週刊:新季語拾遺バックナンバー 2001年1〜3月
2001年3月29日

釘煮(くぎに、kugini)

 いよいよ桜の季節だ。桜の開花は毎年の楽しみだが、その桜とともにわが家には、神戸や明石の知人からイカナゴの釘煮(くぎに)が届く。釘煮が届くと、花より団子(だんご)ならぬ<花も団子も>という気分になる。釘煮をおかずに食がすすむのだ。
 イカナゴは瀬戸内海の春告魚。その新子(しんこ、まだ稚魚の3、4センチのイカナゴ)を、醤油(しょうゆ)、砂糖、みりん、土しょうがなどで煮込んだつくだ煮が釘煮。小さな釘が折れ曲がった感じで飴(あめ)色の艶(つや)が美しい。
 釘煮作りは明石近辺の主婦の腕の見せどころ、大量に作り知人、友人に送る人が多い。なかには1年分の小遣いを投入、何十人にもプレゼントして楽しむ人もいる。 瀬戸内海では、餌(えさ)のイカナゴを追ってタイ、サワラなどが浅海にやってくる。イカナゴは海の幸をもたらす春告魚でもある。(坪内稔典)


2001年3月25日

謝恩会(しゃおんかい、shaonkai)

 袴は大学卒業式の、振り袖は謝恩会の装い。この関西の女子卒業生のパターンは、おそらく全国的に同様だろう。
 私が招待される謝恩会では「あふげば尊し」が歌われる。この歌、明治17(1884)年発行の『小学唱歌集』第3編に登場したが、私は近年まで、この歌の「いととし」というところを、いとおしいという意味だと思い込んでいた。正解は「いと疾し」で、非常に早いということ。
 「蛍の光」も小学唱歌。こちらは明治14年発行の初編に出た。「いつしか年もすぎのとを」というあたりがむつかしいが、年が過ぎると杉の戸を掛けた和歌ではなじみの掛詞だ。 今では謝恩会は、卒業式並み、あるいはそれ以上に大事な通過儀礼になっているようだ。儀礼だから派手にも豪華にもなるというのが私の理解。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年3月23日)


2001年3月22日

雲雀(ひばり、hibari)

 ヒバリ。「雲雀の鳴くのは口で鳴くのではない。魂全体が鳴くのだ」とは夏目漱石の『草枕』にある名言。空の1点にとどまってさえずる雲雀は、たしかに魂全体で鳴いているような気がする。「うらうらに照れる春日にひばりあがり心かなしもひとりし思へば」(大伴家持)という『万葉集』の歌も、雲 雀の魂に人の魂が感応しているのだろうか。
空に舞いあがる雲雀を揚雲雀(あげひばり)と言うが、空にあがった雲雀は巣の上空に10分以上もとどまってさえずる。羽根を猛烈に動かしながら鳴いているわけだが、実は小鳥は吸う息と吐く息の両方で声が出せるらしい。だから、飛ぶという激しい運動をしながらでもさえずることが出来るのだ。
 でも、雲雀はやはり魂全体で鳴いていると思いたい。「うつくしや雲雀の鳴きし迹(あと)の空」(小林一茶)。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年3月22日)


2001年3月18日

球春(きゅうしゅん、kyushun)

 我が家の前の道路では、数日前から近所の子供たちがキャッチボールを始めた。「素手でとれ、素手で!」と、大きな子が小さな子に命じている。その声を聞いて「球春だな」と思った。
 キュウシュンという言葉は、手元の辞書にはないが、新聞のスポーツ欄などでときどき目にする。今年も、例えば春の高校バレーがこの20日から、そして選抜高校野球が26日から始まる。プロ野球の開幕も近いし、いよいよボールの春である。
 「野球」という言葉をペンネームに用いた人がいる。正岡子規。学生時代の彼は大の野球好きで、バット1本、ボール1個を自分の命のように考え、捕手として活躍した。ただし、ペンネームの「野球」はヤキュウではなく、ノボールと読む。自分の通称「のぼる」をもじったもの。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年3月16日)


2001年3月15日

朝寝(あさね、asane)

