。「豚の肉を細くたたいて、すり鉢であたって、しゃくしでしゃくって、掌へのせて、だんごにまるめて、うどん粉をなすってそれからこねて・・・、もしもし・・その手は洗ってありますか、爪はのびていませんか、爪のあかはありませんか・・・」この時代にしては、かなりの潔癖症だったようだ。

 あつあつの豆腐来にけりしぐれけり  小西来山  (湯豆腐、冬)

(鈴木ひさし、「船団の会」会務委員)


2019年11月24日

小春(こはる)

 11月17日、神戸マラソンに出場した。当選結果がメールで送られてきてから4か月。9月にやっと10キロを走れるようになり、10月に初の20キロ走破。本番2週間前にハーフマラソンに出場し、当日を迎えた。
 スタートの号砲が鳴ってから10分後にスタートラインを通過。トップの選手とは9キロ地点ですれ違う。道中、人の温かさに涙を流しそうになったり、歩いたり、走ったり、立ち止まったり。小春日の中のマラソンは、暑さとの戦いでもあったけれど、無事に5時間34分でゴールした。
 道中があるからこそ、ゴールしたときに喜びや幸せを得られる。「マラソンは人生の縮図とは、なるほどなあ」バリバリの脚を引きずりながら、少しだけ、そんなことを考えた帰り道だった。
(工藤 惠 「船団の会」会務補助、e船団担当)


2019年11月17日

ニベア塗る

 昨年の同志社女子大での講義句会で、「冬の訪れと聞くとアオカンを意識する」と いう学生の発言に冷やっとする。聞けば「青缶」、ハンドクリームのニベアのこと。 ニベアを冬の季語として俳句を作れないかという提案だった。普段は京野菜など伝統 的な季語に関心をもつ学生達も、ニベアはラテン語で「雪のように白い」の意味だか ら、冬の季語になる可能性があるのじゃないかしら、と賛同。「ニベア塗る」を冬の 季語として句会を行う。

  王子様いつでも来なよニベア塗る  華蓮
  がんばれない日々の余白やニベア塗る 恭子
  月面の凹凸部分にニベア塗る 来留美

 などが当日の話題句。幕末まで歳時記のメッカであった京都で、歳時記にない季語 を生み出すのが学生的自由である。夏はハンディファン、オフショル。冬はハンドク リーム、リップクリーム、ミルフィーユ鍋、次々に学生は勝手に季語を作っている。 私もついつい加担する。
(塩見恵介、「船団の会」副代表)


2019年11月10日

夕時雨(ゆうしぐれ)

 私は地味なほう。オシャレは苦手。身につけるものがオシャレな人はすべてがオシャレだ。例えばキッチン。サラダボールからおたままでしっかりコーディネートされている。私はといえば、皿は、銀行でもらった粗品やパン祭りでもらった景品や結婚式の引き出物。バラバラ。料理が美味しかったらいいかと思う。連れ合いはもっと「何でもいい」という人。うまくできている。
 今日の晩ごはんはパスタにしよう。銀行の粗品にしよう。野菜を採りに行こう。畑の野菜は少し濡れていた。モノクロームなモノトーンな十一月。
(小西雅子、「船団の会」会務委員)


2019年11月3日

鵯(ひよ)

 鵯が庭に来ると他の小鳥たちはきまってよそへ行ってしまう。それを憎んで家の者は鵯を嫌悪する。大きな音を立てて窓を開けるくらいでは、鵯はびくともしない。ちらっとこちらをうかがうだけで、いっこうに動じないのだ。業を煮やして庭に飛び出してみても、鵯は彼女の非力を侮って、ちょっと枝を移動するくらいで決して飛び立とうとはしない。
 私は鵯の豪胆をうらやましく思う。また、貌をこちらに向けて小首をかしげたりするのを見ると、ちょっと可愛いとさえ内緒で思ったりする。
(木村和也、「船団の会」会務委員)


2019年10月27日

立冬(りっとう)

 ベネチアを旅した時のこと。サンマルコ広場にある世界最古のカフェで食後の珈琲を飲んでいると、楽団がわたしたち日本人のために曲を奏でてくれた。「上を向いて歩こう」だった。異国の地で日本の曲が聴けるなんて望外の喜びとともに、他の国の客も「上を向いて歩こう」を知っており、口ずさむのに驚いた。
 「上を向いて歩こう」の作詞は永六輔だ。ひとりぼっちの夜に、「春の日」「夏の日」「秋の日」を思いだし、自身を励ます光景を描いた彼の歌詞に「冬の日」はない。冬に良い思い出がないんじゃないかしら。詮索したけれどわからない。あと、十日あまりで立冬。ひとりぼっちの夜に、わたしなら、どんな「冬の日」を思いだすだろうか。
(衛藤夏子、「船団の会」会務委員)


2019年10月20日

石榴(ざくろ)

   露人ワシコフ叫びて石榴打ち落す     西東 三鬼

 ワシコフ氏は私の隣人。氏の庭園は私の家の二階から丸見えである。商売は不明。年齢は五十六・七歳。赤ら顔の肥満した白系露人で、日本人の妻君が肺病で死んでからは独り暮しをしている。(三鬼の自句自解) ワシコフ氏に何があったのか。その理由はわからないけれど、その叫び声と共にくわっと裂けた石榴の透き通る赤い粒々が見えてくる。十七文字の魔術師、三鬼の世界。
 ところで、シェイクスピア・ガーデンと名付けられた庭園近くに石榴の木が一本。その学校で学ぶポニーテールの十四歳。「何か楽しいことはないかな。叫びたい。」と言う。絶叫もよし。いろいろな詩の朗読大会、いいかも。と、考え中。できれば、朗読は石榴の木の傍で。
(村上栄子、「船団の会」会務委員)


2019年10月13日

椎の実(しいのみ)

 「静かな 静かな 里の秋、お背戸に 椎の実の(と間違って覚えていたが、実際は木の実:きーのみ と歌う) 落ちる夜は ああ 母さんと ただ二人、栗の実 煮てます 囲炉裏端」という歌が、ありましたね。この『里の秋』を、小さい頃、母にならって「お〜せど〜に〜」(?)がよくわからないまま歌っていましたが、大きくなって「家の裏の方、裏庭」ということだとわかりました。ずうっと、木の実が、寝ている上から降ってくるという、なんだか「トトロ」的世界観のままだったのですが…。そして、またまた勘違いですが、当時、この歌の2番では亡くなったのかなと思ったお父さんは、3番では(南方戦地からの復員を)待たれているのだった、という意外な展開の歌という理解をしていました。私にとってそんな「里の秋」ですが、秋の夜長には、きっといまの子どもの心にも沁みる歌となるでしょう。
(秋山 泰、「船団の会」会務委員)


2019年10月6日

夜長(よなが)

 秋の夜長は俳句よりも推理小説。学生の頃、実家にはエラリー・クイーンを始めとした推理小説がずらり並べられていたのでかたっぱしから読みふけっていた。だけど、俳句を始めてからは手にすることがなかった。それが図書館でたまたま借りたアガサ・クリスティのミス・マープルの老獪かつ、善良な活躍ぶりが面白くて、棚から一冊ずつ借りて読み始めた。夜長と推理小説。俳句のお題としては付きすぎかもしれないが、読み始めると止まらない。夜中に目が覚めると枕元の灯をつけて続きを読む始末で、これだけの熱心さが俳句にあればどれだけ名句が生まれたことか!昔読んだはずのシリーズの筋も犯人も忘れているので、夜長の楽しみはエンドレスかも。
(三宅やよい、「船団の会」副代表)


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