 春の朝寝坊のこと。なんとも快くてなかなか蒲団を抜け出せない。孟浩然(もうこうねん)の「春眠暁を覚えず」という詩句にちなみ、「春眠」とも言うが、春眠は昼間や宵のうたた ねなどもさす。
 朝寝や春眠は近代の季語。『枕草子』は、「春はあけぼの」と春の夜明けを賛美しているし、『おくのほそ道』の旅をした芭蕉は、「あけぼのの空朧々(ろうろう)として」とその旅立ちの様子を書いている。昔の人は早起きで、朝寝も春眠もあまり関係がなかったのではないか。大多数が勤め人になり、人々が時間に追われるようになった近代において、朝寝や春眠のねうちが急に高まったらしい。
 「朝寝して犬に鳴かるる幾たびも」(臼田亜浪)。実はわが家の犬も毎朝決まった時間に鳴いて散歩を要求する。朝寝を許してくれない犬がちょっと憎いこのごろである。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年3月15日)


2001年3月11日

お水取り(おみずとり、omizutori)

 奈良の東大寺二月堂では、3月1日から2週間、国家安泰を祈る修二会(しゅにえ)が行われている。お水取りは12日(正確には13日の午前2時頃)、二月堂の石段下の井戸から仏前に供える水(香水(こうずい))を汲む儀式。
 修二会では、竹の先に杉の葉をたばねた松明(たいまつ)を明かりとする。ことに12日の夜には、お水取りに先立って、籠松明と呼ぶひときわ大きな松明が登場し、火の粉が舞い散る。
 かつて河内とか宇治あたりの農家では、正月が明けた頃に青竹を切り出し、「二月堂行き」と書いて道端に置いたらしい。すると、通りかかった人が二月堂の方へ少し運ぶ。こうして人々がリレーして、松明用の竹が二月堂に到着した。関西ではお水取りがすむと春だと言う。青竹のリレーは春を待つ心のリレーでもあったのだろう。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年3月9日)


2001年3月8日

貝寄風(かいよせ、kaiyose)

 カイヨセ。昔、陰暦2月22日に行われていた大阪四天王寺の聖霊会(しょうりょうえ、現在は5月)では、お供えの造花に貝殻を付けた。その貝殻を住吉の浦に吹き寄せたかぜが貝寄風。幻想的で美しい言葉だ。それだけに、埋め立ててしまって貝の吹き寄せる砂浜がなくなった今日の大阪湾の悲惨さが際立つ。せめてこの貝寄風という言葉だけでも死語にせずに伝え続けたい。「貝寄風の風に色あり光あり」(松本たかし)。
 貝寄風は浄土からの風とか、竜神が聖徳太子に貝殻を捧(ささ)げるために吹く風とかいうが、実際は冬の季節風のなごり。半日か一日で吹きやみ、そのあとは春らしいおだやかな日が来る。彼岸の前後に吹く涅槃西風(ねはんにし)、琵琶湖が荒れる比良八荒(ひらはっこう)も、やはり貝寄風と同様の季節風のなごり。そんな風が吹いて春はいよいよ春らしくなる。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年3月15日)


2001年3月4日

木の根開く(きのねあく、kinoneaku)

 立ち木のまわりの雪がいちはやくとけること。雪国の春を告げる現象である。木のまわりに土がのぞくと春が足早にやって来る。
 この言葉、福島県会津地方のもの。同地に嫁いでいる妹に尋ねると、「おばあちゃんなどは、お彼岸だからもう木の根が開いた、というようにつかっている。木の根がすいたと言う人もいるわ」とのこと。そして、「ベランダから見ると、庭の木の根が今年はもうあいているよ」と付け足した。
 やはり同地の俳人、目黒十一氏は、木が反射した熱のために早くとけるのではないか、と言われる。おそらくそうなのだろうが、この言葉を知ったとき、私は木の体温が雪をとかすのだと考えた。春が近づいて木も熱くなっていると思うと、なんだか自分もまたすこし熱くなる気がする。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年3月2日)


2001年3月1日

三月(さんがつ、sangatsu)

 三月は寒暖の交代期。気候の変化が激しい。しかも学校の卒業期、会社や役所の年度末でもあり、人も社会もまた激しく変化する。希望や喜びや不安が交差して三月はことに複雑な月だ。
 「三月の甘納豆のうふふふふ」。これは私の句。現在のところ、私の代表作のように見られているから、私にとっても三月は印象深い月。知り合いから毎年のように甘納豆のプレゼントが届く月でもある。
 それはそうと、この句を作った当時、娘が小学校ではじめて俳句を習い、教科書の俳句と父親の俳句とのあまりの違いに驚いた。それで授業のあとで、友だちに父親の俳句を紹介した。仲間はどっと笑い、「あんたのお父さん、下手やなあ。私たちが直してあげよう」と衆議一決、「三月のひな人形のうふふふふ」と添削してくれたのだった。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年3月1日)


2001年2月25日

卒業旅行(そつぎょうりょこう、sotsugyoryoko)

 「大試験今終りたる比叡かな」(五十嵐播水)。
 大試験は学年末の試験、あるいは卒業試験のこと。大きな、大事な試験という意味がこめられた言葉だが、今では一般には使われず、俳句の歳時記だけに出ている言葉。いわば俳句の業界用語である。
 播水の句の比叡(ひえい)は京都の比叡山。大試験を終えて比叡山を仰いでいるこの句の学生には、立身出世を理想とした過ぎし時代の雰囲気がある。
 現代の学生の今の時期の関心はもっぱら卒業旅行。たいていの学生が卒業式の前後に出かける。海外へ行く者も多い。卒業旅行をすませたものの、卒業判定で不合格になってしまったという学生も毎年いる。そんな学生には、「来年もまた行けるじゃないか」と言うのが私の決まり文句。いやみな教師だ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年2月24日)


2001年2月22日

きさらぎ(きさらぎ、kisaragi)

 きのうから旧暦の2月になった。旧暦の2月の異称は如月(きさらぎ)。この言葉についてはいろんな語源説があるが、草木が更新する意味の木更月(きさらつき)にもとづくという説がなんとなくよさそう。実際、今時の木々の枝には芽がびっしりとついて更新を待っている。その木々の芽の緊迫感は、この言葉の凛(りん)として明るい響きそのものだ。
 「如月や子が読みゐたる若菜集」(大石悦子)。この俳句の『若菜集』はもちろん島崎藤村の詩集。子供はその詩集を音読している。『若菜集』は音読に合う詩集だし、如月という語感も音読を促す。
 藤村の青春時代(明治時代)には本でも新聞でも音読するのが普通であった。ところが、人々の読む生活は音読から黙読に移行してしまった。せめて如月には音読したいというのが近年の私の気分。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年2月18日)


2001年2月18日

花粉飛ぶ(かふんとぶ、kafuntobu)

 梅だよりやスキー情報に並んで、新聞の片隅に花粉情報が載りはじめた。今年は温暖なために花粉の飛び出しが早い。でも去年より花粉量は少ないらしい。
 花粉症の患者が報告されたのは昭和38(1963)年。もっとも、それ以前にもありながら、誰もが風邪の一種としか思わなかったのだろうという説もある。ともあれ、以来、花粉症は増え続け、今では国民の20〜30%が花粉症抗体の保有者。花粉に反応する抗体が1度できるとなかなか消えないのだ。毎年、抗体保有者のほぼ3分の1が発症するという。
 「杉花粉ぐもりをしたる高見山」(茨木和生)という俳句がある。高見山は奈良県吉野の奥にそびえている山。その山が吉野杉の花粉で曇っているというのだ。昔だと、こんな花粉曇りも単に春霞と見えたのだろうか。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年2月17日)


2001年2月15日

レタス(れたす、lettuce)

 雪の研究家として知られた物理学者、中谷宇吉郎に「サラダの謎」という随筆がある。若い日にロンドンに留学したら下宿のレタスのサラダがとてもうまかった。日本に帰った中谷は、庭でレタスを育て、ロンドンのサラダの再現を試みる。ところがどうもロンドンの味とは違う。そういえば、下宿の主婦は石鹸(せっけん)のかけらのようなものをパン切れにこすりつけて入れていた。あれがうまさの秘訣(ひけつ)らしいが、それが何かわからない。その謎(なぞ)が30年ぶりに解けた。ヨーロッパへ留学していた娘が帰って来て、あれはにんにくをパン切れでおろしていたのだ、と教えてくれたのである。
 レタスは年中出回っているが、冬から春先にかけてが旬。雪を天からの手紙と呼んだ中谷の言い方にならうと、春先の繊細なレタスは大地からのレターという感じである。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年2月11日)


2001年2月11日

チョコレート(ちょこれーと、chocolate)

 いつも利用する駅の売店にチョコレートが山をなしている。2月14日のバレンタインデー用だ。
 バレンタインデーは近年にさかんになったまだ新しい年中行事。昭和37(1962)年に製菓業界が「バレンタイン・ショー」を東京の劇場で行った。だが、人気はもうひとつ。製菓業界でもバレンタインデーの定着をあきらめかけていたところ、昭和50年前後から人気が出たのだという。
 昔の日本には、春先に若い男女が丘や水辺に行き、愛を告げて性の解放にまで至る行事があった。「万葉集」の歌垣(うたがき)などがそれ。そんな伝統がバレンタインデーというかたちで復活したのだろうか。
 ちなみにチョコレートは気温が18度から25度くらいの時、つまり春が食べ頃。口中で自然にまろやかにとける。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年2月8日)


2001年2月8日

春一番(はるいちばん、haruichiban)

 広告などに春一番という文字が急に増えてきた。春一番セールとか、春一番グルメの旅とか。春一番墓地分譲などというのもある。
 春一番は立春後にはじめて吹く強い南風。福岡は2月23日、大阪は2月26日、東京は2月25日が春一番の吹く平均日。私の住む大阪の気象台は、今年の春一番は平年より早いと予報を出した。
 春一番は今ではもっとも人気の高い季語だが、この言葉が歳時記に登場したのは昭和34(1959)年刊の平凡社版『俳句歳時記』。壱岐の漁師言葉を民俗学者の宮本常一が採用した。以来、語感のよさもあってたちまちに広がり、気象用語にもなっている。
 壱岐の郷ノ浦町には「春一番の碑」がある。安政6(1859)年2月13日の春一番で遭難した53名の漁師たちの供養塔。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年2月10日)


2001年2月4日

厄落とし(やくおとし、yakuotoshi)

 3日は節分。少年時代はその日、山から鬼の金棒(刺(とげ)のあるタラの木)とトベラを取って来た。トベラの枝をかまどにさしこむと、バリバリと葉がはぜた。その音にびっくりして鬼が侵入しないのであった。タラの木と燃えさしのトベラは戸口に立て掛けておいた。やはり鬼の侵入を防ぐため。
 それから豆まきをしたが、後年、鬼という字が姓につく人や運輸業者は「福は内、鬼は内」と唱えると知った。運輸業者にとってオニ(お荷)はおろそかに出来ない。
 さて、そのあとでは、5円玉を紙に包み、近くの辻(つじ)に厄と共に落とした。厄は悪い癖や習慣など。民俗学者の折口信夫によると、かつて大阪の子供も歯ぎしりなどの癖を節分の夜に捨てたという。
 実は私は今も厄落としを続けている。捨てるものはいっこうに減らない。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年2月1日)


2001年2月1日

春隣(はるとなり、harutonari)

 ハルトナリと読む。「春近し」と同じ意味の季語である。今日は節分、そして明日は立春だから、暦の上ではまさに春が隣に来ている。
 春隣は『古今集』の「冬ながら春の隣の近ければ中垣よりぞ花は散りける」などから出た言葉。この歌、風に散る雪を花に見立てているが、春の隣から吹く風は東風(こち)。古来、立春には春の風の東風が吹くと信じられてきた。
 ところで、暦の上では春になっても、まだ当分は<名のみの春>。春隣の感じや思いはなお続く。
 近年、春隣の日々の私のひそかな楽しみは、種苗会社の花や野菜のカタログを取り寄せること。おはる、おしん、おせん。これは春蒔き大根の名前。福小町、京小町、夏小町は蕪。庭も畑もないから実際に栽培はできないが、数百円の費用で頭の中は春の花園、野菜畑になる。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年2月3日)


2001年1月28日

探梅(たんばい、tanbai)

 タンバイ。冬に早咲きの梅を訪ね歩くこと。漢詩などに用いられていた言葉で、江戸時代の俳人は「梅探る」と言ったが、近代の高浜虚子あたりから「タンバイ」と音読して使うことが多くなった。梅は春告草(はるつげぐさ)という別名をもつが、探梅はまさに近づいた春を探ること。枝先の一輪か二輪の清楚(せいそ)な花に出会うと「春遠からじ」という気分になる。
 「梅一輪一輪ほどの暖かさ」。江戸時代の俳人、服部嵐雪の句。この句には「寒梅」と前書きがあり、寒中に咲く冬の梅をよんだもの。まだ寒中だが、それでも寒梅の花を見ると、その花の一輪くらいのほんのわずかな暖かさを感じるという意味。探梅は、寒梅を見に行くのではなく、あくまで早咲きの春の梅が対象。
 春になってから梅を見に行くのは「観梅」。今は探梅の時期である。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年1月25日)


2001年1月25日

猫の恋(ねこのこい、nekonokoi)

 もつれあった猫が屋根からどっと落ちる。落ちながら甘くなやましい声をだす。猫の恋は春の季語。でも、春をさきどりして、猫たちは寒中の恋に夢中だ。
 猫の恋は露骨。だからであろう、みやびな古典和歌では猫の恋は歌われていない。この季語は、卑俗なものに詩を見つけようとした江戸時代の俳諧が育てた。
 恋猫の眼中には飼い主もなくなるが、「猫はペットか野獣かといえば、これはもうはっきりと野獣だ」と断言したのは小説家の阿部昭(『変哲もない一日』)。猫の顔を写真にとり、その顔の複雑微妙な変化を痛感しての断言。
 そういえば、猫の交尾の写真を撮り続けている二十代の活発な女性を知っている。人間の意のままにならない猫の獣性に魅せられているのだろうが、彼女、当分忙しいだろうな。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年1月27日)


2001年1月21日

かじかむ(かじかむ、kajikamu)

 ある日の早朝の公園。「指がかじかんで感覚がなくなったわ。あなた、ちょっと代わって」とカミさんが犬のロープを渡した。仕方なくジャンパーのポケットから手を出して受け取る。カミさんはしきりに手に息を吐きかけている。ふと万葉集の東歌(東国の民謡)を思い出した。「稲つけばかかる吾(あ)が手を今夜(こよい)もか殿の若子(わくご)が取りて嘆かむ」。「かかる」はあかぎれが出来ること。稲つきの仕事をする娘たちは、主家の若様のやさしさを想像して、かじかむ夜の寒さに耐えたのだろう。いじらしい。
 で、思わずニコリとしたら、「なによ、その変な笑いは」とカミさんがとがめた。ニコリとしたつもりが、くちびるがかじかんでニヤリとしか見えなかったようだ。
 「かじかむ」はことに近代になって愛用されはじめた今の季節の言葉。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年1月18日)


2001年01月18日

風花(かざはな、かざばな、kazahana、kazabana)

 カザハナまたはカザバナ。雲のない青空からちらつく雪である。どこか遠方の雪が上空の風に乗ってきたものだが、青空が不意にこぼしたかのようにちらつく。
 かつて風花は、風が吹きはじめるときにちらつく小雨や小雪のことだった。江戸時代後期のいくつかの季語集に今の意味で登場しているが、一般には普及せず、近代になって広がった季語。しかし、2万5千もの大量の句を残した正岡子規にはまだ用例がない。大正5年の野村泊月の句、<風花の日もすがらなる大原かな>などがおそらく早い例。この句の風花は 京都の大原の里にちらつく風花。
風花という言葉は京都風に美しいが、群馬県では、山の北側の雪が風に乗って青天の南山麓に舞うものを吹越(ふっこし)と呼ぶ。<吹越に大きな耳の兎かな 加藤楸邨>(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年1月20日)


2001年01月14日

成木責め(なりきぜめ、narikizeme)

ナリキゼメ。成木は実のなる木、すなわち果樹のこと。その成木を責めて、実のなることを約束させるのが成木責め。かつては全国的に小正月(1月15日)の大事な儀式であった。
責められる木はたいてい柿(かき)の木。その家の主人と子供が柿の木のそばに行き、主人が鉈(なた)や棒で柿の木を叩(たた)き、「成るか成らんか、成らんと切るぞ」と責める。すると子供が柿の木の精霊になって、「成ります、成ります。成るからかんべんして下さい」と答える。こうして約束が成立すると、柿の木にお神酒(みき)が供えられた。この約束の成立は1年間の果樹の豊作を保証するものだったが、木を責めるところに、自然と格闘しながら、その自然の恵みで生きた昔の人のけなげさがうかがえる。今は廃れた儀式だが、再興して伝承したいものの1つだ。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年1月11日)


2001年1月11日

水族館(すいぞくかん、suizokukan)

水族館には静かでゆったりとした時間が漂っている。海の中のその時間は、私たちの体内にかすかに残っている古代の意識を刺激する。生物の悠久の時間がよみがえり、心身のこわばりがほぐれる気がする。冬の日には寒さで心身がこわばりがちであるだけに、水族館のその静謐(せいひつ)な時間がうれしい。
水族館は19世紀後半の西欧でブームになり、明治10年代に日本にも登場した。ウォーターフロントが注目されている今日、各地に最新の技術を駆使した水族館が建てられている。巨大な水槽を誇る大阪の「海遊館」の場合、サンゴや岩などは作り物。技術が海の時間と一体化している。そんな水族館は、英語でアクアリウムと呼ぶのがふさわしいかもしれない。アクアリウムにはすこし無機的な響きがある。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年1月13日)


2001年1月7日

謹賀新年(きんがしんねん、kingashinnen)

年賀状をはじめとしてよく使われる年頭の挨拶(あいさつ)語。しかし、さほど古い言葉ではない。千円札の夏目漱石、万円札の福沢諭吉などは、「新年の御慶(ぎょけい)めでたく申し納め候」と書いた。これが明治前半までの代表的な年賀状の挨拶語だった。
謹賀新年は近代の年賀郵便が広めた言葉。年賀郵便の制度は明治32年に始まり、同39年に全国的に確立したが、その制度が普及すると、葉書に印刷、捺印するにふさわしい端的で荘重な挨拶語として謹賀新年が好まれた。漱石も明治42年の年賀状にこの言葉を用いている。
私の今年の年賀状には、松尾芭蕉14歳の作と伝える「いぬとさるの世の中よかれ酉(とり)の年」を引用した。去年は申(さる)、来年は戌(いぬ)年だが、いわゆる犬猿の仲をもやわらげ、平和な酉年でありますようにという意味の句。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1993年1月4日)


2001年1月1日

初詣で(はつもうで、hatsumoude)

正月の過ごし方が多様になった。かつては寝正月が多かったが、近年は海外に出る海外正月、ホテルで過ごすホテル正月などに人気があるようだ。ゴルフ正月やラグビー正月、あるいは故郷の正月を楽しんだ人もあるだろう。子供のころ、元旦だけは家から出してもらえなかった。せいぜい庭でコマをまわしたり、タコをあげるくらいが許された。その理由がわからず、ずいぶん不平だったが、要するに家に正月の神を迎えていたからである。1年間の幸せや豊作をもたらす神をほうりだして、外へ出かけるなんてことはしなかったのだ。
年々、家に正月の神を迎えている意識は希薄になり、そのかわりに初詣でが全国的に大流行している。いくつもの社寺をかけもちでまわる人も多い。元旦以来、私も既に5ヶ所。(坪内稔典)
(毎日新聞・新季語拾遺/1992年1月6日)


